──エドガー、様……? 人が、死ぬ……?
あの鳥の《言葉》だと、すぐに理解できた。
声というより喉の奥から掠れ出た、血の気のない喘ぎ──。
背筋を何かが這うような感覚に、エリアーナははっと息を止める。
空気の変化を、アレクシスも察したはずだ。
黒づくめの男たちの鋭利な眼光が突き刺さる。
「旦那様……!」
アレクシスの袖を強く引き、小さく首を振る。
今は深入りしないで──と、必死に目で訴えた。
──エリーがいなければ、少々無茶をしてでも探るところだが……今日はここまでか。
刹那、アレクシスは真意を隠し、涼やかな笑みを作る。
心の奥に潜む緊張を相手に悟らせぬように。
「……わかった。装飾品は日を改めて見せてもらうよ。その代わり、今日は妻のドレスをいただこう」
*
衣装屋を出ると、陽の落ちかけた空に夕星が輝いていた。
結局、豪奢なドレスを三着も仕立ててもらい、長い時間が過ぎていた。
人波を避けながら厩に向かう道すがら──。
「あの、旦那様……。高価なものをたくさん……申し訳ありません。付き添いだけのつもりが……甘えてしまって」
「謝らなくていい。初めから購入するつもりだったし、何着でも良いと言ったのは俺だ」
反乱分子の動向を探る目的すら危うく忘れそうになるほど、アレクシスはその都度エリアーナに見惚れていた。
任務の重圧とは裏腹に、頬の緩みを必死で押し殺す。
本当は、もっと買ってやりたい。
組織と通じるこの店ではなく、次は素性の確かな店で。
──この任務が終わったら。
「
「ああ。奥の部屋に資金源となる盗品があると確信できた。それだけでも収穫だ」
「……また、あの場所に?」
アレクシスの歩みがふと緩む。
店の奥間の不穏な気配が脳裏をかすめ、エリアーナの胸がきゅっと締め付けられる。
「ああ。近日中にな」
その答えに、エリアーナは息を呑み、縋るような眼差しで見上げた。
「大切なお仕事だってわかっています。でも……危ない場所に赴かれて、旦那様の身に何かあったら……っ」
視線が絡まり、潤んだアメジストの瞳が揺れる。
──そんなの、耐えられない。
「心配してくれるんだな」
「当たり前です……! あなたは大切な……その……ジークベルト侯爵家の、跡取りですから」
視線を逸らせる横顔に、アレクシスは胸の奥で苦く笑う。わずかに期待してしまった自分を恥じた。
──それだけ……か。
「国王から賜った任務だ。疎かにはできない」
「その……有用かどうか、わからないのですが」
躊躇うような声が沈み、エリアーナが切り出した。
「聴こえたんです。男性の肩に乗っていた鳥の《声》が」
「ウン? ……何が聴こえたと?」
「
「俺の耳には、何も」
「物心がついた時から、鳥や動物の声が聴こえるんです。話す事もできます。たぶん、私が授かった異能のひとつなのだと思います」
アレクシスは息を呑む。
半年前の狩猟場、猛鳥を手なづけたように見えた彼女の姿が蘇った。
あれもやはり、会話していたのだ。
「『綺麗なもの』は、宝石や装飾品のこと。『持ってきた人がまた死ぬ』っていうのは……」
「運び屋が、その都度殺害されるということか」
「……途切れ途切れで、断言はできません。でも、あの鳥はそう言ったのだと。それに、エドガーという人をとても怖がっていました」
「エドガー……」
アレクシスの視線が鋭くなる。
『エドガー・コールドヴァイト』。
王政反乱分子と通じると噂され、国王の密偵が探る重要参考人物の一人だ。
「それが確かなら、あの男が出入りしている証拠だ」
「エドガー……?」
「ああそうだ。エリー、君のお手柄だ!」
アレクシスは興奮していた。
うっかり「エリー」と呼んでしまった事にも気付かぬほどに。
「お役に立てたのなら、嬉しいです」
無垢な笑顔に、抱きしめたい衝動が込み上げる。
代わりにエリアーナの手を取り、白磁の肌に唇を寄せた。
「旦那様……?!」
「言いそびれていたが、ドレス……似合っていて、綺麗だった」
言葉の意味を飲み込めずに、固まるエリアーナ。
頬に熱が込み上げ、胸の奥で小さな喜びがふくらんでいく。
──
胸の奥で何かが弾け、甘く熱い波が全身を駆け抜けた。
疑いたくなるが、アレクシスの笑顔は現実のもの。
「………っ」
あたたかく柔らかな感触が、手の甲に残っている。
見つめ返せば、蕩けそうに優しい笑顔があって。
喜びとも戸惑いともつかぬ甘い火照りが、胸の奥を満たしていく。抱きしめるように、その手を胸元に引き寄せた。
──このぬくもりが、どうか明日も続きますように……。
頼りない期待にふっと頬が緩む。
夕暮れの街灯がふたりの影を長く引き、並んだ足音が石畳に心地良く響いた。
任務の影も、危うい匂いも──
その時のエリアーナには、遠く霞む世界の出来事のように思えた。