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第6話 瘴気の源、黒き塔の影

 風見の丘を越えてさらに西へ進んだ先、広がるのは荒れ果てた湿地帯だった。

 草木は腐り、地面はぬかるみ、空は灰色に沈んでいる。風すら、瘴気の重みに押し潰されていた。


 そして、その中心に塔があった。


 黒く、ねじれた石で築かれた異様な構造物。

 自然の産物ではない。人工的でありながら、この世界のどの文明とも異なる“意図”を感じさせる、禍々しい存在だった。


「……あれが、瘴気の発生源か」


 悟が低く呟いた。


(うん……あそこ、すごくこわい。空も……苦しんでる)


 ティアが眉をひそめる。


「魔力の流れが歪んでる。あそこは……この世界に、無理やり突き立てられた“杭”みたい」


 ライガが剣を抜いた。


「行こう。中に何があるかは分からねぇが、ここを放っておけば、空も、地も腐る」


 塔の扉は、触れる前に自動で軋みを上げて開いた。

 瘴気が音もなく溢れ出す。だが、不思議なことに、内部は静かだった。


 黒い石造りの回廊、浮遊するような光の粒。

 ただひたすらに、冷たく、そして無機質。


「敵の気配……薄いな」


「罠、かもしれないわね。でも、引く理由もない」


 塔の最上層に至ったとき、彼らを待っていたのは、“人の形をした影”だった。


「ようこそ、勇敢なる侵入者たちよ」


 その声は、確かに“言葉”だった。だが、アカネが訳そうとするより先に、悟の頭に直接響いた。


 精神感応。それは老竜やアカネと同様の、意志の干渉。


 影は、黒衣をまとった痩身の姿をしていた。顔はフードの奥に隠れている。


「貴様は……何者だ」


「名など必要あるまい。だが、あえて言うなら“黒翼の使徒”。この世界の空に、正しき終焉をもたらす者だ」


「……正しき終焉、だと?」


「そう。空とは、本来“巡るもの”。命もまた、巡るべきもの。だがこの世界は、空に執着しすぎた。かつての竜たちすら、それに囚われて堕ちていった」


悟は、一歩前に出る。


「お前が……この空を汚している元凶か」


「我はただ、元に戻しているのだよ。過剰な生を正し、澱んだ空を浄化する。“死”によって、ね」


 その言葉に、悟の胸の奥がざわついた。


「死が浄化……か。……お前は、“死ぬことが正しい”と、本気で思ってるのか?」


「当然。死は終わりではない。始まりでもある。“滅びの美学”こそ、真の秩序だ」


 その一言に、悟の全身が凍りついた。

 それはかつて、自分が信じ、特攻へと向かわせた思想と、まるで重なっていた。


「……その言葉、俺が最も憎むものだ」


(サトル……)


「俺は、もうその考えから逃げたと思ってた。でも違った。今、こうして聞いて、はっきりわかった。

“死に意味なんてねぇ”。意味を与えるのは、残された者だ」


 悟は剣を抜く。


「お前を倒す。生きる者の空を、汚すな!」


 黒き影は静かに微笑む。


「面白い。ならば……お前の生を、我が“終焉”に捧げてみせよ」


 闇が渦を巻き、塔の最上層に魔力の暴風が吹き荒れる。


 悟は、風鋼の刃を強く握りしめた。

 もう迷いはない。


 塔の頂に吹き荒れる風は、もはや自然のものではなかった。

 闇の使徒が放つ瘴気は空気そのものを腐食させ、視界を黒く染めてゆく。

 石床が軋み、光が飲まれる。


 悟は風鋼の剣を構え、敵を正面から見据えた。


「アカネ、支援を頼む。俺が前に出る」


(うん、サトル……気をつけて……あいつ、すごく“空の敵”だ)


 黒き使徒は、腕を広げると同時に、自身の周囲に黒い羽根のような瘴気を解き放った。

 それらは刃となり、毒となり、空を断ち切る意志そのものだった。


「空が生きている限り、貴様の理屈は通らない!」


 悟が踏み込む。

 低く構えた刃を、風と共に突き出す。

 使徒の瘴気の翼が襲いかかるが、悟の体は“風”のように滑る。


 まるで、特攻機の編隊を縫うような動き。

 機体ではなく、肉体で。

 空ではなく、地の上で……それでも彼の動きには、空戦感覚の残響があった。


「はッ!」


 一閃。

 だが、刃は影の本体に届く寸前で弾かれる。


「無駄だ。我が身はこの世界の瘴気そのもの。生の理では斬れぬ」


「なら、これはどうだ!」


 アカネの咆哮が塔を揺らす。

 その口から放たれた赤い炎は、ただの火ではない。“空”に選ばれた命の証。老竜から受け継いだ、純粋な生命の火だ。


 闇と火がぶつかり合い、塔の天井を割る轟音が響いた。


 そこから、光が射した。

 曇っていた空に、一筋の光明が……。


「……空が……まだ、生きてる!」


 悟は叫び、跳ねるように踏み込んだ。

 光を背に、風鋼の刃を振り上げる。

 その一太刀は、まるで“空そのもの”の意志が宿ったかのように、黒き使徒の胸を貫いた。


「な……バカな……この程度の……光が……!」


「これは、希望の光だ。死じゃねぇ、“生きよう”とする者たちの力だ!」


 使徒の体に亀裂が走る。闇が崩れ、瘴気が空へと散っていく。


(サトル! 外、見て!)


 悟が振り返ると、塔の天井が崩れ落ちた先に、瘴気に覆われていた空が、晴れていた。


 まだすべてが浄化されたわけではない。

 だが、確かに一筋の青が戻っていた。


 使徒の体が消えゆく中、かすかな声が残った。


「空は……いずれ……また……」


「何度だって守るさ。生きてる限りな!」


 静寂が訪れた。

 戦いは、終わった。


 仲間たちが駆け寄る。

 セナは弓を下ろしながら、「見直したわ」とつぶやき、

ライガは「今の剣筋、悪くなかったぜ」と笑った。

 ティアは、塔の柱に寄りかかりながら、ぽつりと呟く。


「やっぱり、あなた……死の匂いじゃなく、生の風を纏ってるわ」


 悟は空を仰ぐ。


 その青は、かつて自分が“死ぬため”に見上げた空とは違う。

 誰かと共に、“生きるため”に守る空だった。


(サトル、ぼく、飛べる日が、ちょっと近づいた気がするよ)


「そうか……なら、俺も少しだけ、“空を信じて”みてもいいかもしれないな」


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