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第10話 ロックと変態⑨

 そして教室には俺と、真理部長だけが自然と残された。いや、俺が帰らなかっただけなのかもしれないが、これもタイミングである。


「お疲れ様。大変な一日だったわね」


 窓の戸締りを確認し、カーテンを閉めながら、真理部長が背中で俺に語り掛ける。


 いつ見ても部長は背筋が伸びて、その後ろ姿も美しい。今は俺だけがこの部長の端整な姿を独り占めしていると思うと、贅沢の極みを感じる。


「バンドが解散して、俺一人になり、そしてまた新たなメンバーが加わった。とんだ一日でしたね」


 まさかこんな波乱万丈な出来事が一日、しかも放課後だけで起きるとは夢にも見ていなかった。まさに転がりまくった一日だった。


「でも、メンバーが見つかってよかったわ。ネオ・ヴルスト、いい名前ね」


 最後のカーテンを閉め終えた部長は、くるっと振り返る。

 机に腰を掛けていた俺は、その言葉にドキリとさせられる。


「ありがとうございます。部長のおかげです」


 顔が赤くなってしまいそうで、思わず俯く。


 ネオ・ヴルストが良い名前だなんて、部長も言ってくれる。ヴルストの名前を考えたのは俺だということを考えると、まさか部長は俺のことが好きと言っているのも同然ではないだろうか? これは新手の告白か?


「森村君」


「え、は、はい?」


 青春の極みを噛みしめていると、ふいに名前を呼ばれるだけで胸の奥に激しいビートが轟いてしまう。つまり、ドキドキしてしまうということだ。


 部長を見ると、腰の後ろで手を組んで、じっと俺を見ている。その顔には恥じらっているような、どこかもじもじした表情が見える。


「ど、どうしたんですか、部長?」


 こういうときは焦っちゃならねえと思いつつ、俺はなぜかこれまでの女子との思い出が走馬灯のようによみがえる。


 母が作った弁当がハート形のデコ弁だったこと。


 妹からもらったバレンタインのチョコレートに思いっきり「義理」と書かれていたこと。


 叔母さんから「布袋寅泰に似てかっこいい」と微妙な褒め方をされたこと。


 ……って、ぜんぶ身内じゃねえか! 


 俺は女子との思い出に甘酸っぱいエピソードが皆無なことに今さら気付いた。走馬灯も二秒で終わっちまったぜ。


 そんな短編すぎる俺の恋全史にうつつを抜かしていると、部長がいつの間にやら俺の方に近づいてきていた。


「ぶ、部長?」


「森村君の他は全員女子のバンドだね」


 部長が改まり、そんなことを言い出す。


「ど、どうしたんですか?」


 やはりこの空気はどこかおかしい。俺が生きてきた中で感じたことのない甘酸っぱさだ。もう鼻の奥がツンツンして、反射的に涎が溢れてきそうである。


 これがラブコメというやつか! 噂には聞いていたが、ラブコメに違いない!


「今までヴルストは男子4人のバンドだったじゃない? でも、これからは森村君以外は女子メンバーになっちゃうじゃない?」


 まさか、真理部長は妬いているのか? 嫉妬というやつなのか? サイレントジェラシー?


「いや、でも、まだうまくいくか……。あいつらがどこまで本気かも分かんないですしね。そもそも演奏技術とか、音楽性も合わないかもしれないなぁ」


 俺は何を弁解しようとしているのだ? 新しいメンバーが入ってくれたことを否定するようなことはしたくないが、そんな気持ちとは裏腹な言葉が飛び出してくる自分に驚きだ。


「これから4人でハイスクフェスを目指すんでしょ?」


 二人だけの視聴覚室に、ピンと恋の旋律が張り詰めたような、そんな緊張感が漂っている。これはロックではなく、まるでスイーツ女子たちが喜んで聞いているようなラブソングだ。西野カナ的な、もぞもぞするラブソング的展開だ。


「そうですね。まずは曲を作らなきゃいけませんけど。どこまでうまくいくかなぁ」


 俺は痒くもない頭をポリポリ掻く。人間テンパると、マジで頭を掻きたくなることが分かりました。誰か、早くラブコメのトリセツ的なものを俺に!


「森村君とずっと一緒にいられるあの子たちが、ちょっと羨ましいな」


 やはり、まさか、この流れは、マジで嫉妬されてる? ていうか、もしかして部長、俺のこと……?


「羨ましいって……」


 ふと、俺は部長と目が合った。


 俺はまさか、告白されようとしている?


 そのまま永遠に時間が止まったかのような、呼吸さえも止まってしまったような、そんな二人だけの時間が流れた。


「あ、ごめんなさい!」


 どれだけ時間が止まっていたのか、新手のスタンド使いの仕業かと思い始めた瞬間に、部長が慌てて謝った。


「あの、私、帰るね! なんでもないの、忘れて! 戸締り、お願いね!」


 そういうと、部長は鞄を抱えて部室から走り去ってしまった。


 一人残された俺は、まだ気持ちを整理できずにいた。


 部長は何を言おうとしていたのか、本当に俺に告白しようとしていたのか。

 恋の経験がまったくない俺は、この状況を対処できずにテンパっていただけだった。


 くそ、こんなことならば西野カナとかドリカムを聞いとくべきだった。何が新手のスタンド使いだ。ジョジョの読みすぎだよ、俺!


「こんなのロックじゃねーな」


 俺はただ後悔だけが残り、明日からのテスト期間へと突入する羽目となるのであった。もやもやする気持ちをロックに打ち込むことができないのは、とても悲しいことではある。


 なんだか心にぽっかり穴が開いたようで、俺はすぐに帰る気にもならなかった。今すぐ教室を出て、帰り道で真理部長にばったり会うのもなんだか気まずいし。


 かといって音出しが禁止されている時間帯なのでギターの練習をするわけにもいかず、ただ真っ暗な校庭でグラウンド整備する野球部を眺めていた。


「はあ、俺も帰ろうかな」


 そう思った途端、急にトイレに行きたくなった。緊張して尿意が一気に来たようだ。


 教壇の上に置いてある鍵を取り、部屋には誰もいないので用心のため部屋に鍵をかけ、トイレに向かう。


 校舎の端っこにある視聴覚室からトイレまでは廊下の端と端で遠く、意外と遠い。


「荷物持って、そのまま帰ればよかったな」


 誰もいない長い廊下を歩きながら、行動をミスったような気がした。


「はぁ、ダセーな、俺」


 トイレに行くだけで軽く後悔する俺マジダセー。


 さっさと用を足し、再び視聴覚室に戻る。荷物取ってさっさと帰ろう。今日という日はさようならだ。


「ん、なんだ、これ?」


 視聴覚室の鍵を開けようとしたとき、扉に一枚の紙が挟まっていることに気付いた。


「手紙?」


 A4のルーズリーフが折りたたまれただけの、手紙というには簡素な紙片。俺は鍵を開ける前に、その紙をグイッと引き抜いた。


 何気なくその紙を開くと、そこには驚くべき文言が書かれていた。



『お前のバンドには変態がいる』



 誰もいない廊下、ただ風が通り抜ける校舎の一画。振り返ると、その長い廊下に人影はない。


 俺はその手紙を見て、また時間が止まってしまったような気がした。


「変態、だと?」


 俺は急いで、教室の中に入る。そして内側から、鍵をかけた。この不穏な手紙を誰にも見られたくないという意識と、俺が読んだという事実を隠したかったのだ。


 誰に宛てられた手紙だろうかと悩むまでもない。この「お前」とは俺。バンドとは結成したばかりのネオ・ヴルストのことに間違いがなかった。


「誰が、こんなもの?」


 さっき教室を出たときは、こんなものはなかった。扉に鍵もかけているし、手紙が挟まっていたら気が付くはずだ。ちょうどこの取っ手のあたりに挟まっていたのだから。


 となると、俺がこの廊下の先のトイレに行っている間に、何者かが挟んだのだ。


 時間にして5分程度か。その間に何者かがやってきて、この手紙を扉に挟んだのである。


「部長か?」


 最後にこの部屋を出ていったのは部長だが、こんなことするだろうか。5分あれば、誰だってこの手紙を挟むことはできる。


 この視聴覚室からトイレまではいくつも教室があるし、途中に階段もふたつある。俺がトイレに入るまで隠れている場所は、いくらでもあるし、逃げる猶予もいくらでもある。


 差出人はこの学校に入ることができるすべての人間に可能性があるのだ。


「イタズラだよな」


 俺はそう思いこむようことにした。犯人を捜すことがそれほど重要とは思えなかったし、手紙の内容も幼稚極まりないものだったからだ。


 俺のバンドに変態がいるからと言ってどうというわけでもなく、それを俺に知らせてどうしたいというのだ。


「でも……、いや、そんなわけ……」


 ついさっき組んだバンドの中に変態がいるというが、そもそもあの3人とはさっき初めて会ったばかり。


 ヤンキー系貧乳ボーカルの千葉優雨。


 お嬢様系隠れ巨乳ベースの天雷猫子。


 ジャージ系爆乳ドラムの月岡希依。


「あいつらの誰かが、変態なのか?」


 俺はメンバーの顔とおっぱいを思い出し、奥歯を噛みしめた。


 ネオ・ヴルストとして始まったばかりの俺のロックが、こんな手紙一枚で汚されるわけにはいかない。迷うわけにはいかないのだ!


「おもしれえじゃねえか。俺もロックの変態みたいなもんだぜ?」


 俺はその手紙をギターケースに入れ、視聴覚室を出た。


「……変態だからって、俺たちのロックは止まらねえよ」


 それは俺の決意表明でもあり、意志でもあった。


 しかしどこかで「メンバーの誰かが変態」という不穏な情報に、俺はゾクゾクしていたのかもしれない。


 こうして俺のロック第二章は、始まってしまったのだ。

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