「わ、何するの! 森村!」
突然手をはたかれた月岡は、唖然として俺を睨む。まるで俺のほうが非人道的な行為をしたように、信じられないといった驚愕の表情になる。
「学校でこんなもん吸うんじゃない!」
俺はそのシンナーが入ったと思われるビニール袋を踏みつけ、教室の窓を開けて換気をする。
もし先生が来てこのシンナーの匂いがバレたら、バンド活動どころじゃなくなる。停学、いや、退学。警察のお世話まである。
もう俺はそんなことでバンドを崩壊させるわけにはいかないのだ。
「月岡、思い出せよ! 俺たちはロックの頂点を目指すんじゃなかったのか? まだ俺たちのネオ・ヴルストは始まったばかりじゃないか。それなのに、そんなものに手を出すんじゃないよ!」
ひとりの悩みはバンドの悩みだ。悩みだけじゃない。喜び、怒り、すべてを共有していく。そしていつかロックの頂点に立つのも、みんな一緒だ。
「月岡、知ってるか? バンドって言葉の意味?」
俺の行動と言葉に、月岡は俯いている。
罪悪感はあるのだろう。
俺は月岡の罪を咎めようとしているのではない。彼女を否定しようとしているのではない。
ロックを肯定しようとしているのだ。俺たちのロックを、俺は肯定する!
「バンドとは『絆』という意味だ。同じバンドになった時点で、俺たちは絆で結ばれたんだ。もっと俺を頼ってくれ。お前の悩みは俺の悩みでもあるんだ」
俺は両手を広げ、シンナーに手を出した弱い月岡を受け止めようとした。
すると月岡はぐんと顔を上げ、じっと俺に向き合う。やはり爆乳である。お久しぶりです、おっぱいさん。
「お前、バンドを脱退したって言ってたよな? それが原因か?」
バンドを脱退した傷をまだ受け入れられず、シンナーに逃げるということはありえる話だ。
人はいつだって自分の居場所を探している。心が弱ったとき、逃げ出せる場所を探している。
「森村……」
眉根を落とした月岡は、もう中の空気が抜けてしまったビニール袋を拾った。
やはり中に入っていたのはハンカチのようで、そこにシンナーが染み込ませてあったのだろう。それを売人である山田にわざわざ持って来させ、ここで人知れず吸引しようとしていたのだ。交友関係は気を付けなくてはいけない。悪い友だちを持つと不良一直線である。
「もうそんなものに頼るのはやめろ。お前にはバンドが、俺たちがついてる」
バチっと決めた。決まりまくった。
この一連のイベントで「シンナー絶対ダメ!」という曲ができそうだ。あとで歌詞書いてみよ。
「……」
月岡はくたくたになったビニール袋を手に、無言で肩が震えている。そのたびに胸が揺れている。よし、もうちょっとそのままで。
きっと俺の言葉に胸を突かれたのだろう。まったく、俺マジ伝道師だぜ。
「フフフ、森村……」
何を考えているのか、月岡は笑い始めてしまった。さっきシンナーを吸っていたときの不穏な笑みではなく、こらえきれなくなって思わず吹き出してしまったかのような、自然な笑い。
「なんだ、何がおかしい?」
「ハハハ! だって! マジウケル!」
もうこらえきれないという風に噴き出す月岡に、これが例のブツがキマッてハイになっちゃってる状態なのかと俺は得心した。シンナー絶対ダメ!
「これ、お前が思ってるようなもんじゃないし」
「なんだって?」
月岡が拾ったビニール袋を俺に向けて掲げた。
シンナー以外のなんだというのだ? あの中に入っていたハンカチにシンナーを染み込ませていたのだろう。
できることならばこれ以上罪を重ねずに、俺にだけは本当のことを言ってほしい。しかし今のバチバチにキマッている月岡には無理なのだろうか。
「月岡。これ以上……」
罪を重ねるなと、怒気を含ませ、荒い口調をぶつけようとした。
「これは、汗だし」
「は?」
「汗」
「……汗?」
「うん。野球部の山田が昨日しっかり練習をして分泌された汗を吸い取ったハンカチ」
「……」
何を言っているのだろうか? 山田の……汗?
月岡が何を言っているのか分からず、そして俺もどう反応していいか分からず口ごもる。この怒りはどこに向けていいのかもわからず、つい真顔になってしまう。
こんなときどんな顔をすればいいのか、エヴァでも教えてくれなかったぞ。笑えばいいの?