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第4話 未来を紡ぐ矢、過去を断つ剣

 翌朝、村には不思議な静けさがあった。

 焚き火の残り香が風に溶け、夜の余韻をわずかに残している。


 悟は村の外れ、川辺で顔を洗っていた。

 冷たい水に触れると、脳裏にセナの言葉が蘇る。


「まるで、死ぬために戦ってるみたい」


 無意識に、拳を握る。


(おはよう、サトル。……なんか、まだ目がこわいよ?)


 アカネがちょこんと岩の上に座り、のんびりとした声を投げかけてきた。


「……ああ。ちょっとな」


(きのうの人たち、サトルのこと、すこしこわがってた)


「そうだろうな」


(でも、サトルは……ぼくには、ちっともこわくないよ)


 悟は小さく笑い、手でアカネの頭を軽く撫でた。


「お前は、ほんとに……変なやつだ」


 その時、背後から声がかかった。


「ここだったか、神崎」


 振り返ると、そこには弓を背負ったセナが立っていた。

 白い毛並みの耳が朝日に照らされ、凛とした佇まいがあった。


「昨夜は、言い過ぎたかもしれない」


「……気にしてない」


「そうか。ならいい。……少し、話せるか?」


 悟は頷き、アカネも悟に続き、セナと並んで歩き出す。


 彼女は、村の外れにある一本の大木の下で足を止めた。

 風が、枝を揺らす。静かに、彼女は語り始めた。


「私の父は、村の狩人だった。魔物との戦いで命を落とした。けれど、私は“戦士”だった彼を恨んでいない」


「……死に様が、誇らしかったからか?」


「違う。私は、父が“生きようとしていた”ことを、誰よりも知っていたからだ」


 悟は、その言葉に眉を動かした。


「父は、仲間を守るために戦った。逃げる時間はあった。でも、逃げなかった。……でもそれは、死ぬためじゃない。“みんなを生かすために、戦った”んだ」


「…………」


「だからこそ、私は父を尊敬している。死の美学なんて、私は信じない。生きて、守って、未来を繋ぐ。それが戦う意味だと、信じてる」


 風が吹いた。葉が揺れ、陽が差す。


「……お前は、俺に“間違ってる”って言いたいんだな」


「違う。私は“違う価値観”を伝えたいだけ。信じるものが違うのは当たり前よ。だから、ぶつけ合えばいい」


「……そうか」


 悟の心に、小さな火種のようなものが灯った。

 これまでの彼にはなかった……「考えたい」という意志。


(サトル……ねえ、きっと、この世界の“まもりかた”、まだ見つかるよ)


「守り方、か……」


 その時、剣士のライガが森の方から姿を現した。


「神崎、話は聞こえた。お前に一つ、教えておく。俺も昔、“死ぬために戦った”口だ」


「……お前が?」


「弟を殺された。敵を全員殺すために剣を取った。でも、復讐が終わった時、残ったのは“何もない自分”だけだった」


「…………」


「それでも俺は、剣を捨てなかった。今は、“誰かを守る”ために剣を振るってる。誰のためでもない、“今、生きてる奴ら”のためにだ」


「……それが、お前の生き方か」


 ライガはうなずき、少しだけ微笑んだ。


「お前も、いずれ気づく。死ぬためじゃなく、生きるために戦う価値をな」


 その背中が森へと消えていくのを、悟は黙って見つめていた。


 自分は、本当にまだ“戦時中”にいるのか……

 それとも、目の前のこの世界こそが、“いま”なのか。


 その問いの答えは、まだ出せなかった。

 けれど、その日悟は初めて、「自分の死」ではなく「誰かの命」のために、剣を取りたいと思った。


***


 ある日の午後。

 悟はアカネと共に、村の見張り台の上から空を眺めていた。

 深い緑に囲まれたこの世界の空は、どこまでも青く、どこか懐かしい匂いがした。


「……戦争がなければ、故郷の空もこんな色だったのかもな」


 隣で丸くなっていたアカネが、もぞもぞと身を起こす。

 悟の隣にぴたりと座って、空を見上げた。


(ここの空、すき……だけど、きのうから、なんだかちょっと……苦しい匂いがする)


「苦しい?」


(うん。空の奥のほう……なんていうか、空気が、ざらざらしてる)


 悟は眉をひそめた。

 ただの風の流れか、気候の変化か……そう思いたかった。   だが、直感がそれを否定していた。


 その夜。


 空に異変が起きた。


 突如として、北の空に黒い雲が広がった。

 それは雷雲のように見えたが、稲光は走らず、かわりにどこまでも不気味な静寂と瘴気のようなものが村に流れ込んできた。


「なんだ、あれは……!?」


 見張りの声が上がり、村人たちが騒然となる。


 セナが弓を手にしながら言った。


「空が……腐っていく。これは、ただの自然現象じゃない」


 ライガが剣を握りしめて唸る。


「瘴気……だとしたら、あれは“あいつら”の仕業かもしれねえ」


「“あいつら”って?」


「闇の勢力……俺たちはそう呼んでる。魔物や瘴気を操り、この世界の“空”を蝕もうとしている何かだ」


 悟の心に、警鐘のような痛みが走った。


 空が汚される……

 それは、彼にとって他人事ではなかった。


 かつて彼が見た故郷の空。空襲。爆撃。焼夷弾。

 彼の世界では、“空”とは死を降らせる場所だった。


(また……空が壊されるのか)


 アカネが、怯えたように背を震わせて近づいてくる。


(あれ、やだ。こわい。空が、なくなっちゃうみたい)


 悟は、咄嗟にアカネを両腕で包み込んだ。

 一メートルの身体はずしりと重かったが、それでも守りたかった。

 守らねばならないと思った。


「大丈夫だ。お前は飛ぶんだろ? だったら、その空は、俺が守る」


(……サトル)


 村の空に広がる黒雲は、やがて去った。

 だが、空気には確かに、ざらついた“残り香”があった。

 これは兆候だ。何かが、始まろうとしている。


 その夜、村の長老が悟たちを招き入れた。


「お前たちに、伝えねばならぬことがある。この世界は今……かつてない危機に瀕している」


 長老の語るところによれば、あの瘴気は、各地の空に不定期に現れ始めている現象であり、近年特に頻発しているという。


「瘴気は魔物を狂暴化させ、大地を腐らせ、空を蝕む。かつてこの世界を守っていた“空の竜”たちも、次々と沈黙した」


 悟は目を伏せる。


「……つまり、アカネも……お前らにとって、希望みたいなもんか」


「そうだ。だが、彼ひとりでは未熟だ。守る者が必要となるだろう。……お主のようにな」


 沈黙が落ちた。


 やがて、悟はゆっくりと口を開いた。


「戦争は、俺の世界だけで終わったもんじゃなかったってことか」


 その声には、わずかながら決意が宿っていた。

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