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第22話 増殖する変態⑦

 しかし男の汗フェチとはどういうことだろうか。汗臭ささはむしろ女子に嫌われる理由のひとつになりかねないが、この月岡にとってはご褒美というのだから人間七不思議のひとつだ。


 これはコロンブスの卵である。自分にとってのウイークポイントが、実は価値あるものであるという発想の転換。あんなとっちゃん坊やみたいな山田の汗が宝物とは!


 俺はじとっと額に汗が浮かぶのを感じた。


「あ、森村、ちょっと待って」


 そういうと月岡はスススッと俺に近寄ってきた。


 このまま俺と月岡が直立したまま距離が縮まってくると、一番最初に彼女のおっぱいが俺に触れることになってしまう。ファーストインパクト期待大。俺も自然と胸を張るのをパブロフの俺現象と名付けよう。


 しかしそんな期待をしている俺はよそに、月岡はインパクト直前にひたと立ち止まり、すっと腕を上げた。


 俺はその月岡の所作をじっと見守ることしかできず、どこか緊張と興奮で前かがみになりかけたそのとき。


 月岡は手にしていたハンカチをそっと、俺の額にあてがってきた。

 そしてポンポンと、俺の額に浮かんだ汗を拭った。


「月岡……、何を……」


「じっとしてて」


 俺は言葉とは裏腹に、拒絶することもなくむしろ頭を下げ、額を差し出す。が、実はここぞとばかりに接近したおっぱいをガン見しているのである。


 月岡のジャージの下には隠れきれないそのボリューム。俺はこの目と、そして心眼をも駆使してそのおっぱいを限界まで嗜む。今だけのハンターチャンス。


「森村の汗……」


 そんな俺の視線と衝動を露知らず、月岡はそうぽつりと呟き、俺の汗が染みついたハンカチをそっと自分の鼻に持っていく。


 俺の汗とはいわば俺の分泌液であり、それを月岡の鼻から吸引するということはむしろ俺が月岡の体の中に入るということであり、つまりナニを挿入するということでもあるに違いない。いや、間違いない!


 その月岡の吸引する姿を俺も何も言えず見つめているうちに、その行動が神聖なことをしているように見えてくるので不思議だ。もっと吸ってくれ、俺の汗の匂いをすってくれとさえ思う。大丈夫か、俺?


 同時に、俺の汗と山田の汗の匂いを比べられているのだ。すなわちこれは査定。月岡による汗のテイスティング。


 これは負けられない戦いである。「あなたの汗、山田よりも臭いし興奮しないわ」などと言われてしまってはもう立ち直れないし男性機能の低下もありえる。


 俺はそんな緊張感に晒されながら、月岡が俺の汗の匂いを嗅いでいる姿を見て、ただじっと待つ。


「……森村。あんたの汗……」


 判決のとき。


 すっと顔を上げ、俺のことを見つめる月岡。俺も彼女の胸から顔を上げ、その視線を交える。


「ああ、どうだった?」


 できるだけ心を整えながら、男前な表情を作ってそう答えた。


 つばを飲み込む音が聞こえそうで、月岡も真面目な顔で俺を見つめ続ける。


 そして意を決したようにそっと瞼を閉じ、次に目を開けると同時に口も開いた。


「……最高じゃん!」


 姉さん、合格です!


 俺の汗は月岡の嗜好に合致し、最高評価Sランクをいただきました!


「そうか」


 と、俺は呟き、小さくガッツポーズをする。ここで大きく喜ぶと、まるで俺まで変態の仲間入りしたようなことになってしまうので、あくまで冷静に嘯く。


 そんな俺の態度に構わず、月岡の方は徐々に興奮して顔が紅潮していた。だってそうだろう。最高の汗だと思っていた山田よりも、ふと嗅いだ俺の汗の方が最高だったからだ。最高を超えた最高。モンドセレクション金賞まである。それが俺の汗。


「私は運動部の汗こそが最高だと思い込んでいたわ。体を動かすことなく分泌された汗にフレグランスもロマンもない。そう考えていたんだけど……」


 月岡はどこか震えているようだった。長年探し続けた宝物をついに見つけてしまったのだ。無理もない。


「でもあんたの汗にはロマンを感じたわ。この絶妙な臭さ、まるで体中が腐っているかのような嫌な臭気を含み、私の鼻腔を猛烈に襲撃するみたい! そう、言うならば無理やり犯されたような、そんな背徳感のある臭み!」


 興奮して話す月岡の言葉に、俺は褒められているのか貶されているのかよく分からない。


 汗が臭いと言われて喜ぶ男などいないが、ここは喜ぶべきシチュエーションというのがもはや異常。


 しかし、俺だけは変態に引きずり込まれるわけにはいかぬのだ。


 俺だけは正常であらねばならぬ。ネオ・ヴルストのリーダーとして、俺が変態メンバーたちを引っ張っていく責任感がある。


 なので俺は汗の匂いを褒められたにも関わらず興味のない雰囲気を出すために「ふふん」と鼻息を吐き出す。


「じゃあ、練習を始めるか」


 と、気のない返事をして、くるんと月岡に背中を向ける。


 ほんまはむっちゃ嬉しいねん! と倖田來未嬢のような関西弁が思わず出そうになるが、心は鬼にして無関心を装う。違うんやで。ほんまはむっちゃ嬉しいんやで!


「ちょっと、森村!」


 すると月岡が食いつき、俺の右肩を掴む。


「どうした、月岡?」


 あえて突き放すような態度を示す。いや、分かるんやで。俺の汗を欲してるんやろ? ええんやろ? ええのんやろ?


「あの、その……」


 すかし気味の俺に対し、月岡は急にもじもじし始めた。

この期に及んで顔なんか赤らめているが、もっと前の段階で恥ずかしがるべき場面あっただろうが。


 もじもじする理由をそれとなく感じている俺は、あえて何も言わず月岡のもじもじの限界突破を待つ。焦らしプレイというか放置プレイというか。あれ? なんかこういう話を最近した気がするけど気のせいかしら?


 すると月岡は体の前でもじもじと手を組み、その爆乳を両腕で挟む。するとどうだろう。ジャージというストレッチ性の優れた服を着ているために、おっぱいがさらに強調されるのである。


 しかももじもじするものだからそのわがままなおっぱいは右へ左へと小刻みに揺れちゃっている。ありきたりな擬音を付けるのなら「ぷるんぷるん」であり、中原中也ならば「ゆあんゆよん」と表現したことであろう。


 そうなってしまうとおっぱい探検家である俺は黙ってはいられない。


 今目の前にあるおっぱいを放っておけるほど、俺は非道な男ではないのだ!


 いいおっぱい夢気分になった俺はしかめっ面をほころばせ、月岡と向き合う。


 おっぱいには恥じらいがよく似合う。


 きっと太宰も生きていたらそう言ってくれるだろう。俺も激しく同意。


「俺に何か言いたいことでもあるのか?」


 攻めにまわった俺の言葉に月岡はびくんと肩を震わせた。


「あの……?」


 月岡は俺の汗が染み込んだハンカチを持ったまま俯いてしまう。

 俺はここぞとばかりに胸をガン見する。


「森村の……が欲しい……!」


 月岡が目線を逸らしながら、そんな卑猥なことを言ってきた。


「ん? なんだって?」


 いまいち聞こえづらかったので確認しておこう。俺の何が欲しいのかによって、その卑猥度は無限大まで広がっていく。可能性は宇宙である。


「森村の……」


「うん?」


 月岡よ、何が欲しいのだ? 言うてみ、ほれ。何がええのんや?


「森村の汗が欲しい!」


 月岡はきっと頭を上げ、俺を見上げる。俺も慌てて彼女の胸から視線を外し、その告白を真正面から受け止めた。


「一度森村のこの汗の匂いを嗅いだら、もう山田には戻れないわ!」


 若干その眼を潤ませながら懇願する月岡の姿に、俺は新境地を開きそうになった。


 だってそうだろう。男とは女から乞われたいのだ。必要とされたいのだ。その目的が汗であっても、気分が悪いものでは決してない。


「俺の汗が欲しいだって?」


 俺はもったいぶって、そして丁寧に演じるように、眉間に皺を寄せながら月岡に尋ねた。


「こんなこと言うと、私のことを変態のように思うかもしれないけど、私にとって汗はダイヤモンド。ロックをするために必要なものなのよ!」


 もうとっくに変態と思っていますけどね。


 俺も変態には慣れっこである。さほど衝撃もなく、汗くらいなら朝飯前まである。


 そんな動じない俺を見て、月岡は先を続ける。


「あんたの汗が欲しい。毎日、私のために汗をかいてほしい!」


 どういうお願いだろうか。私のために汗をかけ、とだけ聞くとなんだか家族のために働く社畜感が出てきてなんだかむずむずしてくる。


「一体、俺にどうしてほしいんだ?」


「毎日私に森村の汗を嗅がしてほしい。このハンカチいっぱいの汗を、私にください!」


 その白いハンカチを俺に差し出してくる。


「しかし、俺は運動部でもないし、そんな汗をかくことなんてないぞ。むしろ体育のあとなんかは制汗スプレーでなるべく匂いがしないように処理してるし……」


 一応、男子高校生。エチケット的なものは考えている。


「せ、制汗スプレー? なんてことしてるのよ! あんなの私にとっては毒ガスみたいなものだし! マジ無神経!」


 毒なんですか? 清潔が誰かを殺すケースもあり得るんですか?


「しかし、あの野球部の山田はどうするんだ? あいつなら毎日練習で汗をかいてるだろうし。俺はそんなに汗をかくようなことはないし」


 どちらかというと俺はインドア派。あんま運動とかも好きじゃないんだよね。だってそうだろう。ロックスターが全力で走ってるとこ、見たくないだろ?


「もう山田の汗に価値はないし。私には森村がいるもの。だから、汗をかいてほしいの。私のためだけに」


「しかし、夏ならまだしもこれからの季節はそんなに……」


 もう十月も半ば。秋の気配が濃くなり、すぐに冬がこんにちはである。普通に生活をしていればそう汗をかくことは少なくなる。


「走って」


「は?」


「毎朝、学校まで走って来て」


「走る?」


「そう。超走って」


「なんで?」


「汗をかくためじゃん」


「で?」


「その汗を私に渡すの」


「汗を?」


「森村の汗は」


「俺の汗は?」


「私のもの」


「月岡のもの」


 なんということでしょう。いつの間にか俺の汗は月岡のものになってしまっている。


「汗が出なきゃ、出すの! 当たり前のことだし!」


 ぐっと拳を握る月岡からは、俺を説得するというよりかは強制させるという意味の方が大きそうだった。


「ハンカチなんてケチなものじゃなくていいわ。むしろタオルで体中の汗を拭いてきて。そして渇くとダメだから、こうやってビニール袋に入れて密封して、放課後のバンド練習のときに持ってきて。いい? マジオッケー?」


 いいのか、俺? なんだか有無を言わせずに話は進んでいく。


 月岡のお願いは、俺への指示となっていた。

 そして俺もいつの間にか断るという選択肢はなく、黙って頷いてしまっていた。


「よかった。これでバンドの練習にもいっそう身が入るし」


 俺の承認を得て、月岡は小さくぴょんと飛び跳ね、同時におっぱいも揺れた。

 それを見て俺は破顔しそうになったが、俺はこの変態と新たな契約を結んでしまったことを実感していた。


「それにしても、千葉と天雷さん、遅いね」


 汗の供給源を確保できた安堵からか、月岡はニコニコしてあと二人のメンバーが来るのを待っている。


 俺はメンバーの中に新たな変態が出現したことにどこか不安になっていたが、月岡に汗を届けることに関してはバンドのリーダーである俺の職務として全うすべき事案ではないかと正当化し始めていた。


 だってそうだろう。ネオ・ヴルストのドラムが汗フェチの変態だということが知れ渡れば、バンドの存続に関わる由々しき問題に発展する。


 これは千葉のドM、天雷の露出癖と同じく隠すべき変態案件なのだ。


 今のところ月岡が汗フェチであることは俺しか知らないのだが、野球部の山田からこの変態性が漏れてしまう可能性だってあるのだ。それを阻止する意味でも、汗の供給ラインは俺が独占してしまったほうが安全なのである。


 彼女らの変態性は、すべてバンドの中で、いや、俺の中で処理せねばならないのだ。


 この変態三人のことは互いにも秘密にし、何事もないかのようにバンド活動を続けていくには、すべてリーダーの俺が責任を持って隠し続けなければいけない!


「俺が、俺がネオ・ヴルストを守る!」


 そのためだと思ったら毎朝のジョギングなんて楽なものだ。


 千葉のためにドS行為をするのも、天雷のために裸で演奏できる環境を整えてあげるのも、リーダーの責任である。


 いまいち納得いかないが、そう思い込むことにしよう。責任感が人を成長させるのだ。器が人を大きくするのだ。


「なんか言った?」


 俺の決意というか諦めというか独り言が聞こえたのか、月岡がきょとんとした目で俺を見つめてくる。


 まったく、こんな凶暴なおっぱいを持っているくせに変態だなんて、神様はキャラメイク失敗してるぜ。余計なスキル持たせすぎだ。剣しか装備できない魔法使いとか、そんな歪なキャラいねーだろ。


「いや、なんでもない。確かに千葉も天雷もなかなか来ないな」


 すでに放課後になって、二十分ほど経っている。グラウンドではウォーミングアップする掛け声や、吹奏楽部の練習も聞こえ始めた。


 変態勢ぞろいになるのが少し怖い気もするが、ハイスクフェスに向けてこれ以上練習を先延ばしにするわけにはいかない。俺はギターのチューニングをしながらメンバーが揃うのを待った。


しかし、千葉も天雷も練習に現れることはなかった。


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