今日、俺たちのバンド、ネオ・ヴルストの練習は行われることがなく、下校のチャイムをもって俺とドラムの月岡は地学教室を後にした。
ギターの千葉と、ベースの天雷はなんの連絡もないまま、練習には現れなかったのだ。
今日は金曜日で、土日は練習をしないことになっており、このモヤモヤを抱えたまま週末を過ごすことになってしまった。
俺は家に帰り、今後の活動方針を考え直すことにした。
世間は花金なんて浮かれ気味かもしれないが、俺は浮かれるわけにはいかないやんごとなき事情があった。
机に向かい、白紙の譜面を眺めながら、これからすべきことを考える。
「まずは、何よりも曲作りだ」
高校生バンドがまず目指すハイスクール・ロック・フェスティバル。毎年八月に開催されるそのフェスへ出場することが俺たちネオ・ヴルストの目標でもある。
高二である俺たちにとって来年が最後の出場のチャンスであり、そのためには今年の十二月から始まるデモテープ審査までにオリジナル曲を作ってエントリーしなければならない。その曲で審査をくぐり抜け、選ばれし10組だけがフェスのステージに立ち最終審査を迎えられるのだ。
「なんとしても、俺たちネオ・ヴルストの代表曲をあと二か月で作らなくてはいけないんだ」
結成二週間の俺たちではあるが、これだけは絶対だ。
あと二か月で曲ができなければ、すべての希望や夢が潰えてしまう。エントリーさえもできず、スタートラインにすら立てずに終わることだけは絶対に避けたい。
「作詞は千葉、作曲は天雷に任せ、俺と月岡で仕上げていくとして……」
なんとか今月中には基礎となる詩と曲を作ってもらわなければならない。そこからセッションを繰り返し、完成度を上げる工程に入る。そしてレコーディングまで考えると、どうしても時間は足りないのだ。
「しかし、千葉と天雷はどうしたんだ? なぜ今日は姿を見せなかった?」
平日の放課後はとりあえず地学教室に集まることにしている。これが今現在のネオ・ヴルストにおける約束事のひとつだった。
千葉とは今朝教室で、天雷とは昼休みに会ってはいるのだが、肝心の練習の時間には姿を見せなかった。
考えられることは、二人とも作詞と作曲がうまくいっていないのだろう。それで練習に顔を出せなかったとか。
それとも彼女らの変態性が俺にバレたから会いにくくなってしまった?
……ということはないだろう。なにせあいつらは恥ずかしがるような並の変態ではないのだから。
「でも、放っておくわけにはいかないか……」
俺はスマホを取り出し、電話をかけることにした。放課後、二人にメールだけは送っていたが、未だ返信はなかった。
ただ単純に何かあったのかもしれない。たとえば、事故とか……。そんな最悪の事態まで脳裏に浮かび、俺はようやく腰を上げた。
千葉か天雷、少し迷った結果、まずは天雷猫子に電話をかけることにした。
いろいろ心配したが、天雷はあっさり2コール目にその声を聞かせてくれた。
「もしもし?」
「天雷か? 俺だ、森村だ」
向こうの電話にちゃんと俺の名前が通知されているはずなのに、とりあえず名乗っちゃうよね。電話あるある。
「あ、森村君。ごめん、連絡遅くなっちゃって」
メールの返信をしていないことに自覚はあったようだ。その明るい声に俺も少しほっとする。
「いや、どうしたんだ、今日は? 俺と月岡は地学教室に集まってたんだが」
「ああ、その、ごめん。なんだか顔を出しにくくて」
天雷猫子は露出狂で、裸でないとベースを満足に弾けないという性癖をもっているのだ。
昼休み、俺は天雷の裸を見てしまっている。ていうか、見せられた方で被害者は俺の方なのだが、やはり彼女も女子高生であり、同級生でバンドメンバーの俺に裸を見られたとあっては気まずくなってもしょうがない。
しかし俺に会いにくくなるという羞恥を持っていることに、少しだけ安心する。恥じらいをなくした変態は、もうセクシャルモンスターだ。
「いや、気にするな。人それぞれプレイスタイルというものがあるのは理解しているつもりだ……」
バンドのリーダーとしてメンバーのことをできるだけ理解してあげなくてはならない。たとえそれが変態であったとしても、包み込んであげる懐の深さがリーダーには必須なのだ。
「え? あのことって?」
けろんとした声で聞き返してくる天雷。おいおい、それを俺に言わせるのか?
「いや、その、昼休みのことだ。裸にならないと……その……」
露出狂という単語を出せば簡単だが、俺も気を遣える人間だ。いくらロックの人間といえどそんなストレートばかり投げていくわけにはいかない。
「ああ、森村君、私の裸を見たことを気にしてたの?」
「ぇえぇ、違うのか?」
「ふふ、森村君ってピュアね。そんなことで私が恥ずかしがるわけないじゃん」
うわ、なんか俺の方が恥ずかしいじゃん。童の貞丸出しじゃん。うっかりDT感出しちゃったよ。
「これからバンドをやっていくメンバーに裸を見られて恥ずかしがってられないわよ。バンドってもっと生々しくていやらしいものよ? むしろあの状況で服を着ていた森村君の方が空気を読めてなくて恥ずかしがってほしいくらい」
マジすか。あの場面での空気の読み方の正解は、俺も脱ぐことだったんですか?
なんという変態の押し売りだろうか。裸でいることが至極当然と言う天雷の言葉に、俺は喜んでいいのやら、注意していいのやら、興奮していいのやら。心配して損したじゃないか。
よし、とりあえず謝っておこう。変態に合わせて波風を立てるべきではない。変態に入れば変態に従えである。
「ああ、ごめん。じゃあ、なんで放課後練習に来なかったんだ?」
「優雨ちゃんのことよ。森村君の方が心当たりあるんじゃないの?」
優雨ちゃんとは千葉のことだ。
……俺の方が心当たりがあるだと?
「ど、どういう意味だ?」
俺が千葉に対して心当たりがあることなど、あいつがドMで俺にドS行為を強制してくることくらいだ。とりあえず放置プレイということでお茶を濁している状態で、むしろ波風立たずに俺と千葉の間は凪が続いていると言っても過言ではない。
「優雨ちゃんがね、今日は練習を休むっていうから具合でも悪いのかと思って聞いてみたのよ。そしたら、まだ森村君には会えないって言うの」
俺には会えない? まだ?
「それで、放課後ずっと優雨ちゃんと一緒にいたのよ。なんだか優雨ちゃんも理由を言わないし、なんだか不安定で……」
俺が放置プレイだと言ってほったらかしにしていたことが原因か? ていうか、まったくそのことと練習に来ないことが繋がらないのだが。
あいつは今朝、俺の放置プレイの方針に満足していたはずだ。Mっ気を存分にくすぐられていたし、それとバンド活動はまた別の問題だということでコンセンサスを取ったつもりでいたのだが……。
もしかして俺の読解力が足りないだけ? むしろ変態力? いや、そんな力いらねえよ。
「千葉は、俺に会えないって言ってるのか?」
「そう。優雨ちゃんを放っておいて、私だけ練習に行くこともできないし」
放置している俺に対する皮肉かと思ったが、今はそんな詮索もできない。
千葉も自身がドMであることは天雷にも内緒のはずである。だから、俺に会えない理由も天雷には打ち明けなかったのだ。
そう考えると、俺に会えない理由はその変態性が原因であろう。
なぜ千葉は俺に会えないと言うのか。むしろ俺に会っていろいろといじめられたいのではなかろうか? それがドMの気持ちじゃないの? 俺、分かんないよ。
「でも優雨ちゃんを責めないでね。きっと理由があると思うし、私たちもまだバンドを組んだばかりで分からないこともあると思うの」
天雷が俺に頼むような口調で訴えかける。
責めないで、とか言われるとすぐ別の意味に変換されるくらい、俺の中で変態に慣れてきているのが恐ろしい。攻めねーってばよ。
しかしこいつも露出狂の変態だが友達思いのところがあるじゃないか。ほんと、巨乳だし見た目はお嬢様で上品だし、変態じゃなければなぁ。
そんな俺の心の声が届かないように、「ごほん」と咳払いひとつ。
「分かった。俺からも千葉に連絡してみるよ。デモテープを作るまで時間もないし、できれば月曜日からはきっちり練習をしたい」
「そうね。私もこの土日でなんとか曲を作ってみるわ」
気丈に振る舞う天雷だったが、その声はどこか千葉のことを心配しているようにも聞こえる。
「ああ、頼むよ」
「いい曲、作れるように努力するわ……、ックシュン!」
と、突然天雷がくしゃみをした。
「どうした、風邪か? あまり無理するなよ」
曲作りに没頭して病気になったら元も子もない。健康管理もロックには必要だ。
「いえ、早速曲作りをしようとして服を脱いだところで電話がかかってきたから、裸なのよ。そろそろ裸には厳しい季節になってきたわ。森村君も気を付けてね……クシュン!」
ああ、そうですか。裸だったんですか。相変わらず変態ですね。
「それよりも、裸で練習できるような環境は作れたのかしら? 私はいつでもどこでも脱げるんだけど、それじゃあダメって森村君が言うのよ? 私が練習に行く、すなわち裸でプレイすることが前提なので、そのへんの根回しはお願いするわね。ハクシュン」
「……ああ、なんとかする。お大事に……」
俺はそこで電話を切り、天雷の裸プレイを受け入れる態勢を整えるという懸念事項を思い出しては胃が痛くなる。
地学教室の中をカーテンで区切って、その裏で演奏させようか? 後ろから光を当てて影絵風にしてみる? いや、卑猥さが増すだけだ。何より千葉や月岡になんて説明すりゃいいんだよ。
俺の悩みはまだまだ尽きない。それにずっと真っ裸で電話をしている天雷の姿を想像していたらモヤモヤしてきてしまい、そのままスマホでエロサイト巡行しようとしかけたが、なんとか邪念を振り切る。
今はエロサイトよりも千葉のことだ。
彼女が言った「俺にはまだ会えない」という言葉が気になる。
もしかしたら俺が知らず知らずのうちに千葉のことを傷つけていたのかもしれない。彼女のドMという性癖を理解せねばとは思っているが、どこかでリスペクトを欠く言動をしていた可能性もある。だって俺、変態の気持ちとか知らねえし。
千葉とも電話番号は交換しており、俺は意を決して彼女にコールする。
コール音が鳴り響く中、俺は少し気まずい感じもしていた。
俺は千葉の性癖も知っており、その変態性にがっつり干渉している状態なのだ。彼女はドMで、俺にいじめられたがっている。千葉は俺に攻められたがっており、俺はその願望を放置プレイという行為を言い訳に、逃げている状態なのだ。
だってなぜ俺が千葉をいじめなくてはならんのだ。しかもあいつ貧乳だし。ていうか俺、変態じゃねえし。
そんな逡巡の中、もったいぶったように十分なコール音ののち、千葉が電話に出た。