「たく、何度も体のうちを狙う攻撃は飽きてんだよ。……殺す。」
血に塗れ、皮膚の半分を失ったガルシドュースが、煙の中に立ち上がっていた。
数瞬前、彼は確かに蛇の体内で煮え立ち、肉も骨も溶かされたはずだった。
誰が見ても絶命。そうとしか思えぬ光景だった。
だがそれは――彼自身が仕組んだ“贄”にすぎなかった。
蛇に呑まれる寸前、ガルシドュースは己が溶ける前に肉体の奥深くを爆ぜさせていた。
体内で、臓腑で、骨髄ごと血肉を焼き、炎と変えて外へと散らしたのだ。
その爆発で重要な脳や心臓などを守り、肉体の最奥部ギリギリまで削って、最小限の体格で外に送り出し、溶けた外殻へ移動した。
そのまま気づかれないで、地面に溶けた落ちる体と共に、それに乗って流れ出た。
溶かされていたのは、置き去りにされた殻。
自分の肉体を皮として焼かせることで、体積を小さくして脱出し、そこから再生していた。
「……贄にされるのはいつも俺の体だ。だが、死ぬのは俺じゃねえ」
血の海から新たな筋肉が芽吹き、皮膚が張り、焼けただれた肉体が再構築されていく。
脱皮した蛇が殻を置いていくように、彼は幾度でも殻を焼かせ、己を残す。
ゼレヴェナフィヴァン姫は眉一つ動かさず、冷ややかに吐き捨てた。
「哀れなものね。くだらない逃げ延び……その繰り返しが、いつまで続くと思っているの?」
「それでどうだ、お前の蛇はいつまで経っても俺の奥を完全には溶かせない。でもくだらん、だと……?」
ガルシドュースは血を流しながらも口角を吊り上げた。
「俺が逃げてるって? ……違ぇよ」
蛇がまたも地を這い、透明な牙を剥いて迫る。
その視線の先に倒れ伏すセオリクの影を映しながら、ガルシドュースは嗤った。
飴細工の蛇は、砕け散っても形を取り戻す。
ひとたび崩れても、砕片が勝手に寄り合い、また一本の透明な蛇槍へと編み直されるのだ。
「チィッ!」
ガルシドュースは火花を散らし、足場を爆ぜさせて跳躍した。
地を蹴るのではない。血を地面に滲ませて魔法の、儀式の、爆発で自らを吹き飛ばして加速する。
だが蛇は音もなく追う。
地を這う影のように動き、気配を消したまま背後から首を狙った。
なぜなら彼はガルシドュースから生まれている。
(やはり、神術同士が遠い時は効かない!魔女が箒を飛ばした時にすでに仕込まれているか!?)
頭を回転させながらもガルシドュースは動きを止めていない。
瞬間、ガルシドュースは自身の肩を裂いた。
噴き出す血を炎と変え、蒸気で背後に幻影を生じさせる。
炎で象られた偽の肉体に蛇が喰らいつき、締め上げた。
「……そこだ!」
本体は逆に回り込み、拳を振り下ろす。
焔を纏わせた拳は岩塊を砕く一撃だった。
だが━━
手応えが空を切った。
透明な蛇は、幻影を噛み砕くと同時にその身を千切り、もう一体を生み出していた。
分裂。
「マジかよ……」
呻く間もなく、両腕を絡め取られる。
ぎしり、と骨が鳴った。
飴細工のように透明な鎖が締め付け、筋肉を圧迫する。
血管が破裂し、赤黒い血が透き通った蛇の体を染めていく。
潰される。
だが次の瞬間、ガルシドュースは己の腕を自ら引き千切った。
焼け焦げた筋肉を無理矢理裂き、骨ごと切断する。
残された腕を囮に蛇を絡ませ、逆に蛇を掴んだ。今度はガルシドュースが攻めに出た。
「……まだだ」
その顔は歪み、血まみれで、笑っているようにも見えた。
蛇は砕けて再生して再び地を這い、音もなく迫る。
左から、右から、上から、複数の影が幾重にも迫り、獲物を絡め取ろうとする。
ガルシドュースは血を吐き、それを炎に変えた。
自らの口から、内臓から、血を噴き上げ、それを火にしてさらには炸裂させる。
轟音と爆炎が一帯を覆った。
視界が赤に染まり、蛇の姿が掻き消える。
だが次の瞬間、爆炎の奥から透明な顎が飛び出した。
「ッ……!」
辛うじて体を捻るも、顎は彼の左足を噛み砕いた。
砕けた骨が飛び散り、足先が消える。
それでも。
彼は地を殴りつけ、血を叩きつけることで推進力を得た。
炎と血を推力に変え、さらに距離を稼ぐ。
束縛。
回避。
分裂。
脱皮。
その応酬は幾度も繰り返される。
時には掴まれた時に体を硬くして、折られるまでにしっかりとその固くした部分を焼いて、体内で筋肉と分離させては、体を縮めて、体が裂けた瞬間に空中で飛んではどこかへと逃げる
ゼレヴェナフィヴァン姫は動かない。
ただ槍を構え、微笑んで見ているだけ。
「哀れね。くだらぬ……。逃げ惑うばかりの屑」
ガルシドュースは炎の中に立ち尽くし、血の滴る口で笑った。
「俺は治すために逃げてんだ。……あいつをな」
血が燃え上がる。
炎は彼の掌を舐め、やがてその赤を共に加速して、倒れ込んでいるセオリクの方へと向ける。
次の瞬間、ガルシドュースは自らの神術でセオリクを燃やしたした。
癒やしとは正反対の、破壊と焼却の神術のはずだった。
しかし彼ならば扱える。再生へと。
その炎で、セオリクの肉体を――燃やす。
常であれば灰と化すその火が、逆にセオリクを修復していく。
肉を裂き、臓を焦がしながら、同時に癒やす。
燃焼のたびに、セオリクから感じるウガリスラ、爵銀なるものを強く感じる
姫の冷笑が揺らぐ。
「……それが、あなたの逃げ延びた理由?」
「そうだ。ただ逃げてたわけじゃねえ、恐ろしいか。」
ガルシドュースの赤い瞳がぎらりと光り、セオリクへ向けていた視線が魔女向けられる。
「恐ろしいさ、おまえのその姿。もう人間じゃない、もしくは最初から。」
姫はわずかに首を傾けた。
「人間であるか否か? ……ああ、そうね。最初から違ったのかもしれないわ。おまえ。」
声は穏やかで、しかし冷たい、氷よりも冷たく、まさに冷たい硝子の刃のように鋭い。
彼女の声で蛇槍が、ひとりでに伸びる。
透明な蛇の輪郭が増殖し、幾重にも枝分かれしていった。
一本、二本ではない。十重二十重の蛇槍が、大地を埋め尽くす。
「……分身じゃねえ、か」
ガルシドュースは血の奥で歯ぎしりした。
「なら全部、ぶっ潰すだけだ!俺に吸い寄せて!」
血を撒き散らし、全身を炎で鎧い、巨躯が突っ込む。
肉体が変化していて、彼が背丈も2倍以上は高くなっていて。彼が話した装甲形態だろうか。
焼け焦げる音が響き、血が爆ぜ、腕が砕けてもなお――彼は前へ進んだ。蛇たちを吸い寄せるために突進で気流を起こして、自分自身の方に
「お仲間を助ける気か?龍の子よ。」
背後には、まだ目を覚まさぬセオリクが横たわっている。
飛ばされた蛇たちが一斉に動いた。
ガルシドュースにギリギリまで近づいたからだ。
天から、地から、四方八方から、飴細工の顎が迫る。
一つは足を、もう一つは胴を、さらにもう一つは首を狙った。
瞬間、ガルシドュースは全身を炎に変じるように肉体を爆ぜさせた。。
己の血を焼き、肉体を燃料に換え、火の奔流となって蛇を焼き尽くす。
轟炎の爆風が蛇たちを砕き散らし――だが。
「……まだ甘い」
姫の声とともに、砕けた蛇の破片が地に散らばった。
それらは瞬く間に槍の破片となり、地を走り、絡み合い――床下から、鎖のように伸び上がる。
「ッ……!?」
消耗が激しい、変形した肉体は消耗が激しくあり、何度も再生させて飛ばすのは無理だ。
ガルシドュースの足首が捕らえられた。
透明な輪が幾重にも絡み、逃げ場を奪う。
すぐに両腕も、胴も、首にもと飴のような枷が次々と嵌っていく。
束縛。
血を爆ぜさせても、外殻を焼いて脱出しても、追いつかれる。
蛇たちは彼の神術に対応するように増え、繋がり、輪を強める。蛮力や速度で庇いきれない増殖。
「ぐ……ッ……!!」
骨がきしみ、筋肉が裂け、皮膚が割れる音がした。
ガルシドュースは歯を食いしばり、全身を爆ぜさせようとする。
だがその瞬間、姫の指が天を指した。
「哀れなものよ。幾度も殻を捨てても、最後に残るのはただ焼け焦げた欠片だけ」
頭上に、光の網が広がる。
蛇たちの体が光の網が地へと落とす光で縒り合わされ、巨大な繭のようなものを形成していく。
それは落ちてくる、捕らえたガルシドュースを丸ごと包み込み、閉じ込める。
「……クソッ……! こんなもんで……」
次の瞬間、透明な繭の中に高熱が走った。
外から光の網が被せるように突き立ち、内部で火花のようなものが煌めく。
ただの束縛ではない。
繭そのものが炉となり、内部をじわじわと焼き煮えさせる。
「ぐ……おおおおおッ!!」
ガルシドュースの咆哮が響き、血と炎が迸る。
だが繭はびくともしない。
圧力は増し、内部はぐつぐつと煮え立っていく。
再び、彼の肉が溶け始める。
外殻を焼き捨てる時間すら与えない、圧倒的な速度。そもそも逃げ道もないここで防御を弱くして、一瞬だけの瞬発力を求めても意味がない。
彼が逃げ道を塞ぐためだけに編まれた、姫の技。
ガルシドュースと違っていくつもの技を使っている。
「終わりだ。ビガス・ニリマ・スフェラ=エイゲン=メスチェン(球体の環を帯びた蛇)」
「……が……は……」
(くそぉ、魔法はたくさん知ってるだろうけど...俺はただ一つを改善したいだけ....恐ろしいぞ。)
血を吐きながらも、ガルシドュースはなおも笑んだ。
「……セオリク……そろそろ……意識が……」
燃え盛る透明の繭の中で、ガルシドュースの肉体は音を立てて崩れていく。
皮膚は溶け、筋肉は泡立ち、骨さえも熱に耐えきれず軋んでいた。
頭に響くその音が、炎の中で眠るセオリクの耳を震わせた。
全身を焼かれ、神経が引き裂かれるような痛みの中だが、不思議な温もりがあった。
それは痛みと一体化した、癒やしの炎。
ガルシドュースの火が、自分を燃やしながら同時に組み替え、繋ぎ直している。
胸の奥に熱が宿る。不思議だ。
セオリクは気づいた。
剣を失って苦しんできた理由。これを持ちながら扱えなかった痛みこそが、これこそ。
(私が人生の境目目だった、ここにて境界線としよう。この私と、恐怖に絶望と、全ての苦痛との別れの境目としよう。)
すべては、この瞬間のためだった。
繭の外で、姫の声が響く。
「くだらぬ。あなたたち何もかも、逃げも――すべて無駄。かつてのように。」
姫が声の響きがまだ少し残る時に、地に横たわるセオリクの指先がわずかに動いた。
指の中に握られていた小石が、かすかに青黒い光を
帯び始める。
「とどめ。」
その時だ、繭の内部で崩れかけていたガルシドュースの背後から、眩い光が走った。
「無駄ではあるまい。」
声があった。
立ち上がる。炎に焼かれた肉体が、再生とともに輝いていく。
セオリクだった。
セオリクの瞳が開く。
炎に照らされ、白銀の光が宿っていた。
彼の掌に握られたのは、懐に忍ばせてきた刻印の石。憧れの英雄が持っていたもの。
何か思い出したからか、なぜ今更。
英雄を懐かしんで自信を励ますのか?
だが今までのそれではない。
「...英雄が、ガヘベスなる男よ、汝は最後までこの世様を思ったか、かの強くある肉の塞に閉じ込めたこれぞ...素晴らしき英雄よ。男ガヘベス。」
石が光を帯び、最初はただの微光だった。
だが次の瞬間、石の周囲に見えない層が幾重にも重なっていく。
空気が沈み込み、音が低く引き延ばされ、周囲が圧縮される。重い何かの力がある。
思えば人はこれを重力と呼ぶか。
かつて聞いた、重いから地面へと落ちるだろうと。
これぞ自然の摂理にあった。
ならば空に浮かぶあの忌々しい、そんな魔女をこの力で引きずり落とすべきではないか。
そんな心の思いからか、重みから波紋が生じているようだ。
そう、触れているだけで、体が大地に吸い込まれるような圧を感じる。足元の大地も奇妙な揺らめきをする。感覚までも揺れを感じる。
感覚そのものが揺れているような感覚だった
「……これぞ、我が神器……」
「ガルシドュース、貴殿が残す火は...貴殿が思いを載せたそれは再び我らが思いを通わせていた。」
「いけ...俺は、お前ができると思う。」
「我にしてこの刻にある目指すことはただ一つが、神器を使うこと。」
セオリクは石を掴み、立ち上がった。
体に刻まれた痛み。長剣を失った自分の空白。
そのすべてが、今、力に変わる。
姫が眉をひそめた。
「はぁ?....はぁ?はッ!?」
セオリクの手にあった刻印の石は、ただ光を放つだけではなかった。
握り込むたびに、石の表面が呼吸するように膨らんだり縮んだりしている。本来ならば決してないこと。
まるで心臓。いや、脈動そのものが石に宿っていた。
その鼓動はセオリクの呼吸に近しく、まるで彼から伝わったかのようだった。
「……これは……」
ゼレヴェナフィヴァン姫の冷たい瞳がわずかに細まった。
石は投げられたのではない。
セオリクの手から零れ落ちた瞬間、世界がその石を「落とそう」とする。
だが、ただ一方向に落ちるのではない。
上へ、下へ、斜めへ、裏返ったような方向へと。
石は無数の落下を同時に始めた。
たった一つの石がだ!
ひとつの石が、百の方向からを受け、千の落ち方を繰り返し、そのすべての軌跡がこの世界に刻まれていく。
地面に触れたかと思えば、そこが沈み込み、
空に触れたかと思えば、空気が引き裂かれる。
石が通過した軌道は落ちた跡としてへこみ、ひしゃげた痕跡を残す。
見て魔女も反撃する。ただガルシドュースの方を先に燃やそうとする策ではあるが。
しかしよく見ると石ではない。無数に飛んでいるそれは石が重力か、それによる軌跡などでしかない。
透明な飴の蛇がその軌跡を塞ごうとして檻から分裂瞬間、無数の石は、そう、蛇の身体を地面の底に落とした。
蛇は砕け散るのではない。
まるで床に穴が開いたかのように、輪郭ごと沈んで消え失せたのだ。
「馬鹿な……」
姫の笑みが初めて崩れる。
石はなおも落ち続ける。
それは矢でも槍でもなく、ただ世界へ落下を纏って移動する質量の刻印。
通過するたびに、空間に黒い窪みが走り、そこに触れたものすべてが潰れていく。
まるで世界そのものが落ちていくかのように、世界を構成する重さがそこで顕現されたかのように。
向かむ先に牢獄。
しかしたかが命持たぬ石に今、ウガリスラこと爵銀の力が加わっている。そして強くもある。
本来ならばこんな遠い位置で、神術同士がぶつかればただ磨耗し、弱い方が消えるはずだ。
しかしセオリクの投擲の方が遥かに強かった。
勢いはないが神術の量は上手と言うべきか。
当然牢獄もすぐに壊される。
石が最終的に突き刺さったのは、光る牢獄の中にあるガルシドュースの心臓の奥。
次の瞬間、彼の肉体の内部ではまるで逆流する何かの力がが暴れ狂ったというほどに、血が上から下へ、下から上へ、渦を巻きながら奔流する。
骨は軋み、筋肉は縮み膨張を繰り返し、
全身が内側から千切れそうになる。
だがそれは破壊ではなかった。
何かの重みがあたりを包む灼熱を飛ばして、遠くへ押す。そうすると自然に攻撃されることもなくんsり、血の奔流に巻かれた肉体が、癒えていく。
ガルシドュースは再び血を自身を回復させる儀式に使える。
焼け崩れた皮膚が新たに張り、焦げた臓腑が再び蠢きはじめる。
「...ハァハァ..」
しかしよく見ると以前より遅く再生していることがわかる。
「遅いね、おまえ、龍の子。」
魔女にも再生の遅れは見えていた。
「ふふふ、いくらが神器は物を通して、神術持ちにすら遠くからウガリスラを回せるとして、それがいかに我が神術持ちの大軍と戦って傷だらけのおまえを助けるんだ。哀れ、哀れ。」
(...血の限界か...あとは体自身の再生を頼まないと...)
ガルシドュースが秘めてそれはなんだろうか。ただ無限に再生できるのではないか?
「ガルシドュース...なぜ。貴殿?貴公よ。」
「前借りか、龍の子、おまえのそれはただおまえが持つそう、治るから、血が多いことを使って直していたんだろ、違うかい。」
「...当たり前だ、戦いで早く回復する、その隙に血をまた出る!作られる!俺は信じる!」
「無駄よ、ここは我が域、すでにおまえが何を信じようが無駄。信じることや叫べば強くなるのも限界はあるんだ、人の子よ。」
「随分と教訓をくれるじゃないか、お前。」
「ええ、私からの教訓であり、教育さ。おまえのその思い、少しは歪んだのか?」
「なるか、これもあれからか、神術持ち同士なら動揺した方がやばいとかあるのか?お前そもそも神術持ちか?。」
「ガルシドュース、今しばし、落ち着きたまえ、構えて迎え撃つべしではないか。」
「妙だから落ち着けない。こいつ、手加減してるみたいでよ。」
「問題ないであろう、迎えば、ただ一つ。」
「俺たちの勝利。」「我らが勝利。」
「馬鹿な人……」
ゼレヴェナフィヴァン姫の唇が、初めて硬直する。
蛇がいない。
飴細工の蛇たちは、砕かれたのではない。
抗いもがくことすら許されず、ただどこかの底へ、存在そのものごと落とされていった。そう見える。
世界の法則に従わざるを得ないように。
誰も逆らえぬそんな“重さ”によって。
セオリクの足元に影が伸びる。
石を中心に、いや彼を中心に幾重にも波紋が広がっていた。影に、地面に、光に、全てが彼から波紋が広がる。
その波紋は、ただの空気の揺れではない。
世界の重さが層を成して押し寄せたもの、その波紋は音までも沈めていく。
……沈黙。
なのに、彼らは聞いた。
「 ……墜ちろ…… 」
誰も叫んでいない。
セオリクも、ガルシドュースも、姫ですらも。
だが確かに、空気がそう言った。
大地が低く唸り、空が揺らぎ、その重みそのものが声を持ったのだ。
神器の力。
「……聞こえたかよ、あれを」
血に塗れ、片腕も欠けたままなのに、その赤い眼光は爛々と燃えている。勝利が見えたか。
「お前、やっと呼ばせたじゃないか」
セオリクは、彼を見た。
ガルシドュースが幾度も殻を脱ぎ捨て、二度三度と生き延びてきたその姿。
感じるは執念
「……そうか。二度で足りぬなら、三度でも、千度でも。繰り返して辿り着くのが……その道か。」
セオリクが石を掲げた。
ガルシドュースが炎を噴き上げる。
二人の力。
贄を燃やした神術と、神器の重圧。
血と炎と、石と重み。
炎が石の軌道を纏い、重力がその炎を沈ませる。
赤黒い彗星が走る。
自然が再び、声を上げた。
「デリドゥラグ・アンドルベ・グレナ(燃え墜つ墓標)」
……いや、それだけではない。
石が二つ目を刻み、炎がさらに重なり――
大気が、雷鳴が、大地そのものが名を叫んだ。
デリドゥラグ・アンドルベ・グレナ
燃え墜つ墓標
轟音とともに、炎を纏った重力の奔流が姫の蛇を貫き、透明な網を、繭を、槍の群れをまとめて沈めていく。
抗う声すら、沈黙に呑まれる。
その瞬間、ゼレヴェナフィヴァン姫の瞳が揺らいだ。
美しき硝子細工のような顔に、かすかな痛みの影が走る。
「……また……これを、解いてしまうのね……」
その言葉に、二人は息を呑んだ。
姫の身体の奥から、黒い影のようなものが漏れ出す。
それは蛇でも、炎でもない。
もっと根源的で、もっと古い。
封じられていたものなのか、何かほころびから滲み出していた。
「……哀れだな」
ガルシドュースが呻くように呟いた。
姫をではなく、自分自身に言うように。
セオリクは、手に残った石をさらに強く握った。
「哀れかもしれぬ。だがその哀れにこそが、我らが必要だ。」
「ん?どう言うこと?」
言葉合わずとも
二人の足元に炎と重圧が重なり合う。
血と石が、火と重力が、ひとつの流れとなる。
今度こそ。
爆破は起きる。膨大だ。
どんな生物でも死ぬだろう。
「やったか...?」とセオリクは言う。
「...ぐっ、やはりか、ここまではただ神術の持つ力を持ってして、魔法や肉体操作をしていた。」
(おかしいと思っていた。神術がぶつかれば磨耗して、互いに近づいて殴るほか消耗戦となる。しかしなぜ魔女が聞いたか。)
「気をつけろ!セオリク!」
「こいつは、魔女の神術は肉を操る。俺の魔法の比じゃない。この塔のように!こいつは石のような、さらに鉄まで、命がないものすらも操れる!それを生きる存在に変えてしまう。」
だから膨大すぎた。
ガルシドュースのような人の皮をかぶって存在ですら耐久戦に負けてしまう。
もはや彼女は個体ではなく、塔という大きな物になって、それほど膨大なものをガルシドュースたちは相手していた。
見よ、これが天までも登る高さ。
一体どれほどの命を溜め込んだのか。
「迂闊に触ればお前も血肉を操られる、俺のような体質や神術がない、神器だけのお前じゃ死ぬ、決して離れるな、油断もするな。」
爆炎の向こうで、何かが蠢いた。
燃え墜ちるはずの繭が、そうなぜか魔女は繭で自身を包み込んだ。
さらに火の中に沈み切る直前になんと裂けて、火を覆う。
「……ほう……ここまで……」
ゼレヴェナフィヴァン姫の声が、低く震える。
繭から出てくる。
その身体を、黒い影が覆い始めていた。
いや、影ではない。
それはまるで彼女の内から溢れ出す“別のもの”。
半透明の蛇が、今度は砕けず、逆に膨れ上がる。
鱗もなく、骨もなく、長く大きな塊へと、彼女の背後で溶け合う。
もはや蛇に近くすらもない。もっと根源的な、言葉では捉えきれぬ形状の異形。
「なっ……」
セオリクの息が詰まった。
心が重い。
体も重い。
神器の重圧でさえ、沈まぬ存在。
(...此方へと、圧をかけてくるとし。)
火と血で燃やしても、焼き尽くせぬもの。
「……これが……神器……これが..本当の神術...」
姫の声は揺れていた。
怪物の気配が、彼女の声の奥で、いや怪物から彼女の声だろうか
ガルシドュースが歯を食いしばった。
「……なんだよ……恐ろしいなぁ。」
まるでかつて世界を呑み込まんとする異形へと、敵の姫は縫い付けられていく。
あまりの惨状に少しばかりと同情したくなるガルシドュースとセオリクの二人であった。
黒い影は震え、空気を震わせる。
もはや輪郭もなく、誰なのかもわからない。
すると自然が、環境が、世界そのものがまた、勝手に声を発した。
《……■■■■……》
名を告げぬはずの存在が、命なき大気や大地が空気の震えで叫ばれる。尊き存在が名を叫ぶ。
耳ではなく、皮膚で、骨で、その「声」を聞かされる。
ガルシドュースが顔を歪める。
だが、避けられぬ。
その片鱗は、すでにこちらに迫っている。
重圧と炎の奔流が正面からぶつかる。
世界が軋み、地が割れ、空が呻く。
炎と重さが黒い影とぶつかり合い、互いを削り、互いを砕く。
結果。
炎が負ける。
同刻、魔女が肉体は変貌し。さらにガルシドュースが埋め固めてあった魔物たちが地面ごと襲いかかる。
繭を沈めようとする重力の奔流に抗いながらも良湯を見せていたゼレヴェナフィヴァン姫の表情もついに歪んだ。
かつては整った顔が、音を立てて割れていく。
その奥からは、透明な管のようなものが伸び縮みしてはやがて球体に嵩張り、無数の眼球が――どろりと覗いた。
「……くだらぬ、くだらぬくだらぬ……」
声が震え、幾重にも重なって響く。あたりは彼女肉体に絡みつく。
四肢は溶け、髪は無数の蛇となったように蠢き広がり、背中には透明な鎖状なもので構成された翼。
そして胸の中央に、ぎょろりとひとつ――巨大な目玉が開いた。
その眼はただ見つめるだけで、空間を揺らす。
セオリクが握る石さえ、わずかに軌道を狂わされるほどの圧。
さらに、彼女の下半身はすでに一本の巨大な蛇の胴体に変じていた。
大地を覆うほどの太さで、透明のうねりが地を割り、建物を呑み砕いていく。
「逃げよ。だが視られたものは……すべて我が獲物となる。」
「おい、地面が波...」
そして出会した全てが敵、影に魔物、この塔にある全てが彼らを飲み込もうとする。