どんな悩みがあれども、生きていると時間だけは平等に過ぎ去っていく。
午後の授業は上の空で如何ともしがたい空虚な二時間であったが、それが終わると放課後という生徒たちのエルドラドはこんな俺にも訪れる。
悩める羊とはよく言うが、きっと今の俺の方が悩んでいる自信がある。どうせ羊の悩みなんてくせ毛とかテンパとかその程度のもんだろう。間違いない。
HRが終わり、俺はすぐさま教室を出る。
俺にとっても例外なく待望の放課後なわけだが、どこかバンド練習を行う地学教室に向かう足が重い。
昨日は千葉からドMの告白をされ、今日の昼休みには天来の露出癖が露呈された。
このメンバーたちの変態性は本人と俺だけの秘密にしておかねばならない。あの不穏な手紙の存在もあるので、これ以上メンバー間で不信感を招くことはご法度だ。
「あいつらの秘密は俺が守る! じっちゃんの名にかけて!」
日本ロック界におけるじっちゃんとは内田裕也ですよね?
そんな俺の内に秘める決意とは別に、地学教室に近づくにつれ、俺はだんだんと不安になってくる。
また千葉にドS行為を強要されるのではないか。扉を開けるとまた天雷が真っ裸でベースを弾いているのではないか。
トラウマとはこういうことなのだろうか。なんだか胸がドキドキしてくる。
もしかして恋? 否、ただ変態と関わりたくないだけだ。南無三。
特別棟の三階に上がる。昼休みとは違い、文化部の連中が廊下をうろうろしている。すでに合唱部がウォーミングアップに「アメンボ赤いなアイウエオ」などと狂気的な声を出している。赤いアメンボってなんだよ。シャア専用じゃなければ怖すぎるだろ。
しかし今は校舎内からはそれくらいの音しか聞こえてこない。つまり、我がネオ・ヴルストのメンバーたちはまだ練習を開始していないということである。
俺は天雷がすでにマッパでベースを弾いている可能性が排除できたため、小走りで地学教室へ向かう。もし千葉がいたら放置プレイ任意続行中として、なんとか先延ばしにする所存であります。
俺は安心してその地学教室に足を踏み入れる。まだ誰も来ていなかったなら、昼休みにできなかった自主練をして待とうと思う。俺は意外と真面目なのだ。
「お。森村。早いじゃん」
「月岡」
そこにいたのはストレッチをこなしている月岡希依であった。もうひとりのメンバーで、ドラマーだ。
ちなみに彼女がネオ・ヴルストの中で一番胸が大きい。巨乳越えの爆乳の称号を持つ、偉大なるおっぱいドラマーである。
「お前こそ早いな。準備万端ってとこか?」
入念なストレッチを繰り返す月岡は今日も学校指定のジャージ姿で、彼女の爆乳がこれでもかと強調されているのはジャージのサイズが小さいからなのか、それとも彼女の爆乳が規格外だからなのか。
どっちにしても俺は日本のアパレルメーカーのサイズ感に頬を緩ます。ジャージメーカーもここまでブリリアントなバストを持つ高校生がいるなんて予想だにしなかったのだろう。
「ドラムを叩くには怠けていられないしさ」
「お、おう。そうだな」
月岡は背中で両手を組み、右へ左へ体をくねらせている。わき腹のあたりを伸ばしているのだろう。
当然、胸を張るような態勢になるので、彼女のおっぱいは前方へつき出され、まるで3D。わがままなバストは立体的に襲いかかってくる。
いかん、眩暈がしてきそうだ。俗にいうおっぱい酔い。
「暇だったらストレッチを手伝ってくれない? 背中を押してほしいんだけど」
そのまま床に座り込み、大股を広げる月岡。
俺も断る理由はない。自主練なんていつでもできることだ。
「こ、こうか?」
俺は月岡の背中に触れるまでもなく、彼女はぺたんと上体を床にくっつける。補助なくとも月岡の体は非常に柔らかく、後ろに立つだけで彼女のシャンプーの匂いがぷんと鼻腔を突く。
「もっと背中を押してくんない?」
「あ、ああ」
俺は彼女の小さい背中に両手を置き、ぐいぐいと押し込む。
するとどうしたことだろう。まるでゴムボールをついているような弾力が手のひらに返ってくるではないか。
こ、これは!
月岡の爆乳が床に弾み、その跳ねっ返りがダイレクトに俺に伝わってきているのだ! まるでバインバインと弾むように、俺は今、月岡のおっぱいをドリブルしているかのよう!
「こ、これでいいか?」
軽く背中を押し込むと、その力の3倍以上の弾力で跳ね返ってくる。
「ああ、助かる」
対して月岡はなんの違和感もないように、ストレッチ運動を繰り返しているようだ。
バインバイン。
違う。これはストレッチなんかではない! ストレッチの皮を被った合法的なエロ行為だ。ありがてぇ! ありがてぇよ!
「は、はうあ!」
俺はその月岡の背中の向こう側にあるおっぱいの存在にばかり気を取られていたが、ふとその手のひらの感触に気が付く。
ブラのホックであった。
俺としたことが分かりやすいアトラクション的な快楽に興じ、男子高校生にとっては未開の器具であるブラホックの感触を味わうことを忘れていたのだった。
考えてみてほしい。健全な男子高校生がブラのホックに触るという機会がどれだけあるかを。
イケイケのヤリチン男子ならばその機会は星の数ほどあるだろう。しかし普通のピュア男子ならば、隕石が自分の頭に直撃するくらいの確率でしか体験できないはずである。もはやスーパーレア。運極である。
それを今、俺はジャージ越しとはいえ体感しているのだ。しかもスーパーおっぱいの持ち主である。どれだけ課金したって滅多にお目見えできない経験が今ここに!
「森村、もう少し強めに押してほしいんだけど」
両手を伸ばして思う存分にストレッチしている月岡に話しかけられ、俺は現実に戻る。
「ああ、任してくれ」
俺は引き続き、この素晴らしい世界でバインバインと月岡の背中を押し続ける。ストレッチという名のもとに、間接的ではあるがおっぱいの柔らかさを堪能できているのだ。
届きそうな位置にありながら、それをダイレクトに触るには敷居が高くリスクをも伴うと尊い存在である。
俺はいつもおっぱいに対し敬意を持ちつつ、いつかドチャクソ揉みしだきたいという欲望を隠し持っている。いかんせんその欲望をさらけ出すわけにはいかない社会的な理由があるため、俺は我慢する。いつか手に入れるぜ、おっぱい&ビッグマネー。
そして今もこうやって月岡の背中、そしてブラのホックに触れつつ、その欲望を隠しきっている俺は実はすごく出来た男だと思う。出来ていない並の男ならば後ろから抱きつき、「俺じゃダメなのか?」とかクサいことを言って欲望のままに彼女のおっぱいを蹂躙していることだろう。はしたないことである。
しかし俺はいたって紳士的に、まるでイギリス人のような気高さで、月岡のストレッチを手伝っているのだ。超ジェントルマン。
だがどうだろうか。人類にはいつも予想だにできないトラブルはつきものである。
たとえば俺がこうやって月岡の背中を押しているうちに、運悪く背中のブラのホックが外れてしまい、拘束が外れたFカップのおっぱいが野に放たれるというハプニングが起こり得るということだ。
天災は誰にも予想できないことを示したことわざもあるだろう。確か「地震・雷・火事・おっぱい」だっけ?
もしそんなエマージェンシーなことが起こるとどうなるだろうか。
月岡のバインバインと跳ねていたおっぱいがジャージの中で自由行動。もはや制御不能である。
ストレッチどころではない月岡は頬を赤らめ、きっとこう言うだろう。
『森村、私のおっぱいがヤバイ! なんとかしてよ!』
俺は月岡の懇願に応えるべく、暴れるおっぱいを優しく、そして確実にこの手に仕留めるのだ。
『この暴れん坊のおっぱい大将軍め! 俺が裁いてやる!』
月岡のやんちゃなおっぱいを抱える俺はおっぱい奉行。この俺に裁けぬおっぱいなど、ない!
俺は器用に、そしてその感触を堪能しながら、月岡のおっぱいをブラジャーに追い込むことに成功する。
『マジサンキュー森村。私の胸の右大臣と左大臣はもうあんたのもんよ』
『苦しゅうない。両成敗してやろうぞ!』
そうして俺は夢が詰まったおっぱいをじっくりと味わうのであった。めでたしめでたし。
……って、なんの話だっけ?
「月岡さん!」
そんな妄想を繰り広げていたら、突然月岡の名を呼ぶ声とともに教室の扉が開かれたものだから、俺は驚いて尻餅をついてしまった。
ちなみにブラのホックはそのまま、外れてはいない。チッ。
「あ、山田」
前屈していた月岡はこの山田が来るのを待っていたかのような声を出す。
俺と月岡の官能的なストレッチを邪魔して乱入してきたのは山田という男らしい。ここまで走ってきたのか、はぁはぁと息が荒い。何を興奮してるんだ、こいつは。はしたない奴め。
「あれ? 誰ですか?」
一方で山田の視線は俺に突き刺さった。
この山田という男子、くりくりの坊主頭で野球部の判を押したような奴である。すぐ磯野をキャッチボールに誘いそう。
こんなとんちき坊主が一体月岡に何の用があるというのだ。お前にこの爆乳はまだ早い。家に帰って磯野を誘ってキャッチボールでもしとけ。
というか俺と月岡の妖艶なストレッチを邪魔して来るとはなんと空気の読めない奴だろうか。絶対あいつ出世しない。一生ベンチだ。
「お前こそ誰だ? これからバンドの練習なんだ。出て行ってくれ」
俺は山田の登場というか存在自体を断固拒否した。
「月岡さん、持ってきましたよ!」
しかしこの山田は俺の拒絶をものともせず、ずかずかと教室に入ってくる。なんというメンタルか。もうオリンピック目指せよ。
「サンキュ!」
屈んでいた月岡も立ち上がり、なぜかお礼を言う。むしろ歓迎モードである。
どこか俺の方が邪魔者扱いで、なんだか居心地が悪い。
「おい、月岡。ストレッチが終わったんなら、練習始めるぞ」
俺もその居心地の悪さにじっとしていられず、思ってもいないことを口走った。本心はもっとストレッチをしていたいのである。触れ合っていたいのである。
すると月岡は山田からなにやら透明のビニール袋に入ったものを受け取っている。
「森村、ちょっと待ってて。これがなけりゃ練習にも身が入らないし」
山田も俺の方を不審な目で眺めつつ、その袋を手渡し、月岡には愛想を振りまいていた。
一体この二人はどんな関係なのだろうか。万が一付き合ってるとかだと山田のことをディスるわけにもいかず、込み入った無粋なことも聞けないまま、俺はなんだか胸の中がくんくんとする。
「じゃあ、月岡さん。僕も部活に行くよ」
「うん。また頼むわ。マジサンキュー」
山田は意外にも月岡に袋を渡すと、あっさりと教室を出て行ってしまった。しかし「また」という月岡の関係継続を匂わす発言が少々気になる。
「ごめん、森村。ちゃちゃっと終わらすから」
終わらせる?
俺が山田の背中を見送って眉間に皺を寄せていると、月岡がそんなことを言い出した。
そんな彼女の手には山田から受け取った透明のビニール袋がある。ぷくっと膨らんでいるその袋の中には何か白いものが入っているのが見えた。
「それ、なんだ?」
プライベートなことだと思いながらも、俺はつい聞いてしまった。
だって月岡はジャージ姿で膨らんだビニール袋を片手ににこりと微笑んでいるのだ。もし爆乳でなければただのやべー女である。
「これ? 栄養剤みたいなもん?」
疑問を疑問で返された。
ていうか栄養剤て何よ。
「……はうあっ!」
俺はそのキーワードにビクンと反応してしまった。体中にピキュリーンと電撃が走ったようだった。俺、ニュータイプだったっけ?
あのパンパンに膨れた透明のビニール袋。その中のハンカチめいた布。充満した気体。
シンナーやんけ!
月村はあの坊主の山田から上物のシンナーを受け取り、それを栄養剤と称してこれから吸引しようとしているのだ。間違いない!
「おい、月村! それはやばいぞ!」
さすがにロックスターを目指すバンドと言えど、高校で白昼堂々シンナーを吸引するのはアウトッ……! 圧倒的アウトッ……!
俺は月岡の行動を現行犯的に止めようとしたが時すでに遅しッ!
月岡は恍惚の表情を浮かべながら、そのビニール袋に口と鼻を突っ込んでいたのだ。まさしく吸引ッ! 圧倒的吸引ッ!
「やめろ! 月岡!」
シンナーを吸ってぽわんとしている月岡に駆け寄り、その悪魔の気体をぶんどった。