スターライト企画のオフィスは、大型イベントの企画コンペを間近に控え、熱気に包まれていた。ハルカとリョウのチームも、「絆の連携作戦」を掲げ、着々と準備を進めている。二人の間には、言葉を交わさずとも通じ合うような、確かな信頼と協力の空気が流れていた。ミサキの牽制など、もはや気にもならないほどに。
しかし、ミサキがこれで引き下がるはずがなかった。
コンペの企画内容を詰めるため、共有サーバーに次々とイベント関連資料がアップロードされていく。ハルカは、その資料を熱心に読み込んでいたが、やがて違和感を覚えた。
「あれ……? この数字、前に見た資料と違うような……?」
確認のために別の資料を開くと、またしても数字が微妙に食い違っている箇所が見つかる。さらに、イベント会場のフロアプランに関する情報も、何度見ても全体像が掴みにくい。まるで、意図的に断片化されているかのようだった。
ハルカの脳内で、直感センサーが微かにざわめき始めた。
「……なんか、変だ」
その日の午後、企画チーム全体ミーティングが開かれた。ミサキが今回のイベントの最新情報を共有すると話し、プロジェクターに資料が映し出される。ミサキは完璧な笑顔で、澱みなく情報を読み上げていく。一見すると、何の問題もないように見える。しかし、ハルカの直感は、ますます警報の度合いを強めていた。
(この情報……霧だ!)
必要な情報が「足りない」という感覚。
あるいは、断片的な情報ばかりで、全体像が掴めないもどかしさ。ミサキが話せば話すほど、頭の中に灰色の靄が立ち込めていくような感覚に陥った。
ハルカは、リョウさんが隣で腕を組んで、静かにミサキの話を聞いているのを見た。彼の表情からは何も読み取れない。
ミーティングが終わり、ハルカはすぐにリョウさんに詰め寄った。
「リョウさん! 今のミーティング、何かおかしいと思いませんでしたか?」
リョウさんは、ハルカの焦りを冷静に受け止めるように、ゆっくりと頷いた。
「ああ。奴の常套手段だ。情報の遅延、断片化、そして微妙な齟齬。これらは全て、相手を混乱させ、誤った判断を誘うための罠だ」
リョウさんの言葉に、ハルカはハッとした。やはり、自分の直感は正しかったのだ。
「ミサキさん、私たちをミスさせようと、わざと情報を操作しているんですね!」
「その通りだ。おそらく、お前が『絆の連携作戦』などと吹聴したから、今度は情報戦で分断を狙っているのだろう。どちらかが情報を見落とし、それが原因で企画に穴が開けば、奴はそこを突いてくる」
リョウさんの顔には、過去の経験からくる深い洞察が宿っていた。彼の言葉は、ハルカが感じていた漠然とした不安に、確かな輪郭を与えてくれた。
「どうすればいいんですか……? このままじゃ、肝心な情報が手に入らないまま、コンペに挑むことになります!」
ハルカは焦燥感を露わにした。
しかし、リョウさんの瞳には、諦めの色は微塵もない。
「焦るな、ハルカ。直感は、時に何よりも強力な羅針盤になる。お前の『この情報、霧だ!』という感覚を信じろ。そして、情報の出所をたどれ」
リョウさんの言葉が、ハルカの心にスッと染み込んだ。
「情報の羅針盤作戦、開始だ」
二人はすぐに作戦に取り掛かった。
「まず、共有サーバーのアクセスログを調べる。情報がいつ、誰によってアップロードされたかを確認するんだ」リョウさんが冷静に指示を出す。「そして、関連部署に直接問い合わせて、同じ情報を複数ルートで確認する。特に、経理部、広報部、そして会場担当には念入りに当たれ」
ハルカは、リョウさんの指示に従い、すぐに動き出した。彼女は持ち前の行動力と、人当たりの良さで、各部署の協力を取り付けていった。最初は訝しげな顔をする同僚もいたが、ハルカの真剣な眼差しと、誠実な問いかけに、次第に協力的になっていく。
一方、リョウさんは、過去の経験から得た人脈を活かし、より深い情報の層を探っていた。彼が頼ったのは、若手時代からの知り合いで、今では企画部のベテランとして裏方業務を支えるユウトだった。
その日の夜、喫茶店「ルナ」で、ハルカ、リョウ、そしてユウトが顔を合わせていた。ユウトは、いつもの飄々とした態度ながら、手元には何枚かの資料を広げている。
「いやぁ、まさかミサキさんが、ここまで姑息な手を使うとはね。サーバーのアクセス履歴は、ごく一部の人間しか見れないようにされてたけど、ちょっと裏技を使わせてもらったよ」
ユウトがニヤリと笑い、資料を差し出す。
そこには、ミサキが意図的に情報を遅らせてアップロードした履歴や、特定の情報だけを閲覧制限していた痕跡が明確に示されていた。さらに、各部署からハルカが集めてきた情報と照らし合わせると、ミサキが共有した情報には、細かながらも決定的な
「やっぱり……! 私の直感は間違ってなかった!」ハルカは、確信を得て拳を握りしめた。
「完璧だ、ユウト。そしてハルカ、お前の直感と行動力がなければ、この罠は見破れなかった」リョウさんが、珍しくハルカの頭をポンと叩いた。
ハルカの脳裏に、ミサキの言葉が「灰色の霧」となってオフィスに広がるビジョンが浮かぶ。しかし、その霧はもう、ハルカの心を覆い隠すことはない。ハルカの直感が「キラキラの羅針盤」となり、正しい方向を指し示していた。そして、その羅針盤を、リョウさんの確かな手が力強く導いている。ユウトが提供した確実な情報という光が、霧を晴らしていく。
「これで、ミサキの目論見は完全に外れましたね!」ハルカは自信に満ちた笑顔を見せた。
ミサキは、ハルカとリョウが断片的な情報に惑わされ、コンペの企画に致命的なミスを犯すと信じていたはずだ。しかし、「情報の羅針盤作戦」は、彼女の予想を遥かに超えるものだった。二人の間には、情報操作では決して揺るがない、強固な絆の連携が築かれていたのだ。
コンペ当日、ミサキは完璧な笑顔でプレゼンに臨んだ。しかし、彼女が仕掛けた情報操作は、すでにハルカとリョウによって無力化されている。二人のチームは、ミサキが隠した重要な情報も完全に把握し、それらを盛り込んだ、より盤石な企画を練り上げていた。
ハルカは、リョウと顔を見合わせる。二人の目には、確かな勝利の光が宿っていた。この企画コンペは、ただの競争ではない。ミサキの放つ「負のオーラ」を打ち砕き、スターライト企画に新たな風を吹き込むための、絆をかけた戦いなのだ。
(つづく)