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第5話 戦う理由、守る空

 悟は、村の武器庫の奥にいた。


 天井は低く、湿気を含んだ木の匂いが鼻を突く。棚には、狩りや護衛に使われる様々な武具が並んでいた。

 だが、悟の目はその中でも、ある一点に釘付けになっていた。


「これは……」


 手に取ったそれは、一見すればただの錆びた刀だった。

 だが、柄を握った瞬間……懐かしい感触が、悟の脳裏を駆け抜けた。


「……日本刀、か? いや、形が……違う。だが、手に馴染む……」


(それ、村の人たちが“風鋼の刃”って呼んでる武器だって。魔物の甲殻も断てるって)


「風鋼……風のように速く、鋼のように鋭いってことか」


 悟は、静かに鞘から刀身を引き抜いた。


 金属光沢の中に、わずかに青みを帯びた筋が通っている。

 軽い……だが、決して脆くはない。

 まるで、飛行機の機体素材のような感覚すらある。


「これでいい。俺には、こういう重さが一番合ってる」


 ライガが背後から声をかけた。


「選んだな、“戦う理由”を」


 悟は、鞘を腰に差し、柄に手を置いた。


「ああ。誰かに言われたからじゃない。これは、俺が……自分の意志で持つ剣だ」


 その声に、ライガは微笑んだ。


「なら、お前もこの世界の“戦士”だ。……ようやく、だな」


***


 旅立ちの日。


 悟とアカネは、セナ・ライガ・ティアと共に、村の門前に立っていた。

 見送る村人たちは、彼らの旅の無事を祈るように手を合わせている。


「カリナ村から西へ四日の道を越えた先、“風見の丘”に次の集落がある。瘴気の発生源のひとつが、その付近だと聞く」


 ティアが地図を指しながら言う。

 アカネは小さく唸った。


(ぼく、ここよりもっと高くて、広い空を見てみたい!)


 悟は笑った。


「だったら、まずは歩いてでも、登ってみるか。“空を守る”ってのがどういうことか、確かめながらな」


 セナが、懐から小さな布袋を差し出した。


「これ、村の保存食。干し肉と乾燥果実。それと、アカネ用の温石。夜冷えるだろうから」


「……ありがたい」


「勘違いしないで。あなたがちゃんと生き延びるように、投資してるだけ」


 セナはそっぽを向くが、その耳はぴくぴくと揺れていた。


「まったく素直じゃねぇな」とライガが笑いながら続ける。


「じゃあ、行くか。“空を護る隊”の出動だ」


 悟は風鋼の剣に手を置き、最後にアカネに向かって言った。


「行こう、アカネ。俺たちの戦いは、ここからだ」


(うんっ! “サトル隊長”、出発だね!)


「誰が隊長だ」


(サトルしかいないよ!)


 そんなやりとりに、見送りの子供たちが笑った。


 悟は一歩、前へと踏み出す。

 その足は、もう「死ぬため」ではなく……「生きるため」に、進んでいた。


 空はまだ、青い。

 だが、彼らが目指すその向こうには、黒い瘴気が、世界を覆い始めている。


 “空を守る者”としての、戦いが始まる。


***


 風見の丘……

 その名の通り、強い風が吹き抜ける高台のその場所には、かつて風の精霊が宿っていたという祠があった。

 だが今、その地に立つ悟たちを迎えたのは、風ではなく、不気味な沈黙だった。


「……空が、妙に重いな」


 悟が顔をしかめる。

 見上げる空は曇天。視界の端に、じわじわと黒い靄が迫っていた。


(……サトル、やっぱり……空が、痛がってる)


 アカネの声が、かすかに震えていた。

 その背にはまだ、飛ぶための翼が十分には育っていない。

 けれど、彼の感覚はこの世界の“空”とどこかで繋がっている……悟には、そんな気がしていた。


 丘の中腹に差し掛かった時、セナがぴたりと足を止めた。


「いる。……瘴気を喰って狂った魔物。複数、こっちに向かってくる」


「……敵は見えるのか?」


「姿はまだ。でも、風が教えてくれる」


 悟は鞘に手をかけ、深く息を吐いた。


(今の俺は、もう“死にに行く”んじゃない)


(“生きて帰るため”に、戦うんだ)


 風鋼の刃が抜かれる音と同時に、魔物たちが姿を現した。


 黒い瘴気を纏った狼型の魔物が三体、牙を剥いて突進してくる。

 その背には、羽虫のような寄生生物が何匹も蠢いていた。


「アカネ、前に出るな。俺が引きつける!」


(うんっ! サトル、気をつけて!)


 悟は斜面を駆け下りる。

 刃を低く構え、風を切るように魔物の懐へ飛び込む。


「はぁぁっ!」


 一閃。

 風鋼の刃が黒狼の首筋を斬り裂いた。

 感触は、飛行機の整備中に切断した油圧パイプにも似ていた。しぶきと瘴気の混じった嫌な感触。


 二体目が襲いかかる。

 だが、横から閃いたのは、ライガの剣。


「調子はどうだ、隊長さんよ!」


「勝手に呼ぶな!」


 その上空から、ティアの魔法が炸裂した。


雷精ライセル、解き放ちなさい!」


 雷が空を裂き、寄生虫を焼き払う。

 セナの矢が三体目の脚を貫き、アカネの口から放たれた炎がそれを追い討ちする。


 連携は完璧だった。


 魔物が地に伏すと、丘に再び風が戻り始めた。


「……やったな」


「この程度、まだ序の口よ。けど……」


 ティアが空を見上げる。


「瘴気の密度が増してる。“中心”が、近いのかもしれない」


 悟もまた、空を仰いだ。

 その時……彼の中で、ある記憶が蘇る。


 爆炎。黒煙。

 空母を目指し突撃した機体の振動。

 焼けた空。母の顔。


「……っ!」


(サトル!?)


 アカネが駆け寄る。

 悟は、無意識にその場に膝をついていた。


「空が……空が、また“死ぬ”のか……」


 かすかな震えが、声ににじんだ。

 彼にとって“空”は、死と直結していた。

 だからこそ、この世界の空が侵されていく様子が、彼の過去を突き刺してくる。


 セナがそっと声をかける。


「……この世界の空は、まだ生きてる。あなたがそれを守りたいと思うなら、過去に囚われないで」


 悟は、アカネの温かな体温を感じながら、ようやく息を整えた。


「……わかってる。……でも、怖いんだ」


「それでいい。怖いからこそ、人は守ろうとするんだよ」


 その言葉に、悟はゆっくりと立ち上がった。


「……行こう。この先に、“もっと深い闇”があるんだろう」


(うんっ。ぼく、がんばるよ! サトルとなら、空も、こわくない!)


 悟はもう一度、剣の柄を握った。


 風は、また吹き始めていた。

 彼の心の奥にも、ようやく“過去とは別の風”が、流れ始めていた。

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