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第19話・すれ違う想い


 * * *



 格子状の大きな窓から燦々と光が降り注ぎ、玄関ホールへと続く廊下は眩しいほどに明るかった。

 約束の十時には、まだ少し間がある。


 ──疲れていたはずなのに、気持ちが昂ぶって眠れなかった。


 向かうのは、テロ集団のアジト。

 錆びた鉄の匂い、物騒な武器、麻薬……。

 危険は及ばぬとは聞いたものの、どうしても荒々しい光景ばかりが頭をよぎる。


 薄いブルーのワンピースは、エリアーナが唯一新調したもの。

 どんな服がふさわしいのか悩み抜いたが、《アレクシスの妻として》着られそうなのは、これだけだった。


「夫婦を装いたいのなら、アルマ様に頼めば……」


 小さな皮肉をつぶやいてみる。

 けれどあの真摯な眼差しを思い出すと、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。


「行ってらっしゃいませ、若奥様」


 メイドたちの列に見送られ、扉をくぐる。

 彼女たちは明け方から働き詰めのはずなのに、疲れを見せぬ無機質さ。

 エリアーナは両手の拳を握りしめる。


 ──労働環境の改善、必ずやり遂げます……!


 それに、屋敷にいる意味を与えてくれたアレクシスを、これ以上失望させたくなかった。


 ──旦那様の手、あたたかかった。

 触れ合った感触を思い出すと、胸の奥が甘く痛む。


「馬車は、どこに?」 


 正面玄関前は閑散と静かだ。

 庭先を見渡していると、裏庭から軽快な蹄の音が届く。

 銀色のタテガミを靡かせた白馬が、見る間に視界を占領した。


「遅れてすまない!」


 白薔薇を背負うように華々しく現れたのは、アレクシス。

 腰元に携えた銀の長剣には王国の紋章が煌めき、白地に濃紺の刺繍をあしらった騎士服が、彼の凛々しさを際立たせていた。


 視線が一瞬だけエリアーナを捉え、端正な顔にかすかな笑みが灯る。彼は馬を降りると、手袋をはめた手を差し伸べた。


「家紋入りの馬車は使えない。馬に乗るのは平気か?」

「え……ぁ、はい、大丈夫です」


 ──たぶん……っ。


 恐る恐る足をかけようとした瞬間、不意に後ろから抱き上げられる。

 驚く暇もなく横座りになったエリアーナの身体を、アレクシスの腕が包み込んだ。


「ゆっくり走る。俺に捕まっていろ」


 香水のほのかな薫りも、背中から伝わる体温も。

 エリアーナの鼓動を轟かせるのに十分すぎた。


 横座りのまま、騎士服の腰に手を回す。

 凛々しい腕が手綱を操るたび、包まれている感覚が増して胸がざわめく──鼓動が耳の奥まで響くほどに。


「……っ」


 ──私の心臓、アジトに着くまで持つかしら。

 それに旦那様……今、『俺』って?


 少しは気持ちを許してくれたのだろうか。

 問いただす代わりに頬を染め、アレクシスの胸にそっと顔を寄せた。



 *



 休日の王都は人で溢れ、街道には露店が並び活気に満ち溢れていた。

 外出を許されないエリアーナには物珍しく、目を輝かせながら街の様子を眺めた。


「見て、白薔薇の騎士様……!」

「ご結婚されたって、あの方が奥様?!」


 女性たちの羨望と嫉妬の眼差しを、エリアーナは気付かない。

 愛馬を厩に預けると、アレクシスが言った。


「行きつけの店で昼食を済ませよう」

「外で食事を……嬉しいです! 私、外食は初めてで」

「そう、なのか?」


 エリアーナが小さく頷く。

「私が育った町は田舎で、宿屋と居酒屋しかありませんでしたから」


 にっこり微笑む彼女は、野花のように可憐で──。

 視線を絡ませたまま、薄く紅を差した唇が僅かに開く。


 ──エリーが、可愛い。


「……期待はするなよ。ただの食堂だ」


 頬に昇った熱を隠すように、顔をそらせるアレクシス。


 ──洒落た店にすべきだった。

 思う存分、美味いものを食べさせてやりたい。

 いつかエリーと……近づけたなら。


 そんな想いを知らず、エリアーナは胸の奥で別の不安を抱えていた。

 アレクシスはそれ以上言葉を発さず、遠い目をして人波の向こうを見つめている。

 その横顔は綺麗だけれど……彫像のように感情を映さない。


 ──旦那様と食事ができるのは嬉しい。

 でも……いつもの調子で不機嫌な顔をされたら、味わう前に心が折れてしまいそう……っ。


 不意に向けられる、短くも柔らかなアレクシスの視線が嬉しい。

 こんな事は初めてで……。

 胸の奥に小さな温もりの波紋が広がるのを感じながらも、エリアーナはそっと息を詰めたのだった。




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