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第4話_私の契約内容は、神様(推し)の秘密の共有者になることでした

警告音が鳴り響き、姫宮麗子の凶悪な《#溺愛》ビームが炸裂した狂乱の後。

私の身体を構成する全エネルギー(MP)は完全に枯渇し、足元もおぼつかない。精神はフルマラソンを3回連続で走った後のように疲弊し、魂が肉体からログアウト寸前だ。


「……Kさん、私、今日はもう、一度リアルに……」

「ダメだ」


帰宅許可を申請しようとした私の言葉は、静かながらも有無を言わさぬ一言で、バッサリと斬り捨てられた。

顔を上げると、魔力を消耗して少し青白い顔をしたKさんが、私の腕をがっしりと掴んでいる。逃がさない、という強い意志が伝わってくる力だった。


「ひゃっ!? な、なぜですか!? 私もうMPゼロなんですけど! 残業後のOLよりHP低いんですけど!」

「詩織、君には話さなければならないことがある。君が僕の『騎士(ナイト)』として戦ってくれた今、もう隠しておくわけにはいかない」


Kさんの夜空色の瞳が、真剣な光をたたえて私をまっすぐに見つめる。その引力はブラックホールさながらで、吸い込まれたら二度と帰ってこれない。……いや、もうとっくに吸い込まれてるんだけど!


「……お話、ですか?」

「そう。僕の本当の目的と、この『ネオページア大陸』が抱える、深すぎる闇についてだ」


ネオページア大陸の、深すぎる闇。

スケールが巨大すぎる!

ここは単なるウェブ小説サイト異世界じゃなかったの!? まるで物語の最終章で明かされるようなフレーズの登場に、私の脳内CPUは再び処理能力の限界に達しようとしていた。


「こっちへ来て」


腕を引かれるまま、私はKさんの後に続く。

案内されたのは、今まで存在にすら気づかなかった、至聖所のさらに奥。Kさんが壁にそっと手を触れると、漆黒の壁面が音もなくスライドし、隠された通路が出現した。

……この神殿(マイページ)、どれだけギミックが仕込んであるの!


通路を抜けた先にあったのは、驚くほど生活感に満ちた空間だった。

無機質な静寂に包まれていた神殿のイメージとはまるで違う。柔らかそうな黒いソファ、たくさんの本が乱雑に積まれた大きな木製のデスク、壁際には何本かギターが立てかけてある。窓の外には、実在しないはずの現実世界の夜景を模したホログラムが煌めいていた。


「ここって……Kさんのプライベートルーム……?」

「まあ、そんなところだ。ここなら誰にも盗み聞きされる心配はないからね」


Kさんは私をソファに座らせると、自分はデスクのそばの椅子に腰掛けた。

ラフな装いと相まって、彼はもはや『神様』というより、ミステリアスな年上の美青年といった雰囲気だ。ていうかギター!? 弾くの!? このビジュアルで!? ちょっと聴いてみたいんですけど!!


そんな私の邪念を見透かしたように、Kさんは一つ咳払いをした。


「詩織。君は『Neopage』という世界が、何のために存在していると思う?」

「え? それは、作家さん、つまり『創造主』が物語を発表して、読者である『探訪者』が楽しむための……プラットフォーム、ですよね?」


我ながら優等生な回答を返すと、Kさんは静かに首を横に振った。


「それは表向きの機能に過ぎない。この世界の真の目的は、もっと別の場所にある。――『原初のアーカイブ』の維持と保護だ」

「げんしょの……あーかいぶ?」


聞き慣れない単語に、私は首を傾げる。

Kさんは胸元で輝く銀の鍵のネックレスに指を這わせ、その声のトーンをわずかに落とした。


「このネオページア大陸の、データ領域のさらに深層……『原初の管理者(運営)』ですら容易にアクセスできない聖域に、それは存在する。今までこの世界で紡がれてきた、すべての物語の『魂』が眠る、巨大な図書館。それが『原初のアーカイブ』だよ」


物語の、魂。ファンタジーがすぎると呆れそうになるのに、彼の言葉には不思議な説得力があった。


「アーカイブに眠る『魂』は、ネオページアの生命線だ。この大陸で新しい物語が生まれるたび、アーカイブの力となって世界をより強固にしていく。だが……もし物語の多様性が失われ、たった一つの価値観――例えば、特定の『運命の聖句(タグ)』に世界が支配されてしまったら?」

「……どう、なるんですか?」

「アーカイブはバランスを崩し、機能を停止する。最悪の場合、大陸そのものがデータごと崩壊し、消滅するだろう」


ごくり、と私は息を飲んだ。

サイト閉鎖どころの話ではない。世界消滅。あまりに壮大だ。


「姫宮麗子のような創造主は、自分の影響力を高めるため、意図的に流行の聖句を乱発している。彼女たちの放つ《#溺愛》や《#ざまぁ》の強烈すぎる光は、アーカイブの多様性を蝕む猛毒なんだ。彼女たちはそれを知ってか知らずか、己の欲望のために、この世界を破壊しようとしている」

「そんな……!?」


「僕の役目は、それを防ぐことだ」


そこでKさんは、自らの正体の一端を明かした。


「僕は、代々『原初のアーカイブ』を守護してきた『ガーディアン』の一族、その最後の生き残りなんだ」


ガーディアン。守護者。

やはり、ただの創造主ではなかったのだ。


「だが、ある事件がきっかけで、僕はガーディアンとしての力のほとんどを失ってしまった。今の僕にできるのは、こうして創造主『K』として、流行りの聖句とは真逆の性質を持つ物語を書き、世界の均衡をかろうじて保つ『楔(くさび)』を打ち込むことだけ。この『灰色のアルカディア』は、そのためだけの物語なんだ」


衝撃の事実に、言葉を失った。

私がただ「好きだ」と胸を焦がした物語は、この世界を救うための、彼の孤独な戦いの手段だったのだ。

そう思えば、すべての辻褄が合う。彼がいつもランキング圏外の静かな場所にいたのも、更新が途絶えがちだったのも、きっと力を失った彼が、たった一人で世界の歪みと戦い、疲弊していたからに違いない。


「……では、その胸の鍵は……」

「ああ。ガーディアンの証であると同時に、僕の失われた力を封じている『封印の鍵』だ。僕の力が戻れば、この鍵も再び輝きを取り戻すはずだよ」


つまり……Kさんは今、変身アイテムを封印されたヒーローみたいな状態ってこと……?

『無職?』どころの騒ぎじゃない。とてつもなく重要な役職に就いている、すごい人だった!


「詩織、君だよ」

「は、はい!」


不意に名前を呼ばれ、背筋が伸びる。

「君の祈りは、僕が今まで受け取ったどんな信仰とも違った。流行りに染まらず、ただ純粋に物語そのものを愛する君の魂は、アーカイブが最も求める『多様性の光』そのものなんだ。君だからこそ、僕の結界を通り抜け、枯渇した魔力を満たすことができた」


そう告げると、Kさんは椅子から立ち上がり、私の前に跪いた。


「え、ちょ、Kさん!? なにを!?」

「詩織。改めて君に頼みたい。失われた僕の力を取り戻し、この世界を姫宮麗子たちの手から守るまで、僕だけの『専属探訪者』として、共に戦ってほしい。君の純粋な祈りだけが、僕の、そしてこの世界の唯一の希望なんだ」


ひざまずく神様。私を見上げる、夜空色の真剣な瞳。

これは、もう、ただの契約じゃない。

一族の宿命を背負った、孤独な守護者からの魂の願いだ。


最初は「解除不可能なんて!」と憤っていたはずなのに。

彼の壮大な秘密を知ってしまった今、私の心はとっくに決まっていた。


「……無理です、なんて、今さら言えません」

私は苦笑しながら、彼に手を差し伸べる。

「顔を上げてください、Kさん。私、力になります。あなたがガーディアンの力を取り戻す日まで、私があなたの盾になりますから。あなたの騎士(ナイト)になります」


我ながら、ヒロインみたいで少し気恥ずかしいセリフだったかもしれない。

それが、私の偽らざる気持ちだった。

一人のファンでしかなかった私が、推しを、神様を守れるなんて。これ以上に光栄なことがあるだろうか。


私の言葉を聞いたKさんは、驚いたように目を瞬かせ、やがて心の底から慈しむような笑みを浮かべた。差し出された私の手を、彼の大きな手でそっと包み込む。


「……ありがとう、詩織。君は本当に、僕のミューズだ」


心臓が、また高らかに鳴り響く。

彼の秘密を分かち合ったことで、私たちの間には昨日までなかった、特別な『絆』が生まれた気がした。


「では早速、君に新しい任務を授けよう」


そう言って立ち上がったKさんは、デスクの引き出しから何かを取り出した。

アンティークな羅針盤の形をした、小さな銀色のブローチだった。


「これは『敵性思念(ヘイト・オーラ)探知コンパス』。姫宮麗子のように、僕やアーカイブに敵意を向ける創造主が近くにいると、針が反応してその方向を示す。君の身を守るお守り代わりだ」


彼はそのコンパスを、私のブラウスの襟に優しく留めてくれた。

指先が鎖骨のあたりに触れ、びくりと身体が震える。

ち、近い……! Kさんの美しい顔が、すぐ目の前に……!


「こ、これからは、これで敵を探せ、と?」

「それも任務の一つだが、まずは情報収集からだ。ネオページアの『探訪者』たちの中には、表のランキングとは無関係に、裏世界の情報を交換するコミュニティが存在する。そこに接触し、他に僕を狙う者がいないか探ってきてほしいんだ」


裏世界の、コミュニティ!?

『創作の庭』や『イベント一覧』のような、公式機能以外のつながりが……?


「僕が動けば目立ちすぎる。それに今の僕には、他の創造主の神殿に干渉する力も残っていない。だからこそ、君に僕の目となり、耳になってほしい」

「わかりました……! やってみます!」


壮大な任務を与えられ、私のやる気はMAXだ。

さっきまでのMPゼロが嘘のように、身体の奥から力がみなぎってくる。これが『推しのため』という最強のバフ効果か!


「うん。頼んだよ」


Kさんは満足そうに頷き、私の頭をもう一度、ぽん、と優しく撫でた。

その自然な仕草に、また顔がカッと熱くなる。

ダメだ、この人、無意識にこういうことをする。本当に心臓に悪い!


「さあ、詩織。そろそろリアルに戻るといい。疲れているんだろう?」

「は、はい! お言葉に甘えて……」

「またいつでもおいで。ここはもう、君の場所でもあるのだから」


『君の場所でもある』。

その言葉が、私の胸に温かく染み渡った。

もう私は、ただのお客さんじゃない。


Kさんに見送られながら、私は彼のプライベートルームから神殿へと戻り、『ログアウト』のコマンドを唱えた。

意識が遠のく刹那、最後に見たKさんの顔は、今までで一番穏やかで、優しい笑顔だった。



ふっと意識が浮上する。

目の前には見慣れた自室の天井。時刻は、土曜日の昼前を指していた。

胸元に手をやれば、もちろんそこに銀のコンパスはない。それでも彼の指先が触れた感触が残っているようで、胸の鼓動が止まらなかった。


「……情報収集、か」


ノートPCを開き、再び『Neopage』にログインする。

今度はいつものセントラル・ハブに転移した。Kさんから託された新しい任務。一体どうやって裏コミュニティを探せばいいのだろう。


ひとまず自分のステータス画面を開くと、昨日はなかった新しいスキルアイコンが追加されていた。


【NEW SKILL: 簡易隠密魔法(ライト・ステルス)】

【効果:セントラル・ハブ内において、あなた自身の存在感を希薄にします。高位の創造主や、特定の監視者(モデレーター)からは認識されにくくなります。ただし、消費MPにご注意ください】


なにこれ便利! Kさんがこっそり追加してくれたんだ!

早速スキルを発動させると、自分の身体がほんのり半透明になった感覚を覚える。周りの探訪者たちが、私に気づかず通り過ぎていく。これなら目立たずに動き回れそうだ。


肝心の、裏コミュニティの手がかりは……。

賑やかなメインストリートを避け、Kさんの神殿へ向かう時と同じように、わざと寂れた路地裏へと足を踏み入れる。


その時、今まで気づかなかった光景が目に入った。

壁のあちこちに、落書きのような形で、謎の紋様やメッセージが書き込まれている。

これも『世界創造魔法(カスタマイズ)』の一種なのだろうか。


《情報求む:『失われた第13ジャンル』の文献》

《譲ります:呪いの聖句《#鬱展開》 解呪アイテム》

《緊急募集:『神々の黄昏(ラグナロク)』攻略パーティー@BL神殿前》


「……なにこれ、完全に裏掲示板……!」


表の世界とは全く違う、アングラな情報が飛び交っている。

私が息を飲んで壁を眺めていると、フードを目深にかぶった怪しげな探訪者が近づき、私にだけ聞こえるよう囁いてきた。


「……嬢ちゃん、見かけねえ顔だな。何を探してる? ここは初心者(ニュービー)が来るところじゃねえぜ」

「あ、あの、情報屋さんを探してて……」

「情報屋? ハッ、高くつくぜ。ま、金(チケット)次第だがな。それより、そいつを身につけてるってことは、あんた……『Kの騎士(ナイト)』か?」


男が指さしたのは、私の胸元だった。

どうして!? 隠密魔法を使ってるのに!

慌てて視線を落とすと、そこには―――ログアウトしたはずの銀色の『敵性思念探知コンパス』が、キラリと輝いていた。


「うそ……どうしてこれがここに!?」


アイテムまで持ち越してるなんて! そんなのアリ!?

男はニヤリと口の端を吊り上げる。


「やっぱりな。そのコンパスは『ガーディアン』の眷属にしか与えられねえ代物だ。巷じゃもっぱらの噂だぜ。あの引きこもりのK様が、ついに専属の『騎士』様を雇ったってな」


私の存在、すでにバレてるじゃないですかーーー!!

私が絶句するのと、コンパスの針がぐるんっと激しく回転し始めたのは、ほぼ同時だった。ある一定の方向を指し、ビーン!と甲高い音を立てる。


針が指し示しているのは、裏路地のさらに奥。

けばけばしいネオンに彩られた、一際大きな神殿――。


看板にはこう書かれていた。


【耽美(たんび)の神域:ブルーローズ宮殿】

【創造主:紫苑(しおん)】


コンパスの警告音を聞いた情報屋の男が、サッと顔色を変える。

「……おいおい、マジかよ。よりにもよって『紫苑』に目をつけられたのかい、嬢ちゃん。ありゃあ姫宮麗子とは質の違う、本物の『毒薔薇』だぜ……」


――紫苑。

その名に聞き覚えがあった。

『BL』ジャンルに君臨する謎多きトップ創造主。彼の書く物語は、美しくも残酷で、読んだ者の魂を絡めとって離さないと言われている。


どうしよう。Kさんに報告すべき? いえ、まずは情報収集が先……!

私が葛藤していると、針が指す『ブルーローズ宮殿』の扉が、ギィ……と不気味な音を立ててゆっくりと開いた。

まるで、私を誘うかのように。


「……行くしかない、か」


ごくりと唾を飲み、私は覚悟を決める。

私の平穏なオタ活は、完全に終わりを告げたようだ。

これより始まるのは、神様(推し)の未来と世界の存亡をかけた、危険で、甘くて、心臓がいくつあっても足りない秘密の任務。


ああもう、これから私、一体どうなっちゃうのよ!?!?

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