「はぁ? お前が書籍化?」
俺の報告を聞いた山本の第一声は、それだった。
俺の期待通り大きな声で、その声は教室中に響き渡り、昼食中の生徒たちの視線が山本に集まった。俺は、優越感に浸った。
「昨日、連絡があった」
「なんて出版社?」
「ストライクブックス」
山本は「聞いたことねぇなぁ」と上から目線で眉間に皺を寄せた。
お前は自分の知っていることが世の中のすべてだと思っているのか。それとも俺が嘘を言ってるとでも?
バカか、お前は。それなら俺もお前の書籍化も信じられない。あんな駄作が書籍化されるなんて、おかしいだろ。身の程を知って発言しろ、クソブタ。
俺はストライクブックスの
この学校で書籍化作家なのはお前だけじゃない。俺も書籍化作家・きのりんになったのだ。これからはお前だけでかいツラさせとくわけにはいかない。
俺の「異世界ハーレム戦記」を散々オリジナリティがないとかリアリティに欠けるとかディスってくれたが、俺は結果を出した。お前の見る目のなさを恥じろ。謝れ。土下座しろ。この報告は、山本に身の程を知らしめる意味もあった。
「ふーん、良かったじゃん。あの小説が、書籍化ねぇ? ストライクブックスとかいう聞いたこともない出版社から? ふーん」
相変わらず山本は鼻をふがふがさせながら、ブタみたいに二酸化炭素を吐いている。地球温暖化を止めるためにはまずこいつを抹殺するのが効果的じゃないかと思えてくる。
こいつは俺に謝るどころか、書籍化の事実を認めたくないようだ。小さい奴だ。かわいそうに。悔しいのだろう、俺が、書籍化作家になることが。そりゃそうだ、これから俺は軽くお前を越えていくのだから。
「ラノベに進出するのが初めてらしいから。第一弾が俺で」
仕方ないから教えておいてやろう。ストライクブックスはラノベレーベル立ち上げにあたって、俺の「異世界ハーレム戦記」をフラッグシップとして選んだのだ。
お前の「異世界で始めるエリート生活」がブルードラゴンブックスから十把一絡げで書籍化されるのとは価値が違う。俺はストライクブックスのラノベ第一弾として華々しくデビューするのだ。同じように思ってくれるな。むしろひれ伏せ。
「新参の出版社か。有名で実力がある作家は大手が押さえてるからな。お前みたいな奴に白羽の矢が立ったってわけか。ストライクブックスもチャレンジャーだな!」
負け惜しみにしてはダサい言い訳だ。皮肉にもなってない。悔しいなら悔しいって正直に言えよ。まだ何も結果を出していない山本が、なろう作家を代表して生意気なことを言っているのは、微笑ましかった。
これで俺も山本も、書籍化作家として同じプロの舞台に立ったのだ。ここからは結果がものを言う世界だ。売れたほうが正義なのだ。
こいつ、それが分かってるのか? ていうか、自分の小説が売れるとか本気で思ってるのか? どれだけ頭の中お花畑なんだ。自分の見る目のなさを少しは恥じろ。
「ていうか、編集者と直接会ったのか?」
「週末、会うことになってる」
俺はあれから何度か靭崎氏とメールを交換し、今週の土曜日に直接会って話を聞く約束をしていた。山本に言われるまでもなく、俺もきちんと手順を踏んで書籍化への道を歩んでいるのだ。先輩ヅラしやがって。
「あっそ、これからが大変だぜ。ネットに投稿したまま書籍化できるってわけじゃないからな。俺も最近は徹夜で改稿作業だぜ。俺も週末、ブルードラゴンブックスの担当と会って、イラストをどこに入れるかの打ち合わせがあるんだ。ここだけの話、絵師さんが鯨山プン太さんに決まったんだぜ。すげえだろ? さすが大手のブルードラゴンは絵師のレベルが高いからな。すでにキャラデザのラフとかも上がってきてるしな。まあ楽しみにしててくれよ」
知らねえよ。誰もお前の近況報告聞いてないわ。
大手は絵師のレベルが高い? まるでお前が有名作家みたいな言い方だな。お前なんかその大手の出版社様のおかげで書籍化してもらっただけだろうが。自分の手柄みたいに言うなよ。
山本に報告したのは、時期尚早だったかもしれない。もしかしたら俺の小説が発売された後に、本そのものを目の前に突き付けてやったほうが効果的だったかもしれない。
「じゃあ、俺、忙しいから。まあがんばればいいんじゃない?」
山本はそう言って、俺を拒絶した。
なんという態度だろうか。自分だけが特別じゃなくなったことが、悔しいのだろう。お前はこれから訪れる未来を想像して震えとけ。すぐに俺がお前なんか追い抜いて、書籍化作家としての地位を築いてやるからな。
しかしさっきから山本が大声で喚いてくれたおかげで、周りに俺も書籍化するということが周知できたのは、収穫があった。自分のクラスではないが、おそらく山本のときのようにすぐに俺のクラスにも噂は広まってくれることだろう。
「橋の小説も書籍化されるらしいぜ?」
「え、あの『異世界ハーレム戦記』?」
「そうそう。隣のクラスの山本だけじゃなく、橋も書籍化作家らしいぜ」
「すごいな。この前、あいつのネタ帳をバカにしてた俺らは見る目がなかったな」
「そうだな。プロの目には留まったんだからな。俺もちゃんと読んでみようかな」
「ああ、クラスメイトがプロの作家になるんだから、応援してやらなきゃな」
――こうなるに違いない。あいつらも、俺が世間から認められれば手のひらをひっくり返して俺にすり寄ってくるはずだ。
文芸部の佐々木だって、自分の書いたものが本になるということの偉大さが理解できるはずだし、吉岡からももうキモイなんて言わせない。俺の書いた「異世界ハーレム戦記」が本になるのだ。その栄光にひれ伏すのだ。
実績は何よりも優る。すべてがひっくり返る可能性を秘めている。これまでの俺への態度や言葉遣い、眼差し、リスペクト、すべてだ。
俺は山本の教室を出て、自分の教室へ戻った。
山本への報告はあいつへの宣戦布告というか復讐の意味合いもあったのだが、実はひとつ聞きたいことがあったのだ。
俺は週末にストライクブックスの靭崎氏と会うことになっているが、そこで契約の話も聞くことになっていた。契約、というのはすなわち印税とか、そういうことだろう。
本の定価のうちの何%かが印税として作者に支払われる。ネットで調べたところ、大体が7%~10%が相場らしいが、俺のような出版経験のない新人はできるだけ低く設定されることもあるらしい。
たとえば、本の初版刷冊数×10%、というケースが一般的らしいが、新人はそれが実売冊数だったり、印税率が6%とかだったり、受け取る金額が下がることもあるらしいのだ。
何も俺は金のために書籍化がしたかったわけではない。夢は金で買えるものでもなく、金という見返りが欲しくて書いてきた訳じゃない。それでも、山本の場合、どれくらいの契約をしたのか、基準として聞きたかったのだが、聞くことはできなかった。
まあ今考えるとあいつがまともに答えるはずがないので、聞かなくて正解だったかもしれない。
あいつが出版するブルードラゴンブックスはラノベ業界でも大手である。
対するストライクブックスは、新参者であることは否定できない。印税を比べると、やはり大手には敵わない可能性もあり、そこは俺が良いものを書き続けて良い契約を勝ち取っていくしかないのだろう。
最初から甘やかされるより、俺のように這い上がる方が、達成感もあるというものだ。このへんの向上心の持ち方も、俺と山本の大きな違いである。あんなブタ野郎にこんな意識の高さがあるわけがない。すでに俺はプロ作家として勝っているのだ。
今日はぼっちでも気分は良かった。
しかし、俺が書籍化作家として華々しくデビューした暁には、今のように一人でいられる時間は減ってしまうかもしれない。このクラスメイトたちも俺を見る目が変わり、休憩時間ごとに俺の本を持ってきてサインをもらいに来るかもしれない。なかなか面倒くさいが、それも有名税だと思うことにしよう。俺は休み時間はできればひとりで構想を練りたいのだがね。
そうだ。サインも考えておかねばならない。書店にサイン本を配ったり、サイン色紙を読者にプレゼントすることも今後増えるに違いない。
俺は早速、適当なノートを取り出し、サインの練習を始めた。
KAZMA、というペンネームをどう書くか。書体を崩すにしても限界がある。シンプルな名前のサインはなかなか難しいものだ。こんなことならば橋和馬という本名でデビューするほうがいいのかもしれない。
そんなデビュー後のことを考えているうちに、今日の授業は終わり、残念ながら作家きのりんのサインも完成はしなかった。まあこれはおいおい考えればいい。
俺は放課後になり、さっさと帰ろうと教室を出ると、廊下で山本がもじもじと内股をこすり合わせて突っ立っていた。
「おう、橋」
俺を待っていたのか? そうか、ようやく俺を認める気になったか。俺は軽く手を上げ、山本に近づく。
「あのさ、さっきの書籍化の話なんだけどよ。書籍化の連絡ってどこから来たんだ?」
山本がいきなりわけのわからない質問をぶつけてきた。なんだ、こいつは。空気が読めない奴だな。さっさと俺のことを褒めたたえろよ。
「ツイッターのダイレクトメール」
「は? 『小説家になろうぜ』のサイトを通じてメッセージが来たんじゃないのか?」
山本は何を言っているのだ。出版社が俺に連絡を取ってくる手段など、なんだっていいだろうが。
このネット網が脈々と広がる現代において、人が人に連絡する手段など無限にある。お前は昭和か。「ショセキカ、ネガウ」と電報でも打ってくるとでも思ったか。
「今はちゃんとメールで連絡が来て、土曜日に直接会うし」
「お前、それちゃんとした出版社なのか? ストライクブックスなんてレーベル、聞いたことがないぞ?」
そりゃそうだ。俺の作品がラノベ進出の第一弾になるのだから。まだ公にはされていない情報であり、この山本のような末端の人間にはまだ知りうる情報ではない。俺が特別だから、知り得た情報なのだ。それにイチャモンをつけてくるなんて、こいつ、本物のバカか。
俺は山本の嫉妬に狂った戯言など聞き流し、さっさと帰ることにした。こいつに相談しようとしたことがアホらしかった。やはり自分のことは自分で考えなくてはならない。
「おい、橋。お前……」
背後で山本がキャーキャー喚いていたが、放課後の喧噪により簡単にかき消されていた。
俺は山本の戯言に付き合っている暇などない。さっさと帰ってサインの練習と、pixivで俺の作品の世界観にマッチした絵師さんを探すのだ。そして土曜日に靭崎氏と会った時に提案しようと考えている。
すでに表紙のイメージも俺の頭の中では固まっている。ミナを中央に配し、カズマがその脇を固める。そうだ、帯にはどんなことを書こうか。
いや、あとがきだ。あとがきにはストライクブックスや靭崎氏への感謝はマストとして、何を書くか今から考えておかねばならない。
「忙しくなるぞ!」
こうしちゃいられない。書籍化が決まるとはこういうことか。俺の生活が一気に加速して、忙しくなる。山本なんかに構っちゃいられない。
俺はさっさと学校を後にし、家へ帰るのであった。