そして話は冒頭に戻る。
二学期の中間テスト最終日、俺たちは満を持して地学教室に集まった。
これからネオ・ヴルストとしての最初の練習を行うためだ。
教室に来たのは俺が最後だった。やる気がないのではないかと言われるかもしれないが、やる気はある。この二週間、俺はテスト勉強に追われながらも、バンドのことを一刻も忘れることはなかったのだ。
しかしそれはポジティブな理由ではなく、あの一枚の手紙が原因だったのは、言うまでもないだろう。
『お前のバンドには変態がいる』
そう書かれた一枚の手紙が俺しかいない視聴覚室の扉に挟まれており、今もこのギターケースの中に忍ばせている。
その筆跡は一目では男子とも女子とも分からない、あえて崩した特徴のない手書きで書かれていた。筆跡から差出人を予想することは困難で、俺もイタズラだと思い込んで早く忘れようと努力したのだ。
だができぬのだ。
俺のバンドに変態がいるかもしれない。その疑惑は俺を逡巡させ、テスト勉強すらもどこかおざなりになり、たぶん数学と化学と古典が赤点の可能性すらある。いや、ほぼ間違いない。
すべてはあの手紙が悪いのだ!
そんな迷いが消えないものだから、テストが終わったというのに練習に向かう足も遅れがちになってしまったのも、自然なことであろう。
これから二週間ぶりに会うメンバーの中に変態がいるかもしれないという疑惑は、思っていた以上に俺のメンタルをガシガシと削っていたのだ。
俺は動揺を隠して約束していた地学教室にやってきた。
そこには新メンバーの千葉、天雷、月岡がすでに揃っていた。
ひと通りの挨拶を交わし、いよいよ俺たちは練習を始めようと準備をする。
この中の誰かが変態なのかもしれないという思いはとりあえず封印しなければならない。俺はこのバンドのリーダーであり、俺がこいつらをひっぱっていかなくてはいけないのだ。メンバーを疑うことなどあってはならない。
「森村、練習を始める前に私の書いてきた詞を読んでくれよ」
ボーカルの千葉が数枚のルーズリーフを俺に差し出してきた。
その紙を渡され、俺は忘れようとしていたあの手紙を直感的に思い出してしまう。
「ああ」
受け取ったルーズリーフには、千葉には似つかわしくないかわいい丸文字で歌詞が書かれていた。未意識のうちにあの手紙の文字と比べている自分がいることに気付き、なんだか疑心暗鬼に陥る。
「クソ野郎のケツにショットガンを撃ち込んだときの気持ちを歌詞にしてやったぜ。クソ男たちへの宣戦布告であり、レクイエムだ」
俺の迷いを知る由もない千葉は嬉しそうに、そして誇らしげに歌詞のテーマを披露してくる。
ケツにショットガンを撃ち込まれるシチュエーションとは、一体何事であるか。全米ライフル協会の偉いさんでもそんな状況に陥ったことはないはずだ。俺は思わずお尻がキュンとする。
「タイトルは『アナル・ラブ・フォーエバー』だ。かっこいいだろ?」
俺は大横転しそうになった。
直訳すると、「ケツの穴大好き、永遠に」
まさか、こいつが変態なんじゃないのか? 無差別殺人鬼的な変態性を持っているのでは?
俺は受け取った歌詞を読むのが怖くなり、目が泳ぎそうになる。
「おい、森村。どうした? 読んでくれよ」
「いや、なんでもない。テストで疲れてるだけだ」
動揺しているのがバレそうになり、俺は眉間を手でつまみながら必死で取り繕う。
「森村君、私も曲を作ってきたの。聞いてもらえるかしら?」
今度はお嬢様系ベースの天雷猫子が音楽プレイヤーを差し出してくる。
「あ、ああ。とりあえず曲を聞いてみようか」
ひとまず千葉のいかつい歌詞を読むのは控えようと、天雷からプレイヤーを渡された。
最近の家電の高性能化と小型化は著しく、メディアがデジタルデータとなった音楽プレイヤーもその恩恵を受けているはずであるのだが、天雷から受け取ったそれのぶよぶよとしたプレイヤーの触感に、俺は違和感を覚えた。
「え、これは?」
手の上に乗せられたそれはぬるっとしたゴムのような感触であり、円筒状で非常に握りやすい形状である。かろうじて側面に音楽プレイヤーのディスプレイが見えるので、どうやらこれはシリコン製のケースのようであった。
「私の音楽プレイヤーよ。かわいいでしょ? キノコ型なんですよ」
天雷がキノコ型と称する音楽プレイヤーケースは、円筒状の部分は肌色で、俺の右手にやけにしっくりくる太さである。それにややピンクがかった先端にはキノコと言うには控えめの三角形がかたどられている。
……いや、これ。キノコ型というか、チンコ型じゃね?
むんずと円筒部分を握っている俺の方がなんだか羞恥を覚え、思わず机の上に置いてしまう。
まさか天雷、この下ネタ系ジョークグッズをマジでキノコ型のケースだと勘違いしているのか? 俺を試している?
まさかこいつが変態? 大人のおもちゃ愛好家的な変態性を持っているのでは?
「恋する女子が胸キュンするような雰囲気の曲を作ったの。優雨ちゃんの歌詞に合うといいけど」
合うわけがない。かたやケツの穴にショットガン、かたや恋する女子の胸キュンである。そんな状況にしっくりくる奴はサイコパスである。
机の上に吃と立ちそびえるチンコ型音楽プレイヤーを見ながら、俺は再び悪寒が走った。
いかんいかん、さっきからメンバーを疑うようなことばかり頭に浮かんでしまう。すべてはあの手紙のせいだ。
「とりあえず曲を聴くのは、あとにしよう……」
なんとかこの猜疑心あふれるイケない心を落ち着かせなくてはいけない。
こんなときは素晴らしいおっぱいでも見れば心が癒されるのだが、そんな都合のいいおっぱいなんてあるわけがない。
「はうあっ!」
あった! 俺は変態疑惑が湧いた千葉と天雷を振り切り、教室の奥でストレッチ運動をしているジャージ姿の女子に視線を向けた。
そこには床で股割をして上半身を前方に伸ばしている爆乳ちゃんがいるではないか!
もうひとりのメンバー、ドラマーの月岡希依である。
床に向かって上半身を曲げているのだが、その爆乳が真っ先に床に接してしまい、そのたびにおっぱいがたわわに歪んでいる。これも彼女がジャージという柔軟性に富んだ服装でいてくれるからこそ、俺はおっぱいの自由な動きを楽しめるわけである。
ありがとう、ジャージ! ブルマが撤廃された現代の学校文化で唯一輝くアイテムだ、君は!
「どうしたし、森村?」
そんなストレッチに余念のない月岡が、上目遣いで俺を見上げてくる。
くさくさした気持ちを落ち着けるためにあなたの豊満なおっぱいを拝見させていただいておりました、とは言えるわけがないので俺はすんすんとした表情を作って「いや、なんでもない」と嘯いてみるのであった。
現に柔軟運動するおっぱいを見ることにより、俺はメンバーを変態だと疑うような浅ましい気持ちはきれいさっぱり消え失せ、これからバンドの練習であることを完全に思い出すことができたのだ。これもすべておっぱいのおかげである。アロマテラピーならぬおっぱいテラピーである。ロハス。
こんな爆乳の月岡が変態なわけがない。俺はお前だけは信頼しているぞ。月岡! おっぱいは正義だかんな! 俺とおっぱいの約束だ!
月岡の爆乳により癒しと冷静さを取り戻した俺は、真面目な顔でメンバーたちを見渡し、とりあえず練習を始めることにした。