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第2話 人間大オカメインコのトイレ問題

 アスファルトの上に両足をつけると、そこそこに暖かかった。今は六月だ。気温が真夏日を超える日もあるけれど、今日の気温はそこまででもなくて助かった。本格的な夏だったら、地面は足が火傷する熱さで外にさえ出られなかっただろう。


 ――飛べばいいのでは?


 どこかから声がした。ぴきゅでもぴよでもない、僕の本来の声だ。内なる自分がツッコミを入れてきたのだ。


「……ぴょ!」


 そうだ。飛べばいいのだ。そして――


           🐤🐤🐤


 僕はてちてちと歩いて中学校まで行った。飛べなかったからだ。飛べなかったどころか、羽ばたく際に翼が近所の人に当たって平謝りすることになった。「ぴやっ」「ぴやっ」と頭を下げるたびに、くちばしが地面に当たって「こんっ」「こんっ」と音を立てた。

 キツツキじゃないのにキツツキみたいだなと思ったものだ。

「飛ぼうとしただけなんだよねー。慣れてないししょうがないよねー」

 と、近所の男性は猫なで声でそう言った。なぜか、幸せそうですらあった。鳥肌が立ちそうだったが、鳥肌はもともと所持していた。

 あの人は、中の人……人? うん、中の魂が人だと分かっていたのだろうか。後で恥ずかしさで転げまわらないといいな。


 中学校にも、人間大のオカメインコの姿がちらほらあった。皆、その身一つで登校していて荷物は持っていない。僕も持っていない。何なら、登校中の道で何羽ものオカメインコとすれ違ったが、誰も鞄を持っていなかった。何も持たずに勉強や仕事はどうするんだろう。と、自分を棚に上げて考えてみる。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 今は璃々ちゃんに会うことだけを考え……


 ん?


 そもそも、僕は璃々ちゃんに鈴芽だと認識してもらえるのだろうか。

 璃々ちゃんがオカメインコになっていたら、僕はそれが璃々ちゃんだと認識できるのだろうか。

 少なくとも、中学校に来るまでにすれ違ったオカメインコは、誰が誰だかわからなかった。そもそも誰だか知らない人が大半だっただろうけど、知っていてもわからなかっただろう。


 だって、オカメインコなのだ。

 とにかく、オカメインコなのだ。


「ぶちゅっきゅきゅきゅぶちゅちゅう」

「ぴよっ、ぴ、ぴゃあっ」

 後ろから鳥の話し声がする。真後ろまで振り向いてみると、背後ではオカメインコ渋滞が起きていた。

 そういえば僕は、階段を昇る途中だったのだ。両足を同じ段に乗せて止まると後ろにコケるので、右足は上の段を踏んだ状態で立ち止まっている。

 オカメインコは人間より幅を取るため、通れてもせいぜい二羽であり、階段を上るなんて初めてのオカメインコたちの動きはぎこちなく、必死だ。僕の横を通るとコケそうでこわかったのかもしれない。

 僕の後ろで、オカメインコたちが文句を言っている。どうしてだろうか人間の生徒からの文句は聞こえない。

 代わりに、スーハースーハーという大きな呼吸音が聞こえる。

 どうしたんだろう。オカメインコ渋滞に巻き込まれて羽毛の中で窒息しそうにでもなったのだろうか。


「ぴきゅっ!」


 ごめんなさい! という思いを込めて「ぴきゅっ」と鳴いた僕は、璃々ちゃんにわかってもらえるだろうかと不安になりながら、階段を急いで上った。

 再び足が止まったのは、教室の前まで来た時だ。

 教室の中に、いつもの人間の姿の璃々ちゃんがいた。

 栗色の、背中の真ん中くらいまで伸びた髪を白いシュシュで二つ結びにして、くるくると巻いている。前髪は左右の額がちょっと出るくらいで中央に固めてヘアピンを一本とめている。大きな瞳が可愛らしい。楽しそうに、人間の友達と話している。


「ぴきょぽ!」


 ほっとして教室に入ろうとして、僕はぴたっと止まった。


 トイレに行きたい。


 おなかは全く痛くない。それなのに突然、トイレに行きたくなった。しかも、なんとなく予感がある。

 これは、ゆるいぞと。

 我慢自体はできそうだ。なんだったら何時間でもいけるんじゃないかという気もするが、ゆるいのを我慢し続けてお尻に余裕がないまま彼女と話すのはつらい。それに、もし授業中に出てしまったりしたら目も当てられない。

 僕は回れ右した。

「あっ!」

 という、璃々ちゃんの驚く声が聞こえた。


 トイレに入ろうとして、入口で足を止める。裸足でトイレに入るのは抵抗があった。

 スリッパに足をぎゅうぎゅうつめれば……

 でも、人間は体が縦だけどオカメインコは体が横だから中に入ってもどこかに羽が当たりそうだし……


 僕はトイレを諦めて、てちてちてちてちと歩き、屋上を目指した。土の上ならやりやすいし、本当はグラウンドに行きたかったけど、他のオカメインコによって階段はいっぱいいっぱいになっていたので、逆走は危険だと思ったのだ。

 屋上に行くと、ぺちゃんと座った困り顔のオカメインコがたくさんいた。

 僕は悟った。このオカメインコたちは僕と同じだと。

 トイレを我慢しているのだと。


「鈴芽くん!」


 背後から名前を呼ばれて、僕は真後ろまで振り返った。


「鈴芽くん……だよね……?」


 階段の下に、璃々ちゃんが立っていた。


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