*
明るい窓際の一席に、暇を持て余した女性店員たちの視線が集まっていた。
正午までまだ間のあるこの時間、簡素な定食屋はさほど混んでいない。
「……このお店、よく来られるのですか?」
「仕事のついでに、騎士仲間たちと立ち寄るくらいだが」
アレクシスが店に踏み入った瞬間、
だがエリアーナが続いて入った途端、空気はしんと鎮まりかえる。
──この温度差は、何?
年嵩の店員に案内され、席に着けば。
厨房の奥からも、好奇の視線が何本も突き刺さってくるようだった。
「騎士様っ、いらっしゃいませ! 今日は何になさいます?」
満面の笑顔で駆け寄った若い店員が、水の入ったコップを勢いよく置く。 好奇の視線がちらちらと掠め、居心地が悪い。
「前に来た時、君が勧めてくれた日替わりが中々良かった。今日のメインは?」
「牛の臓物煮です。香辛料たっぷりで美味しいですよ〜。覚えてくれてたの嬉しいから、サービスしちゃいます!」
「有難い。私はそれで」
と、アレクシスは意図的に笑顔を作る。
「お連れのかたにも同じものを?」
──牛の、ぞ、臓物、煮……っ?!
グロテスクな料理を想像して、エリアーナが青ざめていると。
「そうだな……メインを変えられるか? 妻は臓物を食さないので」
「お、奥方様でしたか! 若くて可愛いから、てっきり恋人かと……失礼しました。それなら奥方様、鶏肉の煮込みはいかがです?」
アレクシスの言葉に、胸が揺れる。
臓物は好まないと、どうして知っているのだろう……?
「エリアーナ。それなら食べられそうか?」
──
艶めいた声が胸のなかで反芻し、眩暈がしそうだ。自然と頬が熱くなり、言葉がうまく出てこない。
「はっ、はい……大丈夫です!」
そうか、と頷く美貌の夫が、わずかに微笑んだ……気がした。
「少食だから、盛り付けを少なめにしてやってくれ」
店員が下がるや否や、待ち構えていたように別の女性店員たちが集まってくる。
「騎士様が女性を連れて来るなんて、びっくりです」
「二人で食事だなんて仲良し……!」
「こんなに綺麗な奥様なら、そりゃあ連れて歩きたくなりますよね〜」
エリアーナはこういう会話が苦手だ。
「綺麗」という言葉は、社交の場ではただの飾りだと知っている。
変わってアレクシスが朗らかに応じた。
「そう言えば店主の具合は? 肺の病を患ったと聞いて、同僚たちと案じていたんだ。この店が無くなったら困るからな」
「それがぁ! ただの咳風邪で……」
「本当よ〜。あと百年は生きるわよ、あの爺さん!」
店員たちと話すアレクシスは饒舌で、笑い声が飛び交う風景はどこか遠く感じられた。
──旦那様、あんなふうに笑うんだ……。
けれど客の入店で店員たちが散ると、アレクシスは表情を固めてしまう。
腕を組み、感情を閉ざしたように宙を見つめている。
食事が運ばれてきても、仏頂面は変わらないままで。
期待していた温かい空気は、あっけなく遠のいていった。
「あの……」
勇気を出して声を掛けると、視線だけがこちらを掠める。
「お、美味しい、です」
それしか言えなかった。
自分だけが壁の外にいるようで、息苦しい。
「それは良かった」
短い言葉とともに、視線はまた逸らされる。
──旦那様が冷たいのは、やっぱり、私だけ……。
いっそ牛の臓物を強要されれば良かった。
その場しのぎの気遣いや優しさなら……要らなかったのに。
悲しさが込み上げて俯いた。
味がしない料理を黙々と食べる。
アレクシスが、そんな彼女を見つめていたことにも気づかずに──。
支払いのため席を立った彼の背を追う前に、食器を下げに来た店員がそっと囁く。
「奥様が羨ましいって、みんな言ってます。騎士様に、すっごく愛されてますよね!」
「……ぇ……?」
思わず息を詰めた。
愛されている……?
あり得ない。
「いいえ……逆です。私は旦那様に疎まれていますから」
「疎まれてるって、そんな。だって──」
「とても美味しかったと、シェフにお礼を。ごめんなさい、もう行かなくちゃ」
急く足取りで店を出た。
目頭にじんわり熱いものが込み上げる。
空になった席で、店員が小さく呟いた。
「騎士様、あんなに微笑んで見てたのに……?」
けれど、その声はもうエリアーナには届かない。
扉の向こうには木漏れ日が揺れている。
アレクシスの背を追って駆けていく彼女の胸には、わずかな期待が砕かれた事への複雑な悲しみだけが燻っていた。