「こんな状態じゃ、練習どころじゃないじゃん。マジで」
そんな状況をいち早く察したのは月岡希依だった。
「そうですね。演奏に気持ちが入らないかも」
片手を頬に持っていき、懊悩する姿もどこか奥ゆかしい天雷猫子も、練習の中断に賛成する姿勢を取る。
我がメンバーの巨乳ツートップがそう決断すると、俺もぐうの音も出ない。貧乳代表の千葉も従うしかないと思われた。
が、しかしそうは問屋が卸さない。
「おい、お前ら、心当たりがあるんじゃないだろうな? 月岡、お前が変態なんじゃねーか?」
ミス空気を読まない代表、千葉優雨である。
彼女は最初からなぜか月岡に対しては対抗意識を出していた。俺はその原因がその彼女らのバストサイズにあると考えていたが、やはりその考えは間違ってはいないようだ。
理性とか空気とかが許容する問題では決してない。コンプレックスという果てなく高い壁が、千葉を動かすのだ。
これは弱肉強食という自然の摂理さえも上回る、女子たちの逃れることのできないバスト問題である。俺には分かる。だって俺はおっぱい評論家だし。
「何言ってんの? 千葉、あんたこそやましいことがあるんじゃないの? マジ怪しい」
対する月岡も爆乳の余裕だろうか、大胆不敵に千葉を煽る。
自分が持つ武器の強大さを自覚しているのであろうか、まさに強国の誇りである。その甚大なFカップを有する月岡の前では千葉のAカップの胸など息を吹きかけるだけで吹っ飛びそうだ。
俺は二人の戦いに目が離せなくなっている。第一次バスト大戦である。とても興味深い。
「てめえ、なんて言った?」
千葉がつっかかる。その戦力で前線に攻め込んで大丈夫か? 策はあるのか?
貧乳特有の感度の良さや形の美しさを武器にしようとするならば証明せねばならんぞ。まさかこの場で制服を脱いで白兵戦を挑むわけにはいくまい! よし、俺は止めん! 第三国の俺、傍観をキメる所存!
「ちょっと、二人とも! 喧嘩はやめてよ!」
天雷がすかさず仲介に入る。
まるで日本とアメリカの間に入ったソ連的立場で、千葉と月岡を引き離す。残念。
「森村君、やっぱり今日はもう練習やめましょう? こんな状態じゃ、曲作りどころじゃないわ」
天雷が終戦を宣言する。
俺も女子二人が争う姿を見るのは趣味ではない。ましてやバスト代理戦争である。
俺には大きいの小さいの、どっちが優れているか判断はできぬのだ。みんな違ってみんな良い。それがおっぱいの幸せ。おっぱいの格差社会など、誰が望もうか。
「そうだな。だがひとつ言っておくぞ。こんなイタズラが原因で、俺はお前たちとのロックを辞めるつもりはないからな」
と、俺は頭の中がおっぱいに支配されていることなど微塵も出さずにかっこよく宣言した。
「また明日、放課後ここに集まりましょう? ね、優雨ちゃん? 希依ちゃんも、それでいい?」
千葉は舌打ちひとつ、月岡もため息で肯定し、天雷の言葉に応えた。
俺も「仕方ないな」という表情を作って、ギターをケースに戻す。
「森村君の言う通りよ。私も今度のバンドは本気なんだからね。変態なんて、つまらないことに惑わされないでよね」
天雷の心強い言葉である。
みんなバンドを組みたくて、ここにやってきた者ばかりなのだ。このネオ・ヴルストに賭ける思いは同じ。
空気を読んだ月岡が一番に地学教室を出ていく。これで一触即発の事態は回避できた。
「優雨ちゃん、私も行くね。森村君も、あの手紙のことは忘れましょう。それと、なんだったら部長にも報告しといた方がいいと思うの。いたずらにしても、なんだか気味が悪いから」
天雷はそう言い残し、教室を出た。
彼女の言う通りである。俺は「ああ、そうしよう」と頷き、机に伏せられたままの手紙を見やった。
その横では千葉が仏頂面で窓の外を眺めている。少しは反省しているのか、それともガラスに映る己が胸の戦力不足を嘆いているのか。それは本人にしか分からない。
そして俺もギターケースをかつぎ、帰ろうとするが千葉が一向に動こうとしないのが気になり、やはりAカップのバストに悩んでいるのかと合点し、彼女に声をかける。
……まったく、おっぱい相談員の俺としてはほっとけないだろうが。
「千葉、何を悩んでいるんだ。お前らしくないぞ」
「悩んでなんかいるかよ。クソッ!」
そんなロックなスラングを使うあたり、強がっている証拠だ。まったく、うちのボーカルはファッキン素直じゃないぜ。
「こんな手紙のこと気にすることないさ。月岡と何があったのか知らないが、お前も本気であんなこと言ったんじゃないだろう」
俺もメンバーに変態がいるとは思ってもいないし、疑ってもいない。胸の大きさが原因でメンバーたちが争う姿を見たくはないのだ。いつだっておっぱい両成敗でありたいものだ。
「ああ、ちょっと言い過ぎた」
千葉は窓ガラスに手を置き、後悔しているようだった。
ガラスに映る彼女の顔は、本当に申し訳なさそうで、さっきまで強がっていた鬼のような表情は見えなかった。
素直で女の子っぽい表情をする千葉に、俺は少し驚いた。
「今日はこれくらいにして、明日こそちゃんと練習しよう」
そう声をかけたのは、今日はもう帰ろうという合図だった。この部屋の鍵は俺がかけなくてはいけないので、できれば千葉にも早く出て行ってほしいという婉曲的な表現だ。
俺くらいになるとそういった紳士的で気を揉んだ言い方を心得ているのだ。
ロックというと粗暴だとか気が利かないとか、そんなイメージがあるが俺は違う。
「森村。話がある」
「え?」
千葉の思わぬ一言に、帰ろうとしていた俺はギターケースを落っことしそうになる。
まさか千葉は俺と二人きりになるのを待っていたのか?
彼女はボーカルであり楽器の片付けなどをする必要もなく、その身ひとつで真っ先に帰ることができた。なのに今までもじもじと滞在していたのは俺に話があるからだとすると。
俺はなんだか甘酸っぱいものが脳内で分泌されるのを感じた。
「な、なんだよ。話って」
まさか告白――。
男女が二人きりで話となると、告白以外には考えられないではないか。有史以来、そう決まっている絶対の摂理。
俺は背を向ける千葉の背中を見ながら、思わぬラブコメ展開に覚悟を決める。
貧乳がどうしたというのだ。おっぱいに優劣がないのは、俺が一番理解しているはずだ。「大は小を兼ねる」ということわざはおっぱいに限ってはまったく当てはまらない。
考えてもみたまえ。高度経済成長を乗り越えてきたわが国日本は、家電製品などの小型化に精を尽くしてきたではないか。小さいからといって性能が劣るわけではなく、むしろ高性能化してきたわが国の技術は世界一である。
小さいことは誉れ。貧乳の伸びしろ舐めんなよ。
「森村、実は、私……」
場の空気がピンと引き締まる。
放課後、地学教室、男子と女子。シチュエーションはこれ以上ない。
くるりと振り返る千葉に、俺はまっすぐと向き合った。
交わる視線、心までもがまっすぐつながったような気がした。
「ち、千葉……」
俺は目の前で柄にもなく恥じらう千葉に微笑みかけようとしたが、うまく笑えない自分がいた。こんなとき、どんな顔すればいいの? 笑えばいいの?
ラブコメが俺に降ってくる。そう思ったとき。
「……変態は私かもしれない」
「へ?」
頬のあたりを朱に染め、お腹の前で手のひらをすり合わせている千葉は、ヤンキーどころか乙女のようにもじもじして、そう告白した。