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第7話 再会の残響、戦火の記憶

 黒き塔の崩壊から三日。

 瘴気の影は一時的に後退し、空には久しぶりに穏やかな青が戻っていた。


 悟たちは、風見の丘の麓にある巡礼者の宿へ身を寄せていた。

 風鋼の剣は刃こそ無事だったが、鞘の根元が砕けており、村の鍛冶師に修理を依頼している。


 そんな中、悟は一人、宿の裏手の丘にいた。

 アカネは近くで草の上に丸くなり、昼寝の最中だ。


 風が吹く。青い空が広がる。

 まるで……

 どこか、懐かしい光景だった。


(……飛行訓練の時、よくこんな風を感じていたな)


 訓練生時代の記憶が、ふいに蘇る。

 教官の怒鳴り声、油と焼けた金属の匂い。

 真夏の滑走路、汗に滲んだ鉢巻き。


(あれが……全部、正しかったのか)


 ふと、背後で足音が止まった。


「……ここにいたか。神崎悟」


 振り向いた瞬間、悟の全身に電撃が走った。


 そこに立っていたのは……

 白の軍服を着た、整った顔立ちの青年。

 日本人。しかも、悟がかつて“戦友”と呼んだ、ある男にそっくりだった。


「……お前、まさか……」


「初山。初山貴文だ。憶えているか?」


「……う、そだろ……!? 初山は、俺の……“僚機”だったはず……!」


 初山は笑うでもなく、ただ穏やかな顔で頷いた。


「俺も、ここに来たよ。お前と同じように、“死ぬはずだった空”から、落ちてきた」


 悟の心が揺れる。


「……なんで、お前が……」


「俺は、お前と違って“潔く死んだ”と思っていた。でも、気がついたら、この世界にいた。そして今は、“あちら側”にいる」


「……あちら、って?」


 その問いに、初山の表情がかすかに陰った。


「お前が倒した“黒翼の使徒”。あれは、俺の……“上官”にあたる存在だった」


 悟の手が、剣の柄に伸びる。


「……ふざけるなよ。お前が、“あいつら”の仲間だってのか」


「俺たちは“間違った死”の続きを生きているんだ。お前はまだ“迷ってる”だろう?」


 悟の剣の手が止まる。


「死に意味はないと、お前は言った。でもな、“死ねなかった者の生”には、また別の重みがある。

俺たちは、“死なねばならなかった”んだ。そう教わったろう?」


 その言葉は、悟の中の“特攻兵”の部分を、深く抉った。


「……俺は、もう“死ぬため”の人生を終わらせた」


「本当にそうか?」


 初山の言葉が、静かに沁みてくる。


(サトル……)


 アカネが起きて、悟の横に寄り添う。

 その赤い瞳が、怯えと決意を宿して悟を見上げていた。


「……ああ。終わらせたはずだ」


「それなら証明しろ。“この世界の空”を、守れるのか。俺はそれを見届けに来た」


 そう言って、初山は背を向けた。


「いずれまた会おう。その時までに、お前が何を“信じているか”を見せてくれ」


 そう言い残し、彼は瘴気の薄まる西の森へと消えていった。


 悟は、抜きかけた剣の柄から手を離し、膝の脇にそっと置いた。


(サトル……あの人、しってるの?)


「……昔の仲間だ。だけど今は、敵になるかもしれない」


(でも、サトルがまよってると、ぼく、ちょっとこわいよ)


「……悪い。すぐに戻る」


 彼は深く息を吸った。

 この世界には、まだ“過去”が追いかけてくる。


 だが、それでも。


「もう、空は……“死に場所”じゃない」


***


 その夜。

 悟は眠れなかった。


 宿の簡素な寝台に身を横たえながらも、脳裏に浮かぶのは初山の言葉だった。


「お前が何を“信じているか”を見せてくれ」


(“死なねばならなかった”……そう思ってたのは、俺も同じだった)


 かつての自分が信じていたもの。

 名誉、忠義、死の美学。


 今の自分は、それを捨てたと口では言った。

 だが本当に、心の奥から断ち切れているのか


(サトル……ねむれないの?)


 アカネの声が、横からふわりと響く。

 彼は布団の上に丸まり、悟の手を小さく鼻先でつついた。


「……ちょっとな」


(あの人、こわかった?)


「……怖かったのは、あいつじゃない。“昔の自分”を見せられたみたいだった」


 アカネは、黙ってそっと悟の腕に体を寄せた。

 一メートルの身体は決して軽くないが、不思議とあたたかく、安心を感じさせた。


「なあ、アカネ。お前は、俺が……また、迷ったらどうする?」


(まよっても、ついていくよ。だってサトルは、サトルだもん)


「……ありがとう」


 悟はようやく、まぶたを閉じた。


***


 翌朝、風が変わった。


 それは、誰が言い出したわけでもない。

 ただ、村の者たちも仲間たちも、どこか空気の違いを感じていた。


「風が、澄んできてる。瘴気が、一時的に退いてるみたいだ」


 ティアが呟くと、セナも頷いた。


「このまま、もう少し空が安定すれば、空の回廊が再開されるかもしれない」


「空の回廊?」


「風の精霊が通る、高空の風の道よ。アカネが飛ぶには、そこを使えるようにならなきゃならない」


 悟はアカネを見た。


「飛ぶ準備……できてるか?」


(……たぶん、まだちょっと、こわい)


「怖くていい。でも、お前は“空を生きる者”だ。俺が、その空を信じるから、お前も自分を信じろ」


(うん……がんばる)


 その時だった。


 ……ゴォォォン。


 遠く、雷鳴のような音が響いた。


「瘴気か?」


「違う。あれは……!」


 見張り台から戻ってきたライガが叫ぶ。


「“黒の翼”だ! 闇の勢力の尖兵が、空から襲撃してくるぞ!」


 一同が空を仰ぐ。

 遠く、黒い影が数体、空を切り裂くように接近していた。


「アカネ、飛べるか!?」


(わかんない……でも、やってみる!)


 悟は背の風鋼の刃を確かめると、アカネの背に手を置いた。


「空が汚される前に、俺たちで迎え撃つぞ!」


(いくよ、サトル!)


 アカネの身体が地を蹴る。

 まだ不安定な翼を広げ、跳ねるように風に乗る。


 飛翔……とは呼べない。だが、確かに“足が地から離れた”一瞬。


「もう一度! 空へ!」


 悟が叫ぶ。

 アカネは懸命に風を掴もうとする。翼が、軋む。


(サトル、見てて……ぼく、いま、ほんとに、飛びたいんだ!)


 その叫びと共に、アカネの身体が、ふわりと浮いた。


 風が彼を支える。

 火花のような赤い光が、羽ばたきと共に尾を引く。


「飛んだ……!」


 初めての飛翔。


 高くはない。長くもない。

 けれど確かにそれは、“空を生きる竜”の始まりだった。


「アカネ!」


(サトル、ぼく、いけるよ! この空、守るためなら、どこまでも!)


 その瞬間、悟の中にも、確かな決意が生まれていた。


(過去に縛られるのはもうやめだ。俺は、こいつと共に、この空を生きる)


 黒き影は、なお近づいている。


 悟は剣を抜いた。

 布で巻いた柄を確かめ、風を読む。


「いくぞ、アカネ。俺たちの“空戦”は、ここからだ!」

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