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第6話 悪魔の掌

焼けるような息が喉を突いた。

肺は金切り音を立て、

本能的に呼吸をしようにも

空気が入って来ず

呼吸と名ばかりな行為になっていた。

破れかけている肺のせいだった。

ボロボロの肺がただ空気を振動させていた。


呼吸しやすいように体を起こそうとするが、骨の軋む音だけが虚しく鳴る、指すら動かせない。

 右足は膝から折れ、左肩はとっくに潰れていた。

剥き出しの肉が空気に晒され、血液で灰色の地面を赤く染める解体人は、潰されそうになる。

文字通りに。


──いや、もう潰されていたのだ。


 地面を蹴ろうとしても動かず。傷だらけの背は言うことを聞かず、状況を確認しようとしても片目は腫れて充血で曇る。   


「殺す。殺す。」


そんな中で黒い影は依然として蹴り続けていた。


 そのせいで筋肉は打撃を喰らった方向から内側に凹む。同時に周囲の筋肉を勝手に収縮させてしまう。

収縮するから、筋肉も異様に引き締まって血管も引きちぎってしまう。


「殺す。殺す。」


 もはや限界などとうに越えた。不思議と痛みは

ない、これは神経が痺れたせいか、

それとも目の前の男──盲目の異形。

その全身から放たれる重圧によるものか。


だが、それを考える時間もすぐに過ぎ去った。


そう、一瞬で悟った――終わってしまう。


しかし、その終わりの寸前。

静かに、けれども確かに“それ”はあった。


誰かの瞳。

背後で、声もなく見守っていた“あの眼差し”が、脳裏に差し込む。

背後に見えないはずの存在が見える、眼が背中についている人間になった気分だった。




同時に見えてしまったことに気を取られる

それは瞬間的ではあった。

けれどその瞬きな断片が、確かに、何かを接続させた。


 まるで脊髄に迂回路が生まれ、神経が異常な経路で再結線された感覚だった。

筋肉が軋み、骨にひびが入り、肺の破れ目すらも無理やり鳴動したかのようだった。


同時に耳元で、誰かの声が響いた気がした。

熱を帯びている、“形のないもの”が頬を撫でる。


それは、かつて触れたことのある感触だった。


──女の手にある火だ。つまり俺が見た

俺を見ていた存在は──


思考が現実に戻り始める


まるで死んでいた体は動き始める


 男の体にはまだ未使用の部分があった。

普段の行動パターンで扱えない、人間が極限状態にいても解放されない部分。

 人間が無意識に封じていた、習慣や体の造りであった筋肉の癖、呼吸の癖、まばたきの間隔――。これらにより永遠に扱われない部分がある。


その全てが一瞬で統合された。


身体の奥底、“まだ死んでいなかった部位”。


 男は口を開かず、目も動かさず。

ただ立ち上がる。


皮膚が裂け、骨が鳴る。

内臓の位置を自らの呼吸で調整しようとしてもできない。

それを補うみたく、身体が燃える。

体が火で燃え盛る。

 その火でみるみると傷は焼かれ、出血が止まる

同時に火で血圧は強制的に上昇させてられてしまう。

おかげで心臓の鼓動が早まり血が早く作られるようになる。

燃え盛り続ける火、それで気流ができる。

呼吸ができなかった肺に気流が空気を運ぶ。


(動ける!)そう思った解体人だった。


 次の瞬間立ち上がったばかりの解体人の姿が、空気、気流、炎、ごと“前へ跳ねた”。


 音はなかった。

動作は最短距離だった。

狙ったのは──影の、肩の付け根。首付近




ただ“正しい一点”を射抜くような、素早い一撃。


血飛沫が飛ぶ。


宙を切った解体人の攻撃が、影の肩を裂いた。

解体人の肩に刺さっていた斧の破片によるものだった

皮膚が破れ、黒い繊維のような筋肉が露出し、腐ったような血がひと筋、滴った。


止まる。

黒い存在、黒い影、盲目なる存在は、その場で静かに立ち尽くす。


「……理解した」


低く、芯の通った声が落ちる。

声に怒気はない。だが、明確な“評価”が宿っていた。


「先刻の一手……的確。血流の加速で速度が速まる」


彼は体に来ていた服をゆっくりと脱いだ。


目的は傷の確認


及び


 「名は──ベックオ・メロスト」


名を明かすと同時に、彼は腕に巻かれた金属装飾を静かに掲げた。


『子爵直轄・禁衛懲戒隊 所属 ベックオ・メロスト』


だが、その“名乗り”の行為に、解体人は無言で左手をかざした。


音すらなかった。

その動作は、明確な拒絶だった。


それは攻撃、あるいは侮辱行為ですらない。

ただの、拒絶。


 「名乗りは、要らない」

口に出さずとも、空気がそう告げていた。


ベックオの顔がわずかに動く。

それが苦笑なのか、ただの“音の収集”なのかは分からない。


そして、右の口角だけをわずかに持ち上げながら、言葉を継いだ。


 「強き者、問題なし」


以前のように異様な形になりながら走ってくるベックオ

間髪を容れずに攻撃をする。


ザシュ!


しかし折れていた。金属のような彼の腕が、手のひらが、何段にも折れる。


「指一本壊せば、まともに力は出せない。その腕じゃあ、なおさら無理だろ」


解体人が淡々と告げる。嘲るでも、笑うでもなく。

ただ事実を確認するように。


「それに──ベックオ。お前の“あれ”は、掌を深く強く握り込まないと発動しない。……違うか?」


名を呼ばれても、ベックオは何も答えない。

その代わり、かすかに身を沈めると──再び地を蹴る。


鋼のような脚で、傷ついた体のまま、全速力で迫ってくる。

応えるのは、言葉ではない。ただひとつの動作、それだけ。


解体人は迎え撃つ。

先程と同じ手筋、同じ構え。

今度はもう片方の腕──その根元から、叩き折るつもりだった。


ザシュッ──!


またしても正面からの激突音。だが、今回は違った。

砕けたのは金属のような腕ではない。

割れたのは、斧。

斧の破片が宙を舞い、金属が粉々にされる不自然な音が辺りに散った。


そして──沈黙の中、低く、確かに声が響く。


「“掌”は……もう一つ、存在する」


その瞬間だった。音が変わる。


ベックオの上半身が、不意に沈む。

いや──沈んだように見せかけて、動いたのは“顎”。


口を開けた。噛みつくように。

だが、それはただの咬撃ではなかった。


 顎を突き出すと同時に、彼の首筋から背中にかけての筋肉が“動き出す”。

捻る、いや、螺旋を描くようにねじれ、重力を騙すかのように身体を“引き下ろす”。

 それは加速だった。咬む動作を起点に、首から肩、脊柱、骨盤へと一気に力を伝導させる。

咬むという一点に、全身の駆動を乗せて──一撃を加速させる。


それが、ベックオ・メロストの語る「もう一つの掌」だった。

本来“噛みつく”という行為に用いられる顎の開閉動作は攻撃行為である

しかしベックオ・メロストはその筋肉構造をただ加速するために利用した。それにより体幹の回転を増加し、移動、打撃すべてに異様な推進力を与える。


 噛みつきだけではない、ベックオ・メロストの攻撃は掌を握り込むことで体の筋肉を動かして、動力を増加させる。

だからそれに近しい効果を発揮する噛みつきを、その口を、ベックオは“掌”と呼んだ。


 掌ではない、だが、力を乗せる“支点”として存在するもう一つの起点。

それを咬合運動で補う、異様な構造。

まるで、体内に存在する未知の歯車が、噛み合い、回り出したかのような──異様な加速。

解体人が知っていた世界観と明らかに違うものがあった。ただの肉体利用ではできない行動。


それで打撃は明確に強くなっていた。

ただ拳を動かすのではない、ただ拳を戻すのでもない。

噛みつく構えを“利用する”。

その違和に、解体人も一瞬、反応を遅らせる。



「……ベックオ・メロスト」

呟くように、解体人はその名を反芻した。先ほどベックオ名乗ったそれを繰り返す。


「お前は……肉体だけじゃない」


疑問はない。

炎を纏う己の異能――

それは

筋肉の動き、皮膚の汗腺、血液の流れ、全てを通じて、自らの体を“焼く”ことで爆発的な出力を得る。


ベックオの戦い方はそれに酷似している。能力が近いとか、肉体を強くさえるのは同じとか、そう言うレベルではなく、自然では決してありえないない、常軌を逸したものを感じた。


 「答えろ!ベックオ・メロスト!」


ベックオの顎がまた開く。わずかに開いた。


今度はベックオが彼を無視した。


──ギギ、ギギ、ギチ。


 咀嚼音ではない。骨が軋む音だった。

顎を噛みしめ、さらに引き、突き出す。

その単純な動作に、奇怪な音が続く。


彼の顎の収縮が、全身の骨格構造を震わせ始めた。


 頚椎がしなる。胸骨が沈む。脊柱が揺れ、仙骨がわずかに傾く。

そしてそれは、太腿の裏へ、腓骨へ、踵の筋へ──

大河の流れのように、全身へと連動しながら伝播していく。


まるで噛みしめる力が、脚そのものを駆動していた。そして足からまた顎に戻り、全身を動かす。



 この距離ならやつの頭に一発を喰らわせられる。


 頭が打撃を受ければ倒れやすい。重心の問題だ。

そうなればいくらでも追撃できる。


──だが解体人は攻めない。


ベックオはすでに、あの奇怪な動きにより全身のどの位置でも重心は変わらないからだ。

すでにベックオ・メロストは倒れない位置にいつまでもいる。解体人はそう察してた。


それに斧の破片はもうない。

特製の解体液を塗った金属がない今、あの肉体を傷つけられるか不安だった。



 やがて数秒とたち、音が止まる。


 解体人は、わずかに目を細めた。

──来る。


次の刹那、ベックオ・メロストの姿が消えた。


遅れて、消えた音が来た。


だがしばらくしても音は消えない、それどころか近づいてくる。

 それは、鉄を断つような斬撃音ではない。

 肉を割くような濡れた破裂音でもない。


それは──


“噛みつき”だった。


 ただし、人間のものではない。

「人間の形をした口」そのもの。


 人の大きさほどある、数多の“口”だけで構成された得体の知れぬような“咬音”と言うべきか。


それでいて、あまりに異様だったために、もはや“噛みつきの音”とは思えなかった。


 解体人の耳が軋む。

本能が、数秒遅れて理解した。


──あれは、ただの肉体じゃない。

ベックオ・メロストは、“顎の収縮”によって全身の推進を操作していたのだ。その過程の動作によって音が発せられていた。



「神術相手、手加減は不要だ」


(神術...能力のことか?)


燃え盛る自分を見て、解体人は気づく


ただ咬むだけじゃない。

顎の筋力と骨格震動を利用し、肉体を弾丸のように打ち出す。同時に大気を振動させる、その能力を駆使している。




             テノヒラ

「掌」ではない、もう一つの“駆動装置”。


それが、彼の言った――


「“掌”は……もう一つ、存在する」


──その意味だった。


「……あれが、お前のもう一つの“手のひら”か」


 気持ちを落ち着かせるために解体人は深く息を吸う


彼は深く息を吸い込んだ。

肺の奥まで、灰が沈んでいく感覚。

喉が焼けるように痛んでも、どこか懐かしさすらあった。ずっとここにいたのに。

──ああ、やはり変わっていない。

超常現象に出くわしても変わらないこの地。


灰が舞っていた。

音も、輪郭も、すべてを曇らせるように。


この地では風が吹かぬ。

火は灯らず、鐘も鳴らず、木すらも生えない。

ただ、灰が降る。それだけだ。


それ以上もそれ以下もない。

だからこそ――


「……俺が有利ってわけだ。」


口元にわずかな笑みを浮かべ、男は一歩を踏み出した。


「来い!」


「殺す。」



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