目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話「それは運命だったので」

 夜道を歩く俺の頭の中では、飯田ケイとの会話がぐるぐると渦巻いていた。


(やっぱり見た目、かぁ……)


 小学校の卒業式が終わった、春先のこと。


 むかしから俺はクラスでも目立たない存在で、もちろん友達もいなかった。卒業文集に書く「将来の夢」にも悩んだ。周りのみんなは「サッカー選手」とか「アイドル」とか、キラキラした夢を書いていたけれど、俺にはそんなものはなかった。


 そんなある日、父さんに連れられて美術館に行った。

 企画展で飾られていたのは、古い本や雑誌の数々。どれも色鮮やかで、緻密な絵が表紙いっぱいに描かれていた。

 まるで、絵本の中に飛び込んだような感覚。特に、ある一冊の小さな絵本に心を奪われた。


 きれいだった。中身なんて関係なく、とにかくその本は、美しかった。


 その時、俺は生まれて初めて、心が震えるような感動を味わった。ただの物語ではなく、本そのものが作品として輝いている。


 以来、俺は、装丁に興味を持つようになったのだ。


 父は俺が興味を持つコトができて嬉しかったのか、それからたくさんの本を買い与えてくれるようになった。


 でも、実を言うと、俺が興味があるのは装丁だけだ。

 本の中身については、装丁とのつながりを想像するために読むのであって、本そのもの、物語そのものが好きなわけじゃなかった。


 だからこそ分かったこともある。

 見た目だけで判断されてしまう本がある一方で、手に取られなくても、素晴らしい物語を秘めている本もある。


 そして俺は、1つの夢にたどり着いた。

 もっといろんな本の「顔」を見てみたい。


 そして願わくば、自分の理想の形を実現したい。


 夕闇が迫る中、電車に乗った俺は改めてケイの言葉を思い返す。


 彼女の言葉は気に食わなかったが、彼女の指摘はある意味で正しい。人は見た目で判断する。あらすじとか表紙とか、目で見える情報を元にして、内容に期待する。それは、否定しようのない事実だ。


 学校内に限ったら、俺が描いたという漫画より、蓮実先輩が描いた漫画の方が人気が出るかもしれない。


 そう分かっているからこそ、悩ましい。

 蓮実先輩の漫画も、ミツキさんの詩も、どちらも多くの人に届けるには、どうしたらいいのか。


 以来、俺は時間さえあれば、蓮実先輩とミツキさんの本の装丁案に没頭した。

 放課後になると、創作同好会の活動場所となっている第2資料室にこもる日々が続く。


 蓮実先輩が考えている漫画は、温かく優しい物語だ。

 登場人物たちの心の交流を、どうすれば装丁で表現できるか。


 一方、ミツキさんの詩集は、繊細で心に響く言葉が紡がれている。しかし蓮実先輩のものと違い、恋愛というより、自分の内面に向き合うような内容だ。


 2つをまとめる色使い、フォント、紙の質感……あらゆる可能性を模索した。





 数日後の放課後、俺が資料室で作業をしていると、蓮実先輩がふらりと現れた。彼女はいつも通りの制服姿だが、どこか疲れているように見える。


「三郎くん、まだいたの?」

「はい。もう少しで、装丁のアイデアがまとまりそうなんです」

「頼んだ側とはいえ、いつも熱心で感心しちゃうな。……ちょっと、隣で作業してもいい?」

「もちろんです」


 先輩は、俺の隣に椅子を引き寄せて座った。普段の生徒会長の顔とは違う、少しだけ幼い、無防備な横顔だ。


 二人で黙々と作業を進めていると、資料室の外はいつの間にか雨が降り始めていた。窓を叩く雨音が、室内の静寂を際立たせる。


「……三郎くんって、なんでそんなに本の、それも装丁が好きなのか、聞いてもいいかい?」


 不意に、蓮実先輩が尋ねた。

 俺は、小学校時代の思い出を素直に話す。


「……だから、俺は、どんなに素晴らしい中身を持っていても、見た目で損をしてしまう本を、一つでもなくしたいんです」


 俺の話を聞き終えた蓮実先輩は、静かに頷いた。


「そっか……。私も、三郎くんみたいな気持ちになれていたら、違ったのかもしれない」


 先輩は、そう呟くと、俺の手元にある装丁案に目を落とした。


「これ、私の漫画の装丁案だろう? すごく、私らしい色使い。このフォントも、物語の雰囲気にぴったり」


 蓮実先輩の指先が、俺の指に触れた。ほんのわずかな接触だったが、思いがけない出来事に俺の心臓は大きく跳ねた。


「私はね、背が低いのがずっとコンプレックスで。だから、いつも見下されてる気がしてた。でも、三郎くんは、いつも私の目を見て話してくれる。それが、実は、すごく嬉しかった」


 先輩は、少しだけ頬を赤らめながら、俺の目をじっと見つめた。その瞳には、雨に濡れたガラスのように、キラキラとした光が宿っている。


「三郎くん……」


 スミレ先輩の声が、雨音にかき消されそうになる。俺は、彼女の吸い込まれるような瞳から目を離すことができない。


 このままどうなってしまうのか、少し怖いくらいだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?