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教場の窓際の席でエリアーナは頬杖をつき、はぁ……と大きく息を吐いた。
昨日の戸惑い──アレクシスの笑顔、手の甲にふれた唇の感覚……。
理屈では消せない熱の余韻が頬を染め、胸の奥で静かに燻っている。
「エリーっ、ご飯行こーっ!」
元気な声とともに、アンがとととっと駆けてきた。
「あれ〜? またため息。さては週末に何かあったな?」
にやけ顔で覗き込み、すぐに「そうだ……」と真顔になる。
「離縁計画はどうなった?! まさか、それが原因?」
「ううん、ちがうの。結局、旦那様のお仕事に付き添うことになって……」
「あー、また長くなりそう。その話を聞く前にダイニングルームに行きましょ! 栄養補給の時間は限られているのよっ」
いつもの調子で、アンはエリアーナを促した。
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残念ながら、今日も『焔薔薇のジビエ肉』にはありつけなかった。
昼食を終えたふたりが廊下に出ると、よりによって正面から嫌な顔ぶれがやってくる。アンの眉間にわかりやすく皺が寄った。
中心に立つのはジゼル・レディー・ライラック。
学園のマドンナと称される美貌の持ち主だが、その瞳と口にはいつも棘が宿っている。
「あら……廊下が暗いと思ったら、やっぱり」
巻いた紫色の髪がくるっと揺れ、取り巻きたちがくすくす笑う。
ジゼルはお決まりのように腕を組み、アーモンド型のローズレッドの瞳を眇め、エリアーナを憮然と見下ろした。
「魔法も使えない落ちこぼれ。学園きっての遅刻魔が……今日は人間の顔をしていて安心しましたわ」
微笑のあと、わざとらしく顎をしゃくる。
「でも、その髪型と……その服。どこで拾ったの? 修道院の見習いかと思った。あら、ここって教会じゃなかったかしら?!」
エリアーナは目立たぬように眼鏡をかけ、髪を引っ詰め、茶系の地味な服をあえて選んでいる。
それを嘲るように、ジゼルはさらに口角を上げた。
「遅刻魔の地味っ子と、もう一人は赤毛にみそっかす。はっきり言ってダサいのよ……!」
アンの瞳が曇り、視線が床に落ちる。握った拳が震え、「もうやめて……」と小さく漏らした。
そばかすを恥じらうその横顔に、エリアーナの心がぎゅっと締めつけられる。
自分のことなら受け流せても、アンを侮辱するのは──許せない。
「ジゼル……っ」
言葉を返そうとしたその時。
「おい」
低く、よく通る声が背後から響いた。
途端、空気がすっと冷えたように感じ、周囲がざわめく。
ラバースーツ姿の下級生二人を連れた背高い青年が、ジゼルたちの眼前に立ちはだかる。
無造作に整えられた黒に近い栗色の髪、切れ長の蒼い瞳──。
引き締まった体躯に漆黒のジャケットを着崩した彼は、洗練さと冷徹さを併せ持つ美丈夫だった。
「レオンっ」
ジゼルが甘えた声を上げる。
だが青年──レオンと呼ばれた生徒は、ジゼルに一瞥もくれず通り過ぎた。
「エリー・ロワイエ。生徒会長が放課後、生徒会室に来いと。アン・レオノールも一緒にだ」
女生徒たちの憧れを集める、生徒会副会長レオン・ナイトレイ。
ちなみにエリー・ロワイエは、エリアーナの偽名である。
「ちょっと……!?」
完全に無視されたジゼルが毒づくが、レオンは動じない。
エリアーナの前に立つと、伸ばした手で眼鏡をすっと奪った。
「な、何するの?!」
問い返すと、彼の顔がぐっと近づく。
微かに甘い石鹸のような香りと息遣い──。距離の近さに鼓動が跳ねた。
「綺麗な目、してるのに」
浅く呼吸し、低く囁く。
「見えてるんだろ……なんで眼鏡なんかかけるの?」
反射的に身を引くエリアーナ。
レオンは面白がるように唇の端を吊り上げる。
「せっかくの綺麗な顔、なんで隠すの」
「揶揄わないでください。め、眼鏡を返して……!」
「いや返さない、俺が預かっとく。終礼後に生徒会室だ、急げよ」
「なっ……?!」
眼鏡を懐にしまい、レオンはふと振り返る。
その蒼い瞳が、ジゼルたちを氷の矢のように射抜いた。張り詰めた空気に、取り巻きがしんと静まる。
刹那、ジゼルの笑みが凍りつき、頬が引き攣った。
「相手を攻撃してるときの自分たちの顔……」
わずかに間を置き、形良い唇が
「──眼鏡かけて、良く見てみるんだな」