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■ 探偵ごっこ ■

「おっっとぉさまぁぁあぁ」というのとは別の日に、こんなこともあった。再び「地」

にやってきて三日目。お目覚めの儀の二日前になるだろうか。

 小石川正義は、四条のほかに三上と室(野球帽)を「地」に招いた。四条と三上はシャ

ツと黒いズボンを着ていたが、室はかたくなに、小屋で四条と会ったときと同じジャージ

姿を希望した。

 四条は小石川の意図をはかりかねたが、初めて「地」に招かれたときに四条一人を相手

にして話し合いに失敗したため、おおよそ「旅の仲間」(とでもいおうか)を伴えば心を

開くとでも思ったのか…… 。

 小石川は「運動会です」とのたまった。お目覚めの儀の余興なのか…… 。「地」の道と

いう道に沿って「娘さん」のカップルと「息子さん」のカップルが跪いていた。彼女たち

彼らたちは仲睦まじげに手を繋いでおり、男女で手を繋いでいることすらあまり公然と見

たことのない四条からすると奇異なる光景だった。五九年世代のカップルと七九年世代の

カップル。二十代の「息子さん」と四十代の「息子さん」は働きに出ている者も多いので、

「息子さん」同士の組み合わせは自然少なくなっているが、二十代の「娘さん」は四条の

目にはあまり入らなかった。四十代の「娘さん」が圧倒的に多い。もっとも、四条は初対

面の時に室の年齢を誤認したことを思い出し、見た目では分からないと自戒を持った。

沿道の者たちがこれで国旗でも持っていたら、マラソンの国際大会の色を帯びてくる。

そこは御家属。跪きながら同性同士で手を繋ぐポーズが異様を発していた。

 小石川は四条と三上と室を「お外さま」と紹介した。まさしく「外様(とざま)」とで

もいうわけだろうか…… 。

 マラソンのコースは「川口」をスタート地点にし、「谷口」へと続く一直線の道を真っ

直ぐにまず行く。「谷口」の前の四つ角を左に曲がり、集会所と診療所を超えたら、また

左の土手を上がっていって、居合川沿いに河原をそのまま「川口」へと南下して「川口」

のスタート地点がそのままゴール地点でもあるということだ。 

―― 約二キロメートルのコース。

 小石川の目的は四条には測りかねるが、四条と三上と室、そして、自警団員の沼田とい

う「息子さん」と、初めて「地」に来た時に世話してくれた城崎翼も加わった五人がその

コースを走ることになった。

 スタート地点にもいくらかの「娘さん」「息子さん」がいる。

 「息子さん」のうち、二十代と思われる者たちの口から「地抜け者」という声があがっ

た。すると、四十代の「娘さん」「息子さん」が「見てはいかんぞ」「地抜け者は人なら

ぬ」と言い合っていた。

 野球帽の男・室のように「地」を飛び出し外地に住んでいる人間はどうやら「地抜け者」と忌み嫌われるらしい。四十代の保守的な「娘さん」「息子さん」にしたら、見るのも憚られるような存在なのかもしれない。あるいは、自分たちは「地」で頑張っているのに、地抜けして好き放題とはどういうわけだという嫉妬なのかもしれない。「地抜け者」ではない四条と

三上たちはそれほど「娘さん」「息子さん」から因縁の眼差しを受けているようには感じ

なかった。

 小石川はそのザワつきを「こらこら。この三人は今日は、『お外さま』だよ」といさめ

た。

 四条は思った。室を始めとする「外地」の人間たちは「地」の人間と連携して物資を融

通しあうこともあるという。それは実は、禁忌なのだろう、おそらく。公然とは「地抜け

者」を敵視しなければならない。四条は、お父さま代替わり説と不老不死説という二つの

建前と事実のことに思いをはせた。そして、小石川正義の「地抜け者」と言うではない、

という言葉は「娘さん」「息子さん」に矛盾を課しているように思えた。

 小石川に内在する矛盾。そして、「娘さん」「息子さん」に内在する矛盾。「地」に内

在する矛盾。「御家属」に内在する矛盾。

 ―― 結局は、人間には矛盾があるという事実を導き出すだけなのか……

 パンッという空砲によって、五人が同時にスタート地点を出発した。

 先頭に立ったのは、三上だった。何かスポーツをやっていたのだろう。「実は特殊工作

員です」と言われても四条は驚かない。二番手、三番手には自警団員の沼田、城崎翼が続

いた。運動不足の四条は四番手。更に、室が最下位になったという。もちろん、四条は後

になって知ったことだ。

 塔の横を通り過ぎた時はまだ四条には余裕があったが、「谷口」の前の四つ角を曲がる

頃には息も切れてしんどかったし、土手を上っているときは、もう膝が壊れるかと思った。

結果、四条は土手をUターンし、診療所に駆け込んだのであった。まったく、情けない話

だ……

 診療所で休んでいると、何やら集会所の方から諍いの音が聞こえる。なんでも、塔の横

にある「お父さま」の看板に大きなバッテンの落書きがされたのだという。

 四条は具合を心配してきてくれた三上に話を聞いた。

「大丈夫ですか?あなた以外はみんなゴールしましたよ」

 四条は、それが気遣っているつもりか、嫌味だ、と思ったが受け流した。諍いのことが

気になる。

「結局、どういう順位で終わったんですか?」

「ええ。私が二位。御家属の二人が三位、四位。あなたは棄権ですね」

 ―― タイムはというと、首位の室のタイムは十分を切った。三上は約十一分。御家属の沼

田と城崎翼が約十三分。四条は、自分が完走したら何分だったかについてはあまり興味が

なかった。

 この野郎、と四条は思ったがそれ以上に驚きだったのが、「じゃあ、室さんが一位に?」

ということだった。

「ええ」

「驚いたな。河原で捲ったんですかね?僕はリタイアするまで抜かれてはいませんよ」

「四条さん。集会所の諍いの理由はこうです。『地抜け者が落書きをやったに間違いない』

とね」

「ちょっと待ってください。落書きに使ったのはスプレー缶でしょうか?」

「そのようです」

「『地』でそれを扱っているのは?」

「『川口』から向かって右に寮と物流所があります。物流所では、そういうものも扱って

いるみたいです。ほら、陶芸品の塗装にでも使うんじゃないですか?」

「それでは。残念ながら、室さんが怪しいことになりますね。最初に最下位スタートだっ

たのでしょう?ということは、物流所でスプレーを入手し、塔の横の看板に落書き。それ

で、集会所の前で河原の方に逸れれば、あなたを抜くことだってできるでしょう?三上さ

んは、横入りする室さんを見なかったんですか?」

「それはどうでしょう」

 なぜ、煙に巻くのだと四条は憤った。

 三上は人差し指を立て、四条の顔の前に持ってきた。

「目撃者が一人もいないんです。沿道はご存知の通り『娘さん』『息子さん』で埋め尽く

されていました。でも、誰ひとり、室さんがコースを外れるところを見ていない。ちなみ

に、私が走っているとき、沿道で『地抜け者が来たら、見てはダメだぞ』という声を聞き

ました」

 四条は集会所の庭に小石川を連れ出し、二人きりになった。ついさっきまで、「地抜け

者に罰を」というデモ隊のような「娘さん」「息子さん」が押し寄せていたが、小石川が

とりなして、今はガランだ。

「体調は良くなりましたか?」

「小石川さん。あなたは、何がしたいんですか?」

「何のことです?」

「室さんに落書きをするように指示したんですか?」

「はい?」

「室さんがコースを外れても、目撃者がいなかった。それは、彼が地抜け者であり、見る

のも憚られる存在だからだ。だから、コースを逸れたところを見たり、横入りをしたとこ

ろを見たとしても、その人物が信心深い『娘さん』『息子さん』なら、『地抜け者を見た』

とは誰も言えないんじゃないですか?」

「リュウノスケくん。君の考えにはおかしな点が二つある。一つ目。私は君とイツロウく

んを含めた三人を『お外さま』と扱っていた。事実、『川口』の前で差別的な言葉があっ

たとき私は注意した。二つ目。たしかに、『地』で『お父さま』の顔に泥を塗るなんて大

きな罪だ。それを糾弾するためだったら、『地抜け者』を見たことくらい許されるのでは

ないか」

「だから、あなたは『娘さん』『息子さん』を試したのでしょう。たしかに『地抜け者』

がやったという声こそ上がりましたが、誰も『地抜け者』を見たことは認めたくないから、決定的な証言が出てこなかった。そのことで、あなたは『娘さん』『息子さん』の信仰を確認したのではないか、と僕は言いたいんです。いいですか。沼田さんも城崎くんも、自

分が抜かれたことは気付かなかったと言っているらしいじゃないですか。ということは、

最後尾からポンッと抜けて、三上の前に横入りした以外に考えられない。三上がどういう

つもりで、証言をしないのかは知りませんが」

 小石川は四条の肩をポンと叩いた。

「まあ、たかが看板が汚されただけです。大騒ぎすることじゃない」

 四条は肩にのせられた手の首をつかんだ。

「小石川さん。看板の落書きなら、まだいいんですよ、たしかに。僕は、信仰のために、

もっと大きな罪にも目をつむる人たちなのではないか、ということを指摘したいんです」

「放してくれるかな?」

 小石川の目は笑っていなかった。

 四条は気おされて、小石川の手首を放した。


【つづく】

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