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第9話 亡国の記憶、燃える戦火の幻影

 翌朝、村はかすかに不穏な空気に包まれていた。


 何かが近づいている……

 悟もアカネも、それを肌で感じていた。


 その気配は、風に紛れ、音なく、村の外周をなぞるように広がっていた。


「アカネ。今日は、村の外には出ない方がいい」


(……うん。なにか、いやな風がふいてる)


 悟は昨夜の“仮面の者”のことを、まだ誰にも話していなかった。

 ライガにも、ティアにも。


 それは恐怖ではなく、“確信が持てなかった”からだった。

 あの存在は現実だったのか? 幻だったのか?


 だがその答えは……間もなく示されることになる。


***


 昼を過ぎたころ。

 悟はアカネと共に、村の裏手にある高台で風を感じていた。


 その時だった。


 ズズッ……


 風が止み、空気がよどむ。


 目の前の光景が、ぐにゃりと歪む。


「……アカネ?」


(ぼ、ぼく、ねむく……なっ……)


 アカネが地に伏し、意識を失う。


 悟も、そのまま崩れ落ちるように膝をついた。


 視界が暗転する……


 気づけば、そこは、南の空の真上だった。


 頭上に青い空。

 眼下には、太平洋に広がる敵艦隊。


「……ここは……あの時……!」


 目の前にあるのは、銀色に光る操縦桿。

 そして、速度計、高度計、機銃のトリガー。


 聞き慣れたエンジン音。

 右腕には、あの「一式戦 飛燕」……いや、「疾風」のパッチが縫い付けられている。


「俺は……戻ったのか? これは夢なのか?」


 無線は鳴らない。編隊の声も、護衛もない。


 独りきりの空。


「いや、違う……これは、“記憶”だ……!」


 まるで幻のような、その空間。


 悟は理解した。

 これは「試練」だ。

 あの仮面の者が言っていた、“生の側に立てるか”を測るための。


 そして……その時だった。


 コクピットの中に、もう一つの声が響いた。


(……サトル、だいじょうぶ……?)


「アカネ!? お前、ここに……」


(うん、ぼくもいるよ。サトルのなかに……つながってる)


「これって……俺の記憶の中だ。特攻に出る直前の……」


(じゃあ……ここで、なにを思い出すかが……たいせつなんだね)


 悟は、操縦桿を握りしめる。


 前方には、米艦隊のシルエット。

 それは敵。だが、今は違う。


「……俺は、行かない」


(え……?)


「このまま突っ込めば、たぶん“正解”なんだ。俺の記憶としてはな。でも、それを選んだら……また同じだ」


(……サトル?)


「俺はもう、あの空には戻らない。戻りたくない」


「俺は……“生きて帰る”って、あの時も思ってたんだ。本当は。母さんに会いたいって、叫びたかった。怖かったんだよ!」


 叫ぶと同時に、視界が白く弾けた。


 音も風も消える。


 次の瞬間、悟は、現実の村の高台に倒れていた。


 アカネが、彼の顔を覗き込んでいた。


(……サトル! いき、してる! よかった……!)


 悟は、大きく息を吸い込んだ。


 胸の奥に溜まっていた何かが、ようやく解き放たれたように思えた。


「……ああ。大丈夫だ、アカネ。俺は、もう大丈夫だ」


 彼の声は、どこか少しだけ……軽くなっていた。


***


 夕暮れが迫る中、悟は焚き火の前でじっと炎を見つめていた。

 赤く揺れる炎の中に、あの“試練”の空がちらつく。


「怖かったんだよ、本当に……」


 誰にでもなく呟くその声に、アカネがそっと寄り添った。

 まだ幼い竜のくせに、なぜかその瞳は、全てを知っているかのように穏やかだった。


(サトルが、戻ってきてくれて……ぼく、うれしい)


「俺も……お前がいたから戻れた。ありがとうな」


(ねえ、サトル。これから、どうするの?)


 悟は、赤く焼けた空を見上げた。

 さっきまで重かった胸の内に、風が通り抜けるような感覚があった。


「旅を続けよう。お前と一緒に。この世界が何でできてて、何が迫ってて、何を護らなきゃならないのか……確かめたい」


(……うん!)


 アカネが短く、元気よく鳴いた。


 悟は立ち上がり、風鋼の刃を背に担ぎなおした。

 剣は未だ鞘を持たず、布で巻かれたままだが、不思議と手に馴染む。


 その姿を見て、ちょうど通りかかったティアが微笑んだ。


「決まったのね、サトル」


「……ああ。逃げない。ここに来てから初めて、“進む”って思えた気がする」


「きっとあなたなら、大丈夫よ。あなたは“死に戻ってきた”人間なんだから」


 その言葉に、悟はわずかに目を伏せ、そしてうなずいた。


「……そうかもしれないな。でも今度は、“生きるために進む”。そのための一歩だ」


 焚き火の炎がぱち、と弾けた。


 夜が帷が降りる頃。


 焚き火を囲む小さな宴が終わり、ライガが悟の隣に腰を下ろした。


「……サトル、お前、旅に出るんだな」


「ああ。ここに長くはいられないと思った。空のこと、この世界のこと、確かめたい」


「そっか……。正直言うと、俺も一緒に行きたいくらいだがな。だが、この村には俺が残らなきゃならん」


「わかってる。ここは、お前の“戦場”だ」


 ライガは拳を差し出し、悟もそれに応じて拳を合わせる。


「道が交わったら、また一緒に戦おうぜ、“隊長”」


「その時は、俺のことを“伍長”ぐらいに格下げしてくれていいぜ」


 ティアもやって来て、悟に包みを差し出した。


「これ、鞘。昨日ようやく仕上がったの。旅立ちに間に合ってよかった」


 悟は驚いたように包みを開け、見慣れた剣の鞘がそこにあるのを確認する。


「ありがとう……これで、ようやく“戦える”気がする」


 夜が更けていく中、悟とアカネは、明日へと続く新たな一歩を踏み出した。

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