その後、二人は階段をのぼり、「天舞の間」へと入った。まるで野戦病院か何かのよう
に、通路を挟んで左右それぞれに十個のベッドが置かれていた。
―― なんだこりゃ?本当に子作りをするためだけの場所だ…… 。
四条は顔をしかめた。
「一人一人女性を呼んで交わるんじゃないんですか?こんなところに二十人も女性を放り
込んで?」
「考えてもみてくれ。一九五九年に始まったことだ」
「七九年。今年も。改善する機会はあったでしょう」
「そこだよ。まさに、リュウノスケくん。そういう改革もしてもらえたらと思っている」
小石川は両手を合わせてパンッと鳴らし、「天」の間への階段を「天」を指さすように
示した。
「この先の『天』は『脚本』では、『お父さま』がお眠りになる場所ということになって
いる。それが表向き。実際は、一本に似ている『息子さん』が眠る場所というわけさ。ま
んざら、代替わり説で『お父さま』を選んでいるのも無駄ではないんだ。本当の一本の遺
骸は舞踏の間で寝ているわけだからね」
四条は階段を上へと覗いた。
「ここから先は、先日小石川さんが僕に代替わりを打診した部屋ということですね?」
「うん。『天』だ。『天』と『地』。『天』があって『地』がある。実に簡潔だろう?い
や、シンプルというべきか」
「話を整理させてください。先日の小石川さんは代替わり説で僕に今年の『お父さま』を
と言った。ところが、今は、不老不死説で僕に、まあ、言ってみれば『お父さま』の後見
人を打診されているわけですよね?」
「うん」
「でも、あなたは本当はこういうことを最適解としているように僕には見えます。一本さ
んを解放しつつ、一方で、御家属を守る」
小石川は手を叩いた。万来ではなく一来の拍手喝采である。
「その答えにたどり着いてくれて私は嬉しいよ。その通りだ。私は、一本を『お父さま』
から降ろしたいし、でも、御家属は守りたい。二兎を追う者は一兎をも得ず、かな?こう
いうことだ。今まで四十年間は実際は不老不死説だった。それを上手いこと代替わり説にシフトしたい。けれども、これからの時代では代替わり説だと、『お父さま』の交替が目
立ってしまう」
四条はタクシーを止めるように手を挙げた。
「ちょっと待ってください。代替わり説は既に御家属の皆さんは了解しているんです。別
にこれから写真や映像が高精細になるからといって不老不死説は誰も信奉していないのだ
から、構わないじゃないですか?」
「それを言わないでくれ。頼むから」
小石川は両手で両耳をふさいだ。
「それじゃあ、私が今まで一本に強いてきたことは一体何だったんだ、となる。『お父さ
ま』の権威を落とさずに、一本を『お父さま』から外す唯一の方法があるんだ」
「ですから。『お父さま』が交替していることは周知なのですから…… 」
小石川は四条の顔を指さし、激しく唾を飛ばした。
「それを言うなと言っているんだ」
小石川は両膝に手を置いた。陸上の中距離ランナーが完走したあとのようだ。
「私は、一本に子作りを無理強いしたという疑いは一切否認する。たしかに、彼はこう言
ってきた。『女の裸を見ると勃起してしまう。そんな自分の体が汚らわしくて仕方ないの
だ』と。だから、私は、『それは別に全然汚らわしいことなんかじゃない』と彼の背中を
撫でた。それだけなんだ」
「大麻を吸わせるのも?」
「それも彼のためだ。彼の女性を嫌悪する気持ちを治療しているんだ」
「精力をつけさせるために、色々な薬草やら何やら摂取させていることも?」
「精力は別に、子作りのためだけに役立つわけではないだろう。何より健康に良い」
―― 健康に良いだって?そのあと殺されるのに?
四条は両手を肩の上にあげた。お手上げだ。
「あなたは一本さんを解放したい、という。でも、一本さんを利用してきたことに関して
は自己弁護ばかりだ」
小石川はコクコクと頷いて見せた。
「分かる。言いたいことは分かる。でも、これだけは分かってほしい。一本に『お前は死
ねない体なんだよ』なんて私は言えない。彼はきっと二十一歳のまま、そのあと頭がフラ
フラしてセックスばかりする夢を見ているように感じているはずだ」
四条は鋭い歯を剝き出した。
「違うと思います」
四条の言葉に小石川はひるまない。四条に言わせれば、小石川は「一本のことは何でも
分かっている」つもりなのだ。
「小屋の火事の時に彼はこう言った。『火葬場で燃やされる夢を見た』と。肉体再生と生
命機能の回復に必要な『燃やす』という行為は、彼にとって『火葬される夢』という認識
になっている。その時の、彼の体中から出る汗をあなたは知っていますか?放っておけな
くなる、あの姿を」
「そんなことは知っている。だが、あの姿を見て君は彼を放っておけないと思うのかい?」
「ええ」
「だったら、一本は幸せ者だ。私は五家一本を愛していない」
「教えてください。あなたの本当の目的を。本当は一本さんをどうしたいのか。御家属を
どうしたいのか。僕に何をさせたいのか」
四条のシャツの脇は汗でビチョビチョだった。ただでさえ暑いのだが、なんということ
か部屋の四隅に石油ストーブが置かれている。
四条がストーブに目をとめたのを見ると、小石川は「『踊り』の時は、部屋を熱くする。
そうすることで、彼の特異体質と関係するのか、彼の精子がとても活性化するようだ。放
出されても放出されても増殖するみたいなね。それは、燃やすことで体が生き返ることと
関係しているようだ。精子も生き返る。『お父さま』が百人に対して『踊って』、百発百
中。みんな健康な赤ちゃんを妊娠するのさ。凄まじい生命力だ」と語った。
小石川正義は、スーツの袖をめくって、腕時計を見た。
「残念ながら時間切れだ」
「え?」
その時、舞踏の間からの階段から自警団員数名が上ってきた。詰所で別れた時には持っ
ていなかった警棒を手にしている。それを構えた。ますます東南アジアの警察官然が増す。
「私は、自分を納得させるための時間稼ぎをしたかっただけなのかもしれない。うん。そ
うなんだ、きっと。君は私の時間潰しをする相手がせいぜいいい所だったのだろうな。
『お父さま』はお眠りになられた」
「え?だって、『踊』るのはこれからでは?」
「リュウノスケくん。『お父さま』がお目覚めになってからもう一か月以上経ってるんだ。
もう既に百人の女性を相手に『踊』った。今年の『踊り』は以上だ」
そう言って、自警団員を見た。
「もうバラしたか?」
「はい」
「そうか。リュウノスケくん。下へ行こう」 ―― 小石川正義はいったい何を言っているんだ?
四条の頭の中はその言葉で一杯だった。
【つづく】