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第3話 トイレ問題、おおむね解決

「ぴ……?」


 驚きのあまり、体は正面、頭は真後ろという格好のまま、僕は固まった。条件反射のように、背中をもふもふと繕いたくなったがそれどころじゃないと我慢し、トイレを我慢していたことを忘れ、璃々ちゃんを見つめた。

 彼女は心配そうな、切なささえ感じられる表情をしている。


「びょちゅびゅ……?(何で……?)」


 オカメインコの声はどうやら三種類で、叫びの「ギャ」、鳥語の「ぴゃ、ぴよっ」、人語を発しようとする時のダミ声があるようだ、と僕は学んでいた。そして、何も考えていなかった今の一言はダミ声で、僕は恥ずかしくなって背中にくちばしを埋めたくなった。


「鈴芽くん……?」


 璃々ちゃんは、ピンクと白のしましまの二―ソックスを穿いた足で階段を一歩上り、何かを求めるように右腕を伸ばしてくる。まずい、その腕の先は尻の穴だ。くちばしを背中に埋めるのを中断して、向きを一八〇度変える。途中でバランスを崩しかけたが持ちこたえて正面から視線を交わす。


「ぴよっ!(そうだよ!)」


 嬉しさと同時に泣きたくなって、僕は首をぶんぶんと上下させて「ぴやっ!」「ぴょっ!」と鳴いた。後から知ったがこの動作は主にセキセイインコがするものでオカメインコはしないらしい。だが中身が人間だから規格外の行動もできるのだ。


「やっぱり……」


 瞳を輝かせた璃々ちゃんは階段を更に上り、僕のおなかだか胸だかにそっと手のひらを埋めた。ちょっとひんやりとしている。ドキドキしていると、もふっと両腕で抱きしめてきた。

 !? とびっくりした僕は、びっくりした拍子にお尻から忘れていた何かが出そうになって正気に戻った。


「ぴょぴゃぴぇっ!」


 慌てて後退りすると共に、都合良く開けっ放しになっていたドアから屋上の床を踏む。あちこちに座り込んでいたオカメインコたちが、胡乱うろんな目で何事かとこちらを見た。


「鈴芽くん……どうして……?」

 嬉しそうだった璃々ちゃんの瞳が悲しげに曇る。


「ぴょぴょぴょぴゃああぴよっ! ぴよぴ!(ち、ちがうんだ! いやがったんじゃないんだ!)」


 トイレがまずいんだということを示すために、首を振り向けてお尻を激しく横に振る。すると今度は、璃々ちゃんの頬がぽっ、と染まった。


「えっ!? それは……ええと……ここじゃちょっと……それに……」

「ぴゃぴゃぴょ! ぴょよよよぴるぴ!(そうだよね! でもどうしたらいいか……!)」

「恥ずかしいし、まだ早いかなって……」

「ぴょ! ぴよぴよ、ぴゃあぴゃあ……?(わかるよ! わかるけど、え、まだ早い……?)」


 何かニュアンスが違うな? と、僕は首を傾げる。背後から、オカメインコたちがジト目でこちらを見ている。鳥とは便利なもので、今まで癖で振り向いていたが、実は振り向かなくても背後が見えるのだ。

 この緊急時に何をいちゃついているのかという視線を受けつつ、僕はしょんぼりと頭を下げた。


「びょびょびょう、びょちぶち……(もう限界だよ、どうすればいいのかな……)」

 と、その時。


「全校のオカメインコの皆さん、聞こえますか、教頭です」


 という声がした。教頭? 校長じゃなくて? と、屋上の柵の前まで移動して下を見る。グラウンドに、教頭と白い頭に薄い黄色の体のオカメインコが立っている。


「皆さんは恐らく、トイレに困っているのではないでしょうか」

 僕はまた、セキセイインコのように首を上下に振った。ぺったりと座り込んでいるオカメインコたちも首を上下に振った。璃々ちゃんが、「え?」ときょとんとした。


「まず、オカメインコは本気を出したら八時間でも十時間でもトイレの我慢が可能です」

「ぴょっ!?」

「ぴょっ!?」

「ぴゃぴょぴょ!?」

 僕を含めたオカメインコたちの驚きの声が輪唱した。

「しかしそれは巣を汚さないようにするためであり、皆さんには現状関係ありません」

 関係ないなら切実に省いてほしい。

「もちろん、体に悪いです」

「ぴょっ!!」

「ぴょっ!!」

「ぴゃっっぴぴょ!?」

 僕を含めたオカメインコたちの抗議の声が輪唱した。

「なので、都度、その場に出してください。鳥とはそういう生き物です。安心してください。用務員さんが片付けます」

 そういう問題じゃない。

「そういう問題じゃないよね? そんな、恥ずかしいよ……」

 璃々ちゃんがまた頬を染める。オカメインコ化を免れた彼女がどうして恥ずかしがるのか。


 ――彼氏のトイレを見るのが恥ずかしいんだよ。


 内なる僕がツッコんでくる。なるほどと納得した。

「では、お願いします。校長」

 教頭が隣のオカメインコに言った。校長!? あのオカメインコが校長!?

 オカメインコ(校長)が、おなかをぶわっとふくらませる。数秒後に橫にどいたその場には、濃い抹茶色の立派なものが残っていた。

 校長……!!!

 いつの間にか、柵の前にオカメインコたちが並んでいた。

「ぴよーーー!」

「ぴよよーー!」

 校長の勇姿に、この場の全オカメインコが涙した。

「ぴよ……」

 日本語でそう言った璃々ちゃんも、涙した。


「どうしても嫌というのであれば、皆さんはこれからグラウンドにしてください。校舎内にいる場合は降りてきてしてください」

 先生たちが、ブルーシートを校舎周りに敷いていく。

「はい、屋上の人……オカメインコさんたちはそこからぷりっと!」

「…………」

「…………」

「…………」

 仲間たちの目が揃って「><」となるのが僕にはわかった。


 男子も女子も入り混じり、皆が屋上からぷりっとした。

 僕のは、ちょっとゆるかった。

 恥ずかしさで、体全体が熱くなっていく。

 璃々ちゃんを見ると――おおーという興味津々な様子でブルーシートの上を見下ろしていた。恥ずかしいんじゃなかったのか。


「ぴょよよ……(璃々ちゃん……)」

「あっ、ごめんね!」

 彼女はえへへ、と可愛く笑った。そんなに可愛く笑われたらトイレを見られるのも悪くないなと思いかける。


「さて、今後のトイレですが……」

 教頭が期待を持たせる言い方をする。

「本来、鳥には必要ありませんが、猫砂を用意する予定となっています。一人……一羽分ずつだと数が多くなるので、一クラス単位になります」

 教頭の話が長くて飽きてきたのか、校長が羽繕いを始めている。大丈夫だろうか。校長は心までオカメインコになってはいないだろうか。

 でも、なんだ……そんな方法があったのか。

 それを早く言ってほしかった。


「鳥のトイレに臭いはありません。安心してください」

 そうなのか。

「よかったね、鈴芽くん」


 ほっとした僕に、璃々ちゃんが笑いかけてきた。

 それは、天使のように可愛い笑顔だった。


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