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第30話 そして、変態しかいなくなった②

 結局変態の共存方法も、手紙の差出人も見当がつかないまま、放課後を迎えてしまった。


 朝のことがあってメンバーには会いにくかったので彼女らの交友関係を調べることは慎んだが、万座に関してはそれとなく尋問をふっかけてみた。


 結果、シロ。


 万座のような男がうちのメンバーと知り合いなわけがなく、俺の見込み違いだった。


 となると、やはりメンバーの友人たちとの間のいざこざが原因なのだろうか。そうだとしたら、男子の俺が間に入ることはなかなか難しく、話題がデリケートなだけに解決方法が見つからない。女子の世界ってこわいよ。


 HRが終わり、俺はバンドの練習場所の地学教室へ向かうことにした。


 手紙の件はとりあえず置いておこう。差出人が見つかったからといって、どうすることもできない。あんな手紙で俺たちのバンドは終わらないからだ。


 それにようやく今日が初練習になる。千葉の詞と、天雷の曲がお披露目されるのだ。


「あ、森村君!」


 廊下で俺の名を呼ぶ声がして、はたと立ち止まる。


「真理部長!」


 そこには軽音部の部長であり、俺たちの心の支えである満村真理部長が立っていた。


 今日は髪をひとつにまとめ、肩から胸のほうに垂らしている。豊満なおっぱいにかかっている髪を見ると、その影すらなんだか誘惑を覚えてしまう。


「これから練習?」


 いつも通り凛とした佇まいで、後ろに手を組みながら小首をかしげる仕草に、俺は思わずハートを持っていかれそうになる。


 ここ最近、ド変態の女子とばかり絡んで来たので、真理部長のような透明感のある美人と話をするのは久しぶりで自然と緊張してしまう。


 いや、この胸のドキドキは、そんな単純なものではない。まったく、俺がロックに取りつかれていなかったら、今すぐにでも部長に向けてラブバラードを奏でているというのに。


 そんな甘い考えを抱いていることがバレないように、俺は胸を張ってかっこつける。


「そ、そうです。どうしたんですか、こんなところで?」


 というのも二年生と三年生では教室のフロアが違うので、こんなところで三年生の真理部長に偶然出会うのは珍しいことだった。


 もしかして俺に会いに? と期待を膨らませたがすぐに打ち消す。そんな滅多なことがあるはずがない。


「森村君に会いに来たのよ。ちょっと、お話しいいかしら?」


「え?」


 そんな滅多なことが起きてしまった。


「あ、そんなたいそうなことじゃないのよ。バンド、うまくいってるかなって思って」


 手をぶんぶん振りながら、たいそうなことを否定する真理部長の顔はちょっとだけ紅潮していた。


 なんて可愛いんだ。なんて清楚なんだ。おっぱい見たい。以上、俺の率直な感想でした。


「そうでしたか。ええ、曲作りを今日から始める予定なんです。あんまり時間がないから……」


 廊下で向き合う俺と真理部長。まわりを群衆が行き交っているが、俺と彼女の二人だけは別世界にいるような、なんだかふわふわした空気に包まれていた。


「あ、忙しいよね。ごめんごめん」


「いえ、時間がないって、そういう意味じゃなくって。あの、部室、行きます?」


「そうね。付き合ってくれる?」


 そういうと、俺と真理部長は軽音部の部室である視聴覚室へ向かった。


 放課後になり、次々と教室から出てくる生徒たちにぶつかりそうになりながら、俺は真理部長を守る騎士のような心持ちで廊下を歩む。


 主役は俺、ヒロインは真理部長。今ここだけは俺の青春ラブコメが始まったような気分でいられた。


 俺は黙って後ろからついてくる真理部長を、そっと振り返った。


 一瞬だったが目が合って、にこっと微笑みを俺に投げかけてくれる。俺はキュンとして、顔が赤くなってしまうのを見られないように急いで前を向く。


 癒し。青春とは、心の癒しであるべきなのだ。甘酸っぱく、俺の心を癒してくれる。


 ここ数日、俺は変態について悩みすぎて、心がすっかり荒んでしまっていた。このずぶずぶに腐りかけた心を、真理部長の笑顔ひとつで癒された。マジ、エリクサー。


 いつまでもこの時間が続けば、俺は変態の闇に触れなくて済むのに。


 と、淡い期待はそこまでで、すぐに部室に到着してしまう。


「ちょっと待ってね」


 真理部長がポケットから鍵を取り出し、扉を開ける。


 視聴覚室は二重扉になっており、これは音漏れを防止する目的がある。なので引き戸を締めると気密性と防音性が保てるように、戸の端にはゴムがついており、壁とピッタリくっついて隙間がなくなるようになっている。


 教室の鍵はふたつあり、ひとつは真理部長が常備しており、もうひとつは職員室の鍵置き場に保管してあるのだ。なので真理部長がいない場合は、誰かしらが職員室に鍵を取りに行くことになっている。二つの扉の鍵は共通になっていた。


 ガチャッと鍵を回し、一つ目の扉を開け、真理部長が先に教室に入る。二つ目の扉には鍵がかかっておらず、これはいつものことだった。部長は第一の扉と第二の扉の間のスペースで靴を脱ぎ、カーペット敷きの視聴覚室へと入っていった。


「あれ、森村君。入らないの?」


 俺が廊下に立ち止まっているのに気づいて、振り返り尋ねてくる。


 俺は違和感を覚え、そんな真理部長の声に応えず、静かに第一の扉を閉める。


 すると扉はピタッと壁にくっつき、隙間がなくなる。防音のためにゴムの吸収材がついているからだ。


 俺はその違和感に気付いてしまった。


 これでは扉が閉まったままでは紙一枚、挟むことができないのだ。


 すなわちあのとき、あの手紙がこの扉に挟まっていたとき。この扉は鍵が閉まっていていたのだ。


 ぴたっと壁との隙間なく、そして鍵が閉まっていたので開くこともできなかった。


 俺はトイレに行き、帰ってきたらこの扉に手紙が挟まっていた。


 もう一度言う。この扉、鍵が閉まっているときは手紙を挟むことができないのだ!


 俺は再度、扉を開く、すると、じっとこっちを見つめる真理部長と目が合う。その顔にさっきまでの笑みはなかった。


「真理部長……」


 俺はすべて分かってしまったのだ。


 それを察したのか、部長は俯き、自分の髪を撫でる。


 窓から差し込む夕日の逆光に映えたその姿には、表面的な可愛さだけではない妖艶な雰囲気をまとっていた。


「森村君、教室に入ったら?」


 それでも部長は優しく、俺を招き入れる。


「この部屋の鍵は二つあります。真理部長が常備しているものと、職員室に保管してあるもの」


 今、この部屋を開けたのは、真理部長常備の鍵である。


「そうよ。部長だから、何かあったときのために鍵は私が持ってるのよ。部員全員が知ってることよね?」


「はい。それは問題ありません。俺は気付いてしまったんです。あの日、俺たちメンバーが初めてここで顔合わせをしたときのこと」


 ヴルスト解散を告げられ、新たなメンバーを探してこの視聴覚室に来たのはもう二週間も前のことか。あのときはまだ夏の名残が残っていて、部屋にはどこか蒸し暑さが残っていたように思う。


「それがどうしたの?」


 部長は後ろに手を組み、にこっと笑う。


 さっき廊下で俺に会いに来たときと同じ表情に見えるが、今は意味合いが違うように思われた。作り笑いにさえ見えてしまう。


「部長には報告していませんでしたけど、あの日、部長が帰られてから扉にこの手紙が挟まれていたんです」


 俺は肩にかついでいたギターケースから、例の手紙を取り出した。


『このバンドには変態がいる』


 何度も読み、何度も俺を悩ませたこの手紙。

 俺は折られた紙片を開き、真理部長に見せた。


「……このバンドに、変態がいる……? これは、どういうこと?」


 部長は口元に手を置き、手紙を読んだ。


「俺はこの手紙を読んで、イタズラだと思っていました。明らかに俺に宛てたと思われる内容で、それは俺が新たに組んだネオ・ヴルストのメンバーに変態がいる。まるで俺に告げ口するような眉唾物のイタズラ。いや、むしろ嫌がらせみたいなものです」


 すっかり放課後になっているが、軽音部の部員は誰も部室にはやってこない。みんなそれぞれの練習場を見つけて、そこ活動しているのだろう。俺たちの地学教室がそうであるように。


 しばらく俺と真理部長の二人だけの時間が流れるはずだ。


「誰が、こんなひどいことを?」


「それを、俺に言わせるつもりですか? 真理部長」


 笑顔を浮かべたまま、部長は動かない。


「この扉、鍵が閉まっている状態だと、壁との隙間はまったくないんです。防音のためだと思いますけど、ここにゴムがついているんです。だから、扉が閉まったままじゃ、密閉されて手紙を挟むことは絶対にできないんです」


 俺は扉の中に入り、内側からぴしゃりと閉める。そして手に持った手紙を四つ折りにし、その隙間に挟もうとするが、一向に入らない。無理に滑り込まそうとすると、手紙がクシャッと折れ曲がる。封筒にも入っていないただのルーズリーフを折っただけなので、それは当然のことだった。


「だから、どうしたの?」


「まだ、言ってくれないんですね」


 こんな言葉は使いたくなかったが、真理部長はしらばっくれた。できれば、自分から言って欲しかった。


 ――その手紙を出したのは、私よ、と。


「この扉に手紙を挟むには、一旦扉を開けなくてはいけないんです。ほら、こうやってちょっと開けて、手紙を挟んで、閉める」


 俺はそう説明しながら、ゆっくり扉に手紙を挟んで見せた。もともと気密性と防音性の高い部屋なので、手紙はぴたっとはさまり、ズレ落ちることもない。


「でもあのとき、俺は鍵を閉めてトイレに行ったんです。そして帰ってきたとき、手紙がこのように挟まれていた。おかしいですよね? 鍵は俺が持っていたし、この扉は一旦鍵を開けなきゃ手紙を挟むことはできない」


 そう。あのとき、俺が不在の間に手紙を挟むことができたのはひとりしかいない。もうひとつの鍵を持っていた……。


「真理部長。この手紙を書いてここに挟んだのは、鍵を持っているあなたしかいないのです」


 残念だった。まさか、こんなことをする人だと思っていなかったから。真理部長が、俺のメンバーを変態だと揶揄するような人にはなってほしくなかったから。


 部長は黙ったまま、「ふふ」と鼻で笑って見せた。余裕を見せたというのではなく、白状をにじませるような諦めの笑いのように思えた。


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