エリアーナは、針仕事をしていたメイドたちに精一杯の微笑みを向けた。
「お義母様がお戻りになったので、今日はここまでにしましょう。皆さん、朝から本当にお疲れ様でした。あとは私が仕上げておきますから」
開け放たれた明るい窓辺では、薄地のカーテンが夕風をはらんで軽やかに揺れている。
昨日まで窓を覆っていたあの重々しい赤褐色のカーテンは、跡形もなく姿を消していた。
「エリアーナ! あなた、屋敷に何を……気でも触れたのですか!」
「いいえ、正気です。失礼を承知で申し上げますが、古いカーテンにはカビ臭がありましたし、壁紙や絨毯にも染みや色褪せが目立っていました。明るい色は空間も気持ちも明るくします。古くなった調度品は売却して慈善団体に寄付すれば、侯爵家の評判も上がるはず。一石二鳥だと思いませんか?」
「寄、付……ですって……?」
怒りを通り越し、ロザンヌは青ざめた。
エリアーナは縫かけのリボンをそっと脇に置き、義母の面に進み出る。
「お義母様。ちょうどよい機会ですので、ご報告いたします。この屋敷の使用人たちは、現在の労働環境に少なからず不満を抱いております。
今朝、私は《お義母様からのご命令》と偽り、《改装》の指示を出したうえで、皆に本音をお聞きしました。
その結果、全体の七割以上が、深夜や早朝の勤務に強い不満を感じていて、『不満はない』と答えた者は一人もおりませんでした」
「馬鹿馬鹿しい。使用人たちの不満をこのわたくしが知らずにいたとでも? 彼らは給金を受け取る立場。奉仕するのが仕事なのです。満足させる必要など、どこにあるというのです!」
「その“満足度”こそが、働く意欲や誇りに繋がるのです。どれほど命じても心が伴わなければ、人は続きません。体調を崩して去った者もきっと少なくないはず。
このような現状を知りながら、雇い主が何も手を打たないままでよろしいのでしょうか? すべてを取り仕切っておられるお義母様は……どうお考えですか?」
「……いったい誰に向かって口をきいているの……!」
奥様、お鎮めくださいまし。
メイドの声も届かず、ロザンヌの怒りは頂点に達した。
「この嫁の戯言を鵜呑みにした者は誰だ! 今すぐ荷物をまとめて、屋敷を出て行きなさい!」
近くにいたメイドたちが、肩をすくめて息を飲む。
怒気を散らすロザンヌ。部屋の空気が凍りついた。
けれどエリアーナは真っ直ぐに顔を上げ、義母を見据える。
「お義母様、どうか私の話をお聞きください。使用人たちに責任はありません。彼らを焚きつけたのは、この私です。ロザンヌ様からのご命令と偽って心の内を探りました。罰をお与えになるのなら──私ひとりにお願いいたします」
「なんですって?」
義母の瞠目を受け止め、エリアーナが声高に告げた。
「使用人たちの代わりに、私がお屋敷を出て参ります。ですから……アレクシス様との離縁を、お受けいただきたく存じます」
メイドたちを巻き込んでしまったのは心苦しい。
けれど屋敷の内装を勝手に変え、大切な家財を運び出し、骨董品を壊した。
立場もわきまえずに大変なことをしでかした嫁など……当然、離縁されてしかるべきだ。
──これで惨めな無能嫁のレッテルから逃れられる。
旦那様も、こんな私から……ようやく解き放たれる。
胸の奥で小さく祈ように、その言葉を繰り返し反芻する。
「……そこまで言うのなら」
ロザンヌの返答に、エリアーナは小さく息を詰め、じっと耳を澄ませた。