スターライト企画のオフィスは、大型イベントの企画コンペを間近に控え、熱気に包まれていた。
私とリョウのチームも、「絆の連携作戦」を掲げ、着々と準備を進めている。
二人の間には、言葉を交わさずとも通じ合うような、確かな信頼と協力の空気が流れていた。
ミサキの牽制など、もはや気にもならないほどに。
ミサキがこれで引き下がるはずがなかった。
コンペの企画内容を詰めるため、共有サーバーに次々とイベント関連資料がアップロードされていく。
私は、その資料を熱心に読み込んでいたが、やがて違和感を覚えた。
「あれ……? この数字、前に見た資料と違うような……?」
確認のために別の資料を開くと、またしても数字が微妙に食い違っている箇所が見つかる。
特に、会場のキャパシティを示す数字や、過去イベントの入場者数のデータが、資料によってバラバラなのだ。
さらに、イベント会場のフロアプランに関する情報も、何度見ても全体像が掴みにくい。
まるで、意図的に断片化されているかのようだった。
私の脳内で、直感センサーが微かにざわめき始め、次第に不快なノイズへと変わっていく。
(……何か、おかしい。まるで、情報がぼやけているみたいだ)
その日の午後、企画チーム全体ミーティングが開かれた。
ミサキが今回のイベントの最新情報を共有すると話し、プロジェクターに資料が映し出される。
完璧な笑顔で、澱みなく情報を読み上げていく。
一見すると、何の問題もないように見える。
私の直感は、ますます警報の度合いを強めていた。
(この情報……霧だ! 肝心な部分が霞んで見えない!)
必要な情報が「足りない」という感覚。
あるいは、断片的な情報ばかりで、全体像が掴めないもどかしさ。
ミサキが話せば話すほど、頭の中に灰色の靄が立ち込めていくような感覚に陥った。
私は、リョウが隣で腕を組んで、静かにミサキの話を聞いているのを見た。
表情からは何も読み取れない。
ミーティングが終わり、すぐにリョウに詰め寄った。
「リョウさん! 今のミーティング、何かおかしいと思いませんでしたか? 特に、会場のキャパや過去の動員数の数字が、資料によってバラバラで……!」
リョウは、私の焦りを冷静に受け止めるように、ゆっくりと頷いた。
「ああ。奴の常套手段だ。情報の遅延、断片化、そして微妙な齟齬。これらは全て、相手を混乱させ、誤った判断を誘うための罠だ」
リョウの言葉に、ハッとした。やはり、自分の直感は正しかったのだ。
「ミサキさん、私たちをミスさせようと、わざと情報を操作しているんですね!」
「その通りだ。おそらく、お前が『絆の連携作戦』などと吹聴したから、今度は情報戦で分断を狙っているのだろう。
どちらかが情報を見落とし、それが原因で企画に穴が開けば、奴はそこを突いてくる」
リョウの顔には、過去の経験からくる深い洞察が宿っていた。
彼の言葉は、私が感じていた漠然とした不安に、確かな輪郭を与えてくれた。
「どうすればいいんですか……? このままじゃ、肝心な情報が手に入らないまま、コンペに挑むことになります!」
私は焦燥感を露わにした。
リョウの瞳には、諦めの色は微塵もない。
「焦るな、ハルカ。直感は、時に何よりも強力な羅針盤になる。お前の『この情報、霧だ!』という感覚を信じろ。そして、その霧の根源をたどれ」
リョウの言葉が、私の心にスッと染み込んだ。
「情報の羅針盤作戦、開始だ。」
二人はすぐに作戦に取り掛かった。
「まず、共有サーバーのアクセスログを調べる。情報がいつ、誰によってアップロードされたかを確認するんだ」リョウさんが冷静に指示を出す。「そして、関連部署に直接問い合わせて、同じ情報を複数ルートで確認する。特に、経理部、広報部、そして会場担当には念入りに当たれ」
リョウの指示に従い、すぐに動き出した。
持ち前の行動力と、人当たりの良さで、各部署の協力を取り付けていった。
最初は訝しげな顔をする同僚もいたが、私の真剣な眼差しと、誠実な問いかけに、次第に協力的になっていく。
一方、リョウは、過去の経験から得た人脈を活かし、より深い情報の層を探っていた。
頼ったのは、若手時代からの知り合いで、今では企画部のベテランとして裏方業務を支えるユウトだった。
その日の夜、喫茶店「ルナ」で、私、リョウ、そしてユウトが顔を合わせていた。
ユウトは、いつもの飄々とした態度ながら、手元には何枚かの資料を広げている。
「いやぁ、まさかミサキさんが、ここまで姑息な手を使うとはね。サーバーのアクセス履歴は、ごく一部の人間しか見れないようにされてたけど、ちょっと裏技を使わせてもらったよ」
ユウトがニヤリと笑い、資料を差し出す。
そこには、ミサキが意図的に情報を遅らせてアップロードした履歴や、特定の情報だけを閲覧制限していた痕跡が明確に示されていた。さらに、各部署から私が集めてきた情報と照らし合わせると、ミサキが共有した情報には、細かながらも会場のキャパシティや予算に関わる決定的な齟齬があることが判明した。
「やっぱり……! 私の直感は間違ってなかった! これで、会場レイアウトの矛盾点や予算配分のズレも全部繋がる!」私は、確信を得て拳を握りしめた。
「完璧だ、ユウト。そしてハルカ、お前の直感と行動力がなければ、この罠は見破れなかった」
リョウさんが、珍しく私の頭をポンと叩いた。
その手が、まるで私の頑張りを認めてくれるかのように優しく、温かかった。不意打ちのその仕草に、私の心臓がドクンと大きく跳ねる。
私の直感センサーが、彼の温かさの波動に強く反応していた。
私の脳裏に、ミサキの言葉が「灰色の霧」となってオフィスに広がるビジョンが浮かぶ。
その霧はもう、私の心を覆い隠すことはない。
私の直感が「キラキラの羅針盤」となり、正しい方向を指し示していた。
そして、その羅針盤を、リョウさんの確かな手が力強く導いている。
ユウトが提供した確実な情報という光が、霧を晴らしていく。
「これで、ミサキの目論見は完全に外れましたね!」私は自信に満ちた笑顔を見せた。
ミサキは、私とリョウが断片的な情報に惑わされ、コンペの企画に致命的なミスを犯すと信じていたはずだ。
「情報の羅針盤作戦」は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。
二人の間には、情報操作では決して揺るがない、強固な絆の連携が築かれていたのだ。
コンペ当日、ミサキは完璧な笑顔でプレゼンに臨んだ。
その内容は、完璧に見えて、私たちが暴いた情報操作によって、いくつもの穴があることを知っていた。
私たちは、ミサキが隠した重要な情報も完全に把握し、それらを盛り込んだ、より具体性を増した盤石な企画を練り上げていた。
ハルカは、リョウと顔を見合わせる。
二人の目には、確かな勝利の光が宿っていた。
この企画コンペは、ただの競争ではない。
ミサキの放つ「負のオーラ」を打ち砕き、スターライト企画に新たな風を吹き込むための、絆をかけた戦いなのだ。
(ついに、この時が来た!)
プレゼン終了の瞬間、会議室は静寂に包まれた。
誰もが息を呑み、次の瞬間を待っている。
だが、沈黙の後に訪れたのは、予想外の声だった。
「……ハルカさん、リョウさん、素晴らしい提案です。
だが、ここで終わらせるわけにはいきませんね。」
ミサキの瞳が、冷たく光る。
その背後には、社内の意外な“影”の存在がちらついていた。
これは、ただの企画コンペではない。
社内の覇権を巡る、さらなる闘いの始まりだった――。
(つづく)