この小説は倫理に対し著しく反しているだろうか。非道徳的だろうか。性に対する冒涜
か、女性蔑視だろうか。だが、考えてもみてほしい。この小説では、まだ誰も死んではい
ないのだ。人々は他人の死を愛好する。推理小説を読む者さえいなければ、登場人物は誰
一人として死なないではないか(もっとも、読まれなければ生きもしないと言われたら返
す言葉もないけれど)。
まあ、燃やされると生き返るという特異体質者が二人登場したおかげで、この小説では
誰も死ななかった(というか、死んだけれどもその死神との契約を取り消すことが出来た。
クーリングオフ)。
四条竜之助は、特異体質者が二人から自分の息子(男の子には「龍之介(タツノスケ)
という名前を与えるように言ってあった。そして、戸籍上は「タツノスケ」だが母親から
は息子の名前を「リュウノスケ」と誤読するようにも頼んだ。竜之助(りゅうのすけ)と
龍之介(たつのすけ)。いったい何の意味があるのか?四条は小石川正義の気持ちが少し
分かった。四条のスケープゴートをつとめる者には、ワープロのタイプミスのような名前
が相応しいのだという自己弁護だ。その程度の誤りであると自分を納得させるためのもの)
を含む三人へと拡張されることを期待している。
四条は、時限爆弾を解除する赤色のコードが確実に運命の手によって切られることを祈
るばかりだ。
―― 心からそう思っているか?
それは四条竜之助にも分からなかった。
大切なのは後部座席の隣で寝ている五家一本の体。それだけだったから。
少なくとも、息子が子作りをして一か月後に「お眠りに」なる。そこから二十年後に生
き返るかどうかは分からないけれど、少なくとも二十年は時間を稼げる。
二十歳にとっての二十年なんてこの世の春。そのあとに、夏秋冬のことなんて構うものか。
四条竜之助は、セダンの後部座席で震えている五家一本の背中にそっと毛布をかけた。
まずは、五家一本の精神を安定させよう。そして……
「一本さん。あなたの知らない『インディ・ジョーンズ』も『スター・ウォーズ』も全部見せてあげる。本当に驚くと思うから」
五家一本は瞳を閉じているから聞いているのかいないのか。
「三上さん。そういえば、『スター・ウォーズ』の新作はどうなりました?」
三上はフッフッフと笑った。
「それって、『エピソード1』の話ですよね?懐かしいな。驚かないでくださいね。今は
『エピソード9』がこれから公開されるっていう世界です。二十年っていうのはあまりに
も長いですね」
四条は三上の言葉が上手く飲み込めなかった。
「『スター・ウォーズ』以外でオススメの映画はありますか?この二十年のあいだで」
「どうですかね。『ダークナイト』ぐらいかな。ほら。『バットマン』の新しいやつです」
四条は「地」の面積のことを思い出してこう言った。
「あと。東京ディズニーシーは面白いですか?」
「ええ。敷地が広いですが、船で回れるのでとても心地良いですよ」
「一本さん。ディズニーシーにも行きましょう」
四条は五家一本の肩に手を置いた。
キキーッと言ってセダンが急停車した。
三上がブレーキを踏んだのだ。
この山道の前後を走る車はないから、事故にならなくて良かった、と四条は直感的に自
分たちの安全を確認した。
「四条さん。隔世遺伝かもしれません」
「え?」
「男性の脱毛症なんかは、隔世遺伝といって、親と子ではなく、祖父と孫のあいだで遺伝
するらしいんです」
もちろん、四条には何の話かサッパリ分からない。
「あなたは、五家一本さんの孫です。特異体質も、隔世遺伝するのかもしれませんね?だ
って、『地』で土葬された『娘さん』や『息子さん』。つまり、五家一本さんの直接の子
供は生き返ったためしがないという話でしょう?ですから…… 、」
四条は思った。
要するにこういうことか?
四条の直接の子供の赤城龍之介には、特異体質が遺伝しない、と。
四条の感想はこうだ。
―― 知ったことではない。
いつの間にか、四条も小石川正義の思想にかぶれていたことになる。
いずれにせよ、二十年間は猶予があるのだ。五年に一度ではなく、二十年のあいだ白骨
化に至らないように腐敗の進行を遅らせる技術は既に御家属に引き継いでいる。
赤城龍之介には悪いが、四条竜之助は、あと二十年間たっぷり楽しむ気持ちでいっぱい
だった。
この小説は四条にとっての遺作になるだろう。
―― 小説なんて娑婆で書くものじゃねえから
【つづく】