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第4話「完璧ですので」

 数日が過ぎた。資料室のドアを開けると、蓮実先輩はいなかった。


「1、2、3、4――……」


 数字を数えながら、ミツキさんが右手を上げ下げしている。たぶん、チアの振り付けなんだと思う。くるりとターンをすると、制服のスカートの裾が持ち上がって、赤いハーフパンツが見えた。


 なんだかもうとんでもないものを見た気がして、口から声が出る。


「おひょあ!」


 もう少しまともな悲鳴は出なかったのか。そんなことを思っていると、ミツキさんがこちらを見た。目を見張りながら、ほんのりと赤らめた頬で言う。


「っ……いたんですか? 声をかけてくれればいいのに」

「す、すみません」

「気にしないでください。頼んでいるのはこっちなんですから」


 ミツキさんは小さく咳払いすると、分厚い大学ノートと国語辞典を取り出す。どちらにも大量の付箋がついていて、ノートにはびっしりと書き込みがあった。


「ところで……私の作品は、見ていただけましたか?」

「うん。ツイットーのアカウントから分かる範囲は、だけど」


 つい最近見た彼女の作品を頭の中で思い返す。


√ 僕は君のための雲になりたい。

  空より早く。風より遠く。

  君のために歌う僕の声。

  どうか君よ、僕の空でいて。


 その4行の詩は、1ヶ月以上前に投稿されたもの。そして最新作品だった。


「夏空みたいな詩で、俺は好きだよ。画像に編集してあるの、凄いこだわりだと思った。画像はもちろん、フォントの選び方から行間、色……全部気にかけてる感じがした」


 俺はそう言いながら、ミツキさんの様子をうかがう。


 彼女ははにかみながら、スカートのすそを引っ張る。どうしたのかと思って首を傾げた俺は、ミツキさんが照れていることに気づいた。


「……詩を書き始めたのは、蓮実先輩の影響なんです。先輩の描いた恋愛漫画を、偶然、私が見つけて」

「アナログ主義だよね、先輩」

「はい。先輩に一時期、生徒会に入らないかと勧誘されて。その話の最中に、先輩が作った漫画の枠組みといいますか、妄想文章がカバンから滑り出てきて」


 あの時の先輩ったら。クスクス笑うミツキさんは、普段の完璧な笑顔とは違う、どこか柔らかさのある笑顔をみせていた。


 彼女はチアリーダー部のエースで、学年トップの才女。真っすぐに伸ばした黒髪と清楚な雰囲気。完璧を体現したみたいな人だ。

 蓮実先輩とまた違うカリスマ性があって、同級生内どころか、学校外でも彼女の活動を追いかけるファンがいるらしい。


 そんな彼女とは、まったく違う一面だと思った。俺が見てもいいものなんだろうか。蓮実先輩との時間とは、また違う恥ずかしさやら、照れ感で、首筋が熱を帯びる。


「……個人的な思い込みなんですけど。私、父親は大学教授、母は医師。親戚もデザイナーとか、何か1つの道を究めた人ばかりなんです。だから、私も何か1つでもいいから、完璧じゃないとダメだって思ってきました」


 でも、とミツキさんが俯く。


「先輩の漫画を偶然見て、私も何か作りたいと、衝動的に思ったんです。そこでふと目にしたのが、詩でした。まっすぐに、言葉に向かい合って、ただひたすらに。正解の言葉なんてない。ただ私の心に正直でいられる……」


 揺れる髪がミツキさんの顔にかかる。どうしてこんなプライベートな話を俺に語ってくれるのだろうかと、不思議に思えてならなかった。


 けれどミツキさんの目に光るものが。涙が見えた瞬間、俺は彼女がどれほど真剣に頼みごとをしてきたのか、今更ながら突き付けられた気がした。


「……あの日、三郎くんが必死に拾ってくれたあの冊子は。実は私が『完璧じゃない』って、蓮実先輩に突き返してしまったものなんです。先輩は、そんな私を、許してくれて……」


 とうとう俯いた彼女に、俺は手を伸ばす。届いたのは、彼女の指先だった。この指先で、きっと何日も、何週間も悩んで、彼女は文字をつむぐんだろう。


 だったら。その大切な文字にまとわせる装丁を、どれほど悩んだかなんて、想像に難くない。


「ミツキさんのことをよくわかっているから、蓮実先輩は許してくれたんだと思う。俺も協力する。納得できるものを目指そう。完璧を目指したっていいんだ。悩み続けたっていいんだ。俺はそう思う」


 静寂の中で、ミツキさんの泣き声が響く。ただ俺は彼女の手の震えがとまるまで、じっとそこに座っていた。


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