「……では、今夜の密売現場で瘴気結晶を破壊し、敵性存在と接触したと?」
王都派遣の監査官にそう問われたのは、翌朝のことだった。
フォルティナ騎士団本部、重厚な石造りの作戦室には、いくつもの階級章をつけた軍服の男たちが集まっていた。
悟はその中央、無地の服のまま立たされていた。
「はい。闇の商人らしき者が現場に現れ、瘴気の結晶を回収しようとしたため、これを排除しました」
「……違反だ。お前の立場はあくまで“協力者”だぞ。独断行動は軍規違反にも相当する」
「悪いが、俺は“軍人”じゃない。協力者であっても、“空の敵”を見て黙っていられるほど鈍感じゃない」
会議室に緊張が走る。
だが、椅子に深く腰かけていたレイ・フェンリールがゆっくりと手を上げた。
「彼の行動は適切だったと、私は判断する」
「隊長、それは……」
「瘴気の流通が事実である以上、現場での迅速な対応こそが重要だ。現に、倉庫に残された瘴気の痕跡は危険な濃度を記録していた。あれが街中に広まっていたら、数百人単位で空気障害が発生していたかもしれない」
重々しい沈黙の後、監査官の一人が唇を噛みながらつぶやいた。
「……ならば、“特別協力隊員”として登録するのはどうか。彼に正式な立場を与え、王国の保護下で動かせるようにする」
「異論は?」
しばしの間、誰も手を上げなかった。
「決まりだ。神崎悟、お前を“空の守護隊・特別協力員”として任命する」
悟は一歩前に出ると、静かに敬礼のように頭を下げた。
「……任された」
(すごい……サトル、すごいね!)
控室に戻ると、アカネが思いきり飛びついてきた。
小さな身体ながら、喜びをいっぱいに震わせるように尻尾を振っている。
「……まぁ、何にせよ“空の敵”に近づける立場が手に入ったってわけだ」
悟は風鋼の刃の柄に触れ、アカネの小さな背中を一瞥した。
「さて……次は、“空の敵”の本拠地を暴き出す番だな」
(うん、ぼくも一緒に戦うよ)
小さく鳴いたアカネが、彼の横に並ぶように歩き出す。
特攻を誇りとしていた過去の少年が、今は“生きる意味”を知り始めている。
その隣にいるのは、かつての機体よりもずっとあたたかく、確かな命だった。
(これからどうする?)
「まずは“黒翼の男”の情報を集める。あいつは、俺たちの“空”にとって最大の脅威になる。……そして、次に出会った時は、必ず、斬る」
アカネは小さく鳴き、悟の横に並ぶ。
かつて死を覚悟し、特攻の操縦桿を握っていた少年が、
今は、生を選び、“空”を護るために剣を取る。
その背中に、小さな竜の熱が寄り添っていた。
***
フォルティナの北東、瘴気の流入源と目される旧領地跡〈セリオ砦〉。
そこはかつて、王国の前線基地だったというが、今では瘴気に侵され、立ち入りを禁じられた“灰の砦”として忘れられていた。
「……ひどい有様だな」
砦の外壁はところどころ崩れ、地面には黒ずんだ蔦のようなものが這っている。
その蔓は、まるで生き物のように風に揺れては、腐敗した呼吸のような音を立てていた。
(……ここ、空が苦しんで
アカネが羽を縮め、身を小さくする。
悟は周囲を警戒しながら、砦の中へと足を踏み入れた。
瓦礫の合間から、かつての生活の痕跡……折れた剣、焦げた手紙、風化した木造家具が散乱している。
だが、そんな廃墟の中心。
ひときわ開けた中庭に、それは咲いていた。
「……桜……?」
そうとしか言いようのない花だった。
ひと目で“日本”の風景が脳裏によみがえった。
「霞ヶ浦……予科練の桜並木……」
かつて飛行予備学生として訓練を受けた地。
春、ほんの一瞬だけ花を咲かせるあの淡い光景。
それが今、異世界の瘴気に包まれた砦の中心に、確かに咲いていた。
悟はふらふらと近づいた。
その瞬間
バサッ!
空気が弾け、目の前に影が降り立った。
「止まりなさい。それ以上、近づくな」
声の主は、甲冑を身にまとった騎士のような女だった。
長い黒髪に、銀の瞳。腰には大剣。だが、威圧感よりも、その姿勢には何か“必死さ”が漂っていた。
(……あの人、ひとりぼっちの匂いがする)
「この砦は、我々“空守り”の聖域。立ち入りは禁じられている。瘴気に侵される前の“最後の空”が、ここには残っているのだ」
「空守り……?」
「かつて、空と契約し、瘴気を浄化する役目を担った者たち。我々は滅びかけているが、それでも最後の砦としてこの場所を守っている」
悟は静かに風鋼の刃を鞘に納め、身構えを解いた。
「俺はこの空の敵を追っている者だ。名を神崎悟。あの花に……会いに来た」
「……会いに?」
女騎士がわずかに目を細めた。
「これは“風桜”と呼ばれる霊樹。異界から渡った者が命と引き換えに植えたという。瘴気の中で唯一、空を清める力を持つ」
悟は息を呑んだ。
(もしかして、それって……)
「その人の名を、知らないか?」
「名など残されていない。ただ……“風を駆けた若者”だったとだけ」
悟は花を見つめながら、拳を握りしめた。
「……ここにも、空を守ろうとした誰かがいたんだな」
(うん……きっとその人、サトルみたいな人だったんだよ)
女騎士がふと、目を伏せた。
「……あなた、空を本気で守る気があるのなら、手伝ってほしいことがある」
「何だ?」
「この砦の地下……そこに、瘴気を操る者の“封印の残滓”がある。それが今、壊れかけている。放っておけば、この風桜も、空も、全て……」
悟は即座に頷いた。
「案内してくれ。封印が壊れる前に、終わらせよう」