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第11話 告発と疑念、空を汚す者たち

「開けろ! 繰り返す。王国騎士団、特別捜査班の者だ!」


 激しい叩き音に続き、扉の外から怒号が響いた。

 悟はすぐさま風鋼の刃を掴み、アカネを背中に庇うようにして立ち上がる。


(サトル……戦うの?)


「わからん。けど……“殺される”かもしれないって状況ではあるな」


 懐かしい感覚だった。

 特攻直前の空母甲板、発艦前に感じた、あの張り詰めた空気……

 あれと、よく似ている。


 悟は静かにドアを開けた。


 立っていたのは、黒い外套に身を包んだ男たち。

 胸には王国の双翼の紋章、腰には銀装の細剣。

 中でも一歩前に出た男は、年若いながらも隙のない眼光をしていた。


「神崎悟と名乗る者だな?」


「……そうだが」


「お前に問いたい。昨日、東市で瘴気の発生があった。目撃者は“紅の竜を連れた異邦人がいた”と証言している。……説明を願おうか」


 悟の眉がぴくりと動いた。


(……ぼく、なにもしてないよ)


「……俺たちは市場には近づいてもいない。瘴気とやらの発生にも関与していない。誰が何を見たのか知らないが、証拠もなく人を疑うのは……日本じゃ、嫌われる行為だぜ」


「……“ニホン”? 聞いたこともない国だな」


「そりゃそうだ。お前たちには存在しない国だからな」


 男の目が鋭く光った。


「お前は異界の者か?」


「……異界? どうとでも解釈しろ。だが、俺はお前らの“敵”じゃない。竜を連れているってだけで、すべてを結びつけるな」


 アカネが、悟の足元から前に出た。

 その姿を見て、騎士たちはわずかにたじろぐ。


 だが、アカネは低く、一つ鳴いただけだった。


(……たたかわない。ぼく、わるくない)


 その声が悟にも響いた。


「この子は生まれたばかりだ。何かに利用されるほど、器用でもねえ」


「……本当に、関与していないと誓えるか?」


「誓ってやるよ。日本人の、軍人の名にかけてな」


 男は少しだけ黙り、やがて手を下ろした。


「ならば、証明しろ。潔白ならば、協力してもらう。“瘴気の流通”を追うための、王国の依頼を」


 悟の瞳が鋭く細められる。


「……利用する気か?」


「お前たちのような存在は、“臭い”を嗅ぎ分けられる。“空の異変”を感じ取れるならば、我々以上に役立つかもしれん。……選べ。逃げるか、戦うか、あるいは……」


「……協力してやるよ。ただし、命令は受けない。条件がある」


「条件?」


「俺は空を汚す奴を、許さない。その代わり、俺のやり方はお前らにとって“異端”かもしれん。それでも目をつぶる覚悟があるなら、手を貸してやる」


 青年騎士は短く笑った。


「……いいだろう。“特異指定者”として、正式に王国に登録する。……俺の名はレイ・フェンリール。これから、よろしく頼む、“異界の空兵”」


***


「ここが……密売の現場か」


 フォルティナ南西部、港に近い旧市街の倉庫群。

 かつては船の資材を積み下ろしていた場所らしいが、今では物騒な連中が好んで使う“裏の市場”となっている。


 悟は瓦礫の陰に身を潜め、周囲を伺っていた。

 その肩越し……いや、背中近くに、アカネがしゃがみ込むようにして隠れている。


(なんか、空気が……こわい)


「そうだな。ここの“空気”は腐ってる。甘ったるくて、重い」


 悟の鼻を掠めるのは、煙草とも香辛料ともつかぬ、焦げたような瘴気のにおい。

 この異常な匂いを悟は“死を前にした整備格納庫”で嗅いだことがある。

 燃えた油、溶けた金属、血の匂いが混ざった、あの感覚に酷似していた。


 レイ・フェンリールの情報によれば、今夜、ここで“禁制品”が取引される。

 その中には「結晶化した瘴気」、つまり人工的に濃縮された“空の毒”も含まれているという。


「来たぞ……!」


 細い裏路地を、黒い外套を羽織った数人の男たちが現れる。

 彼らの後ろには、台車に積まれた銀の箱……


(……あれ、やばい! すっごく、くさい!)


 アカネが鼻先を手で覆うようにして震える。

 悟は、手にした風鋼の刃の布を静かに外した。


 箱が開かれ、中から淡く黒ずんだ水晶のような結晶が覗いた瞬間


「動けッ!」


 悟は瓦礫から飛び出した。

 倉庫の男たちが驚愕の声を上げ、剣を抜こうとしたが……


「……甘いッ!」


 風鋼の刃が一閃。

 風を裂く鋭い軌道が、男の手元を払う。


 同時に、アカネが倉庫の天井へ飛び上がり、威嚇の咆哮を放った。


 ギャアアアアアッ!


 その声は音ではなく、意志の塊のように押し寄せ、敵の動きを一瞬だけ止めた。


 悟はその隙を見逃さなかった。


「“この空”を、穢すなァッ!!」


 剣を振り抜き、箱を叩き割る。

 黒い結晶が砕け、空気中に舞った瘴気が、一気に分散していく。


 だが


「ぐ……ッ!? なんだ、この瘴気……っ!」


 濃い。

 先ほどまで感じていた匂いとは比べ物にならないほど、毒が強い。


 悟の視界がわずかに歪み、膝が沈む。


(サトル!!)


 アカネが叫び、悟の腕に噛みつく……かと思えば、口から淡い炎を吹き出して、彼の身体を包み込んだ。


 温かい。

 それは、かつて特攻機で迎えた“爆炎”とは全く異なる、“守る”ための炎だった。


 瘴気は一瞬で焼き尽くされ、悟の呼吸が戻る。


「助かった……」


 だがその時。


「……“良い竜”を連れているな」


 屋根の上。

 夜闇の中に、黒い翼を広げた男が浮かんでいた。


 人の形をしているが、背から生えた異様な羽、目から洩れる暗紫の光……

 それはもはや“人間”ではない。


「この空を、護る者か。あるいは、滅ぼす者か……どちらにせよ、君は興味深い存在だ」


 男はゆっくりと翼をはためかせ、瘴気の余波を吸い込むようにして笑った。


「また会おう、“紅の竜とその騎士”よ」


 次の瞬間、闇の中に溶けるように姿を消す。


(……サトル、あれ、なに?)


「わからん……だが、あれが“瘴気を操る者”の本体かもしれん」


 悟は砕けた瘴気結晶の残骸を見下ろしながら、強く拳を握った。


「このまま放っておけば、空が死ぬ。あいつらが空を殺す前に……俺たちが見つけて止めなきゃならん」


 アカネが小さく鳴き、彼の足元に身を寄せた。


(ぼくたちで、止めようね)


「……ああ。止めてやるさ。俺たちの空を、護るために」


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