村の宿舎……といっても、質素な木造の小屋にすぎなかったが、その一室で、悟はアカネと並んで床に座っていた。
窓の外では、子どもたちが畑を駆け回っている。武器も持たず、笑い声をあげながら。
(油断してる……いや、これが“平和”ってやつなのか?)
悟は頬をかすかに引きつらせた。
敵がどこから襲ってくるとも知れないというのに、この無防備な日常。
それは、軍人として育った彼にとって、あまりにも異様な光景だった。
「ここは、本当に……戦場じゃないのか?」
(うん。カリナ村は、森と共に暮らしてる。おそわれることもあるけど、戦ってばかりじゃないよ)
アカネが語る“普通”は、悟の世界では“隙”だった。
しかし……
ドォォン!
突如、遠くで爆音が響いた。
地鳴りが走る。子どもたちの悲鳴が上がる。
悟は即座に立ち上がり、外へ飛び出した。
森の端、見張り台が炎に包まれていた。
「敵襲――か!?」
(サトル、村の人たちが、こわがってる! たすけて……!)
悟は迷わずアカネに跨り、村の中央へ駆け出した。
村人たちは混乱しながらも、弓を手にしたり、柵を補強したりと防衛に動いていた。
その中に、一際目立つ姿があった。
長い銀髪を風になびかせ、背中に大弓を背負った獣人の少女。
落ち着いた動きで、的確に指示を飛ばしている。
「お前が……ここの戦力か?」
「誰だ、お前は……新参の……“外の者”か。構ってる暇はない。もし手があるなら、南門へ行け」
「了解した」
迷いはなかった。
悟は敵がどこから来ているのか、地形を確認し、動線を即座に読み取る。
そしてアカネに指示を飛ばす。
「アカネ、左の小道に回り込んで、後方から突け! 俺が前を引きつける!」
(わかった、まかせて!)
飛べなくても、アカネの俊敏さは武器になる。
悟が前方から囮となり、敵、それはまたもや瘴気を纏った魔物たちだった……を誘き寄せる。
弓の少女が援護に入り、背後から正確無比な矢を放つ。
(……あいつ、上手い)
同時に、背後から豪快な剣撃が魔物の腹を切り裂いた。
振り向けば、大柄な男。鋼の大剣を振るう人間族の青年がいた。
「まったく、こんな時に見知らぬ奴まで……だが今は、戦え!」
さらにその横で、異様な輝きを放つ魔法陣を描くエルフの少女が叫んだ。
「焼き尽くしなさい、
雷鳴のような閃光が地を走り、魔物が吹き飛ぶ。
それは、三者三様の戦い方。
だが一体感があった。戦う意味を共有しているからこそ。
「……まるで、航空隊の連携みてぇだ……」
気がつけば、悟も自然とその陣に溶け込んでいた。
戦闘の終息は、思いのほか早かった。
すべての魔物が倒れた頃、村の者たちは安堵の息をついた。
剣士の男が、悟に歩み寄ってくる。
「お前、戦い慣れてるな。どこで鍛えた?」
「……軍、だ」
「ぐん? 聞いたことねぇな、そんな部族」
「そうだろうな……」
互いの文化も、言葉も、考え方も違う。
だが、この瞬間だけは、共に命を賭けて戦った……それは、揺るぎない“事実”だった。
エルフの少女が興味津々と悟を見上げる。
「あなた、ちょっと変わった心をしてる。でも、それがまた面白いわ」
アカネが、悟の足元にちょこんと座る。
(サトル……これが“仲間”ってやつ、かな?)
「……ああ、まだ信じきれないけどな」
そう答えながらも、悟の心には、今までなかった熱が芽生えていた。
“敵”でも“味方”でもない、もう一つの関係。
それが「仲間」と呼ばれるものだと、悟はまだ理解できないまでも、感じ始めていた。
**♪
村に平穏が戻ったのは、日がすっかり沈んだ頃だった。
戦の後片づけが一段落すると、村の広場には焚き火が焚かれ、軽い食事と酒が振る舞われた。
とはいえ、それは祝勝というよりも、無事を感謝する小さな慰めのような場であった。
悟は火のそばに腰を下ろし、黙々と干し肉を噛んでいた。
傍らにはアカネ。仲間となった三人も、彼の近くに腰を下ろしていた。
「で、神崎とかいう変わった名前のあんたは、一体どこの出身なんだ?」
大剣を背負った人間族の青年“ライガ“が、肉を齧りながら訊いてくる。
「……遠い国だ。ここからは想像もつかないぐらい、な」
「ふぅん。戦い方を見てると、ただの旅人には見えねえ。お前、戦士の匂いが染みついてる」
ライガの言葉に、弓使いの獣人少女“セナ“が冷ややかに続けた。
「戦士というより、殺し屋かもね。あの手際……まるで敵を“生きた存在”として見ていなかった」
「……敵は敵だろ」
悟は、何の感情も乗せずに言った。
それが、彼にとって“当たり前”だったから。
だが、その言葉に反応したのは、エルフの少女“ティア“だった。
「あなた、戦いが終わったあとに、魔物の亡骸をじっと見ていたわね」
「……確認しただけだ」
「違う。あれは“殺した実感”を確かめる目。……あんまり好きじゃないわ、そういうの」
悟はティアの視線を正面から受け止めた。
彼女の瞳は、どこか痛ましさを湛えていた。
「お前たち、何を甘いことを言ってる。あいつらは敵だ。何もせずに放っておけば、村の人間を殺していた」
「だからって、無慈悲に叩き潰すのが正しいっていうの?」
「……命を奪う覚悟もない者が、戦場に立つべきじゃない」
焚き火の炎が、悟の目に紅を灯す。
その言葉の一つ一つが、まるでかつて教官に叩き込まれた教えをなぞるように冷たい。
一瞬、場に沈黙が落ちた。
そして、セナが静かに口を開いた。
「……あなた、どこかで“死ぬこと”に意味を求めてるわね」
「…………」
「まるで、死ぬために戦ってるみたい」
悟の眉がピクリと動いた。
(“死ぬために戦う”……それが……間違いなのか?)
(サトル……)
アカネが小さく悟を見上げる。だが、何も言わない。
その静けさが、逆に悟の中にある“動かせない何か”を、じわじわと照らし出していく。
その夜、悟はひとり、焚き火のそばで眠らずにいた。
誰もが眠りに落ちた村の夜。
遠くで獣の声が鳴く。
それでも、火は燃えている。
悟は、ふと上着の内ポケットをまさぐった。
そこにあるはずの……あの手紙。
《本日、私は憎っくき米艦に特攻します。
その際は良くやったとあなたの息子を褒めてやってください。
日本のため、天皇陛下のため、そしてお母さんのために、私は行きます。
出来るなら一目お会いしとうございました。》
それは、彼にとって“死に向かうことこそが正義”であるという証だった。
「……今の俺は、間違っているのか? 生きてることが、罪なのか……?」
誰にも届かない問い。だが、アカネだけは隣で目を開けていた。
(サトル……ぼくは、サトルが生きてるの、うれしいよ)
その声に、悟はかすかに目を細めた。
言葉にならない思いが、炎の揺らぎに溶けていった。