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第23話・旦那様の言葉と態度が……?


 ──エドガー、様……? 人が、死ぬ……?



 あの鳥の《言葉》だと、すぐに理解できた。

 声というより喉の奥から掠れ出た、血の気のない喘ぎ──。

 背筋を何かが這うような感覚に、エリアーナははっと息を止める。


 空気の変化を、アレクシスも察したはずだ。

 黒づくめの男たちの鋭利な眼光が突き刺さる。


「旦那様……!」


 アレクシスの袖を強く引き、小さく首を振る。

 今は深入りしないで──と、必死に目で訴えた。


 ──エリーがいなければ、少々無茶をしてでも探るところだが……今日はここまでか。


 刹那、アレクシスは真意を隠し、涼やかな笑みを作る。

 心の奥に潜む緊張を相手に悟らせぬように。


「……わかった。装飾品は日を改めて見せてもらうよ。その代わり、今日は妻のドレスをいただこう」



 *





 衣装屋を出ると、陽の落ちかけた空に夕星が輝いていた。

 結局、豪奢なドレスを三着も仕立ててもらい、長い時間が過ぎていた。


 人波を避けながら厩に向かう道すがら──。


「あの、旦那様……。高価なものをたくさん……申し訳ありません。付き添いだけのつもりが……甘えてしまって」


「謝らなくていい。初めから購入するつもりだったし、何着でも良いと言ったのは俺だ」


 反乱分子の動向を探る目的すら危うく忘れそうになるほど、アレクシスはその都度エリアーナに見惚れていた。

 任務の重圧とは裏腹に、頬の緩みを必死で押し殺す。


 本当は、もっと買ってやりたい。

 組織と通じるこの店ではなく、次は素性の確かな店で。


 ──この任務が終わったら。


の証拠は、掴めそうでしょうか……」

「ああ。奥の部屋に資金源となる盗品があると確信できた。それだけでも収穫だ」


「……また、あの場所に?」


 アレクシスの歩みがふと緩む。

 店の奥間の不穏な気配が脳裏をかすめ、エリアーナの胸がきゅっと締め付けられる。


「ああ。近日中にな」


 その答えに、エリアーナは息を呑み、縋るような眼差しで見上げた。


「大切なお仕事だってわかっています。でも……危ない場所に赴かれて、旦那様の身に何かあったら……っ」


 視線が絡まり、潤んだアメジストの瞳が揺れる。


 ──そんなの、耐えられない。


「心配してくれるんだな」

「当たり前です……! あなたは大切な……その……ジークベルト侯爵家の、跡取りですから」


 視線を逸らせる横顔に、アレクシスは胸の奥で苦く笑う。わずかに期待してしまった自分を恥じた。


 ──それだけ……か。


「国王から賜った任務だ。疎かにはできない」

「その……有用かどうか、わからないのですが」


 躊躇うような声が沈み、エリアーナが切り出した。


「聴こえたんです。男性の肩に乗っていた鳥の《声》が」

「ウン? ……何が聴こえたと?」


という人が、と。『綺麗なものが一つ減れば、また一つ増える。持ってきた人がまた死ぬ』……そう言っていました」


「俺の耳には、何も」

「物心がついた時から、鳥や動物の声が聴こえるんです。話す事もできます。たぶん、私が授かった異能のひとつなのだと思います」


 アレクシスは息を呑む。

 半年前の狩猟場、猛鳥を手なづけたように見えた彼女の姿が蘇った。

 あれもやはり、会話していたのだ。


「『綺麗なもの』は、宝石や装飾品のこと。『持ってきた人がまた死ぬ』っていうのは……」


「運び屋が、その都度殺害されるということか」


「……途切れ途切れで、断言はできません。でも、あの鳥はそう言ったのだと。それに、エドガーという人をとても怖がっていました」


「エドガー……」


 アレクシスの視線が鋭くなる。

 『エドガー・コールドヴァイト』。

 王政反乱分子と通じると噂され、国王の密偵が探る重要参考人物の一人だ。


「それが確かなら、あの男が出入りしている証拠だ」


「エドガー……?」

「ああそうだ。エリー、君のお手柄だ!」


 アレクシスは興奮していた。

 うっかり「エリー」と呼んでしまった事にも気付かぬほどに。


「お役に立てたのなら、嬉しいです」


 無垢な笑顔に、抱きしめたい衝動が込み上げる。

 代わりにエリアーナの手を取り、白磁の肌に唇を寄せた。


「旦那様……?!」

「言いそびれていたが、ドレス……似合っていて、綺麗だった」


 言葉の意味を飲み込めずに、固まるエリアーナ。

 頬に熱が込み上げ、胸の奥で小さな喜びがふくらんでいく。


 ──旦那様が、私を……綺麗だと。


 胸の奥で何かが弾け、甘く熱い波が全身を駆け抜けた。

 疑いたくなるが、アレクシスの笑顔は現実のもの。


「………っ」


 あたたかく柔らかな感触が、手の甲に残っている。

 見つめ返せば、蕩けそうに優しい笑顔があって。

 喜びとも戸惑いともつかぬ甘い火照りが、胸の奥を満たしていく。抱きしめるように、その手を胸元に引き寄せた。


 ──このぬくもりが、どうか明日も続きますように……。


 頼りない期待にふっと頬が緩む。

 夕暮れの街灯がふたりの影を長く引き、並んだ足音が石畳に心地良く響いた。


 任務の影も、危うい匂いも──

 その時のエリアーナには、遠く霞む世界の出来事のように思えた。






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