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第8話 初陣の空、赤き翼と風鋼の刃

 黒い影が、風を裂くように接近してくる。

 その数は三体。どれも瘴気をまとった異形の翼竜だ。


「飛行型の魔物……!」


 ティアが叫ぶ。


「村の防壁じゃ持たんぞ! 空から狙われたら!」


「悟!」


 剣を握ったまま走ってくるライガの声。だが、悟は既に動いていた。


「アカネ!」


(うん、いける! サトルは、ぼくの目になって!)


 アカネの翼が、鋭く開かれた。

 赤い鱗が陽光を受けて輝き、地を蹴ると、風をつかんで軽やかに跳ね上がる。


 まだ小さな身体。

 それでも、空を滑るように飛び、村の上空を旋回する。


「……飛んでる。ちゃんと、飛んでる……!」


 悟は呟きながら、地上を走り出す。

 アカネと違い、彼は飛べない。だが……その分、地を踏み、仲間を守る刃になれる。


 瘴気を放つ翼竜が、アカネに向けて毒棘を放った。


「アカネ、右に回避! 高度を落とせ!」


(まかせて!)


 彼の声に、アカネは敏捷に反応する。

 特攻機の操縦で培われた空間認識力と、アカネの飛行感覚が、まるで“無線通信”のように連携していた。


 悟は剣を構え、村の広場を越えて突っ走る。

 翼竜の一体が、地上へと急降下してくるのを見逃さなかった。


「来いよ……地上なら、俺の領分だ!」


 瞬間、悟は前傾姿勢で加速。

 鍛冶師に急ごしらえで仕立て直された風鋼の刃を振りかざす。


 飛びかかってきた魔物の爪が目の前に迫る。

 だが……


「斬ッ!!」


 乾いた音が響いた。


 刃が空気を裂き、前脚を斬り飛ばす。


 魔物が呻き声をあげ、地面に叩きつけられる。


(サトル! 左に、もう一匹来てる!)


 アカネが上空から叫ぶ。

 悟は声に即応し、身体をひねって斜めに跳ぶ。


(……なんだ、この感じは)


 “索敵”、そして“上空からの支援”。


 それはかつての空戦、戦闘機乗りの彼が、僚機との連携で鍛えた“呼吸”と同じだった。


(アカネとなら、空を戦える。俺が乗らずとも……空を共有できる!)


「もう一丁、来いよぉぉぉっ!」


 悟は駆け、斬り、叫んだ。


 アカネは飛び、気流を操り、火花のような赤い光を残して戦場を駆けた。


 その姿は、まるで……


 かつての空を守る「疾風」そのものだった。


 戦いが終わった頃には、村の空は静けさを取り戻していた。


 瘴気の翼竜は三体とも撃退され、村人たちが歓声を上げる。


 アカネは、地に降り立ち、肩で息をしていた。

 悟がその頭を軽く撫でると、彼は目を細めて甘えるように身を寄せた。


「よくやった、アカネ。お前は……俺の相棒だ」


(うれしい……ぼく、サトルの役に立てた?)


「十分すぎるほどだよ。ありがとう」


 その言葉に、アカネは誇らしげに胸を張った。


 その夜。

 村では、小さな祝宴が開かれた。


 異世界の村人たちは、悟に酒を勧め、子供たちはアカネを囲んで遊んだ。


 悟は、いつの間にかそれを自然に受け入れていた。


「……これが、“生きる”ってことなのかもしれないな」


 誰にともなく、そう呟いた。


***


 宴が終わり、静けさを取り戻した村の夜。

 月は朧に煙り、空気は湿り気を帯びていた。


 悟はアカネと共に村の外れを歩いていた。

 焚き火の残り香がまだ漂い、草むらからは虫の声がかすかに響く。


「静かだな……こういう夜は、嫌いじゃない」


(ぼくは、すこしだけこわい。音がないと……なにか来そうで)


「俺は昔、爆音の中で眠ってたからな。静かだと、生きてるって実感が湧くんだ」


(サトル……)


 アカネが立ち止まった。

 その視線の先……森の入口に、何かがいた。


 人影。いや、“人に似た”何か。


「……誰だ」


 答えはない。ただ、ひたひたと歩いてくるその姿は、奇妙な気配を纏っていた。


 銀の仮面。黒い外套。月明かりを吸い込むような、闇そのもののような存在。


「アカネ、下がれ」


 悟は剣を構える。鞘はない。代わりに布で包まれた風鋼の刃が、月光を反射して鈍く光った。


「敵か?」


「……いや、敵ではない。まだな」


 低く、濁った声が響いた。だが、口は動いていない。

 それは、テレパシーのような“直接脳に流れ込む音”。


 アカネがビクリと震えた。


(サトル……こいつ、こわい)


「何者だ。魔物か? 人か?」


「そのどちらでもある。そしてどちらでもない」


 仮面の者は、一歩、また一歩と悟に近づく。


「かつてお前が抱いた“美しき死への憧れ”、その念が、我らを呼び寄せた」


「……なんだと?」


「お前の魂には、“死を愛し、死に酔いしれる者の記憶”が焼き付いている。闇の瘴気に共鳴するには、十分すぎるほどにな」


 悟は歯を食いしばった。


「ふざけるな。俺は……」


「今は“生きること”を選んだというか。だが、選んだだけで過去は消えぬ。お前はまだ、迷っている」


「……違う。俺はもう、あの時の俺じゃない」


「ならば証明せよ。己の意志で。我らは試す。お前が本当に“生の側”に立つ者かどうかをな」


 言葉が終わると同時に、仮面の者の姿がぼやけ、空気のように消えた。


 悟は、剣を構えたまま、その場に立ち尽くす。


(サトル……だいじょうぶ?)


「ああ……でも、これから“本当の試練”が来る」


(あれ、ただの気味悪いひとじゃない……すごく、こわかった)


「俺もだ。……でも、怖いのは、生きてる証拠だ。逃げないさ」


 悟は静かに剣を下ろし、アカネの頭を撫でた。


 月は、雲に覆われつつあった。

 闇は、確実に近づいている。



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