オフィスの空気に、見えない「金色の鎖」が張り巡らされているようだった。
それは、私の自由を奪い、私をある「枠」に閉じ込めようとする甘くも重い罠だった。
スターライト企画のオフィスは、大型イベントのコンペを間近に控え、これまで以上に慌ただしくなっている。
私とリョウのチームは「絆の連携作戦」を掲げ、着実に計画の完成度を高めていた。
ミサキの巧妙な情報操作を乗り越え、二人の信頼は揺るぎないものとなっている。
そんなある日の午後。
自分のデスクで資料を整理していると、背後から甘い声が聞こえた。
「あら、ハルカちゃんじゃない。
ねぇ、聞いたわよ。
来場者動線の企画、すごく評判いいみたいじゃない!」
振り返ると、ミサキが満面の笑みで立っていた。
その笑顔はいつもの冷ややかさとは違い、まるで親友のような過剰な優しさに満ちている。
「え、あ、ありがとうございます……」
戸惑いを隠せない私をよそに、ミサキは続ける。
「もう、ハルカちゃんってば謙遜しちゃって!
でも本当にすごいわ。
私なんて、そんな細かいところまで気が回らないもの。
やっぱり細やかな部分が得意よね!
気配り上手で人の心を鷲掴みする特技っていうのかな?
尊敬しちゃうわ」
私の直感センサーは確かに警報を鳴らしていた。
(甘い言葉と嫌味な言葉の裏に、何かが隠れている……)
まるで見えない鎖が私の思考を絡めとろうとするような違和感。
ミサキの優しさに、素直に頷けない自分がいる。
翌日から、ミサキの態度は露骨に変わった。
会議のたびに私の動線プランを褒め称え、他のメンバーの前でこう言うのだ。
「ハルカちゃんなら、この細かい作業も完璧にこなしてくれるわよね?
得意分野ですものね」
それは明らかに、私を「細やかな部分だけ担当する人」として固定し、大局的な提案の機会を奪おうとする罠。
その日の夜、私は喫茶店「ルナ」でナツミに相談した。
ナツミは穏やかに私の話を聞き、こう言った。
「褒め言葉の裏には、期待という名の重しが隠れていることもある。
過剰な褒め言葉は時に、相手を型にはめようとするのよ。
違和感を感じた時は、その裏側を探ってみることが大切。」
まさに今、ミサキの言葉が私を「細かい部分が得意な人」という枠に閉じ込めようとしている。
「私、どうしたらいいでしょう?」
と不安そうに尋ねると、ナツミは微笑んだ。
「ハルカちゃんはもう答えを知っているわ。
自分の直感を信じて、これまで通り最高の仕事を続けること。
そして、その枠を自ら破ること。それが最大の反撃になる。」
その言葉を胸に、私は決意を新たにした。
翌日から私は「キラキラジャブ作戦」を始めた。
ミサキが通りかかるたび、他の社員の前でも、舞台役者のように笑顔で褒め返す。
「ハルカちゃん、今日の資料も完璧!
本当に頼りになるわ」
私は最高の笑顔で返す。
「ありがとうございます、ミサキさん!励みになります!」
頭の中で軽やかに「ジャブ!」と唱えながら、与えられた仕事はもちろん、担当外のタスクにも積極的に関わる。
企画全体を見渡し、改善点を見つけては提案し、同僚の困りごとにもさりげなく手を差し伸べる。
表面上は「細部のスペシャリスト」を演じつつ、深夜までオフィスに残り、リョウと密に連携しながら、
コンペで発表する「全体のコンセプト」と「革新的アイデア」を磨き込んだ。
深夜のオフィス。窓の外に広がる東京の夜景が、まるで私たち二人だけの特別な空間を作り出しているようだった。
「遅くまでごめんなさい」
私が言うと、リョウは何も言わず、ただ静かにコーヒーを差し出してくれた。
そのカップから立ち上る湯気が、疲れた心にじんわりと染み渡る。
彼の気遣いは、言葉よりもずっと雄弁に、私を癒してくれた。
私の笑顔は、ミサキの張り巡らせた「金色の鎖」を跳ね返し、彼女の陰口や悪評を打ち消していく盾となった。
ミサキは次第に表情を曇らせ、小さく舌打ちをした。
「一体何を考えているのかしら……」
そして、ミサキが去った後、リョウと目が合い、小さく頷く。
彼の肯定の眼差しが、私の背中を押してくれる。
「すごいな。お前は本当に」
リョウが、はにかむように小さく呟いた。
その言葉に、私の心臓が、ドクン、ドクンと音を立てた。
ミサキに勝った喜びとは違う、もっと個人的で、甘い勝利の予感がした。
ミサキの甘い毒は、私のキラキラジャブによって無力化された。
これは、私の直感とそれを信じる強さがもたらした勝利だった。
そして、この勝利は、コンペ本番での「大逆転」を予感させる確かな手応えとなったのだ。
コンペ本番前夜。
私はリョウと並んで、最後の準備をしていた。
「明日、全てを賭ける時が来るな」
リョウの声に、私の心は静かに燃えた。
だが、その時、スマホに届いたメッセージが、私の胸を凍らせた。
『スターライト企画の内情を知る者からの警告。
“背後には、思わぬ影が潜んでいる”――。』
これは単なるコンペではない。
私たちの絆を試す、もっと深くて危険な戦いの幕開けだった――。
(つづく)