風桜の根元にある隠された階段。
悟とアカネは、女騎士ルティナの案内でその地下へと降りていった。
空気は冷え、地面に漂う瘴気が足元から靄のように絡みついてくる。
壁には風を象った紋章と、鳥の群れが描かれた古い壁画。
そこはまさに、かつて“空守り”と呼ばれた者たちの神域だった。
「この奥にあるのが、かつて瘴気の根を封じた《空の記憶核》。
だが今は、瘴気によって反転し、触れた者の記憶を喰らう」
ルティナの説明と共に、半壊した大理石の祭壇が見えてくる。
中央には、ひび割れた黒い球体、瘴気の核が静かに浮いていた。
悟が無言で一歩、近づいたその瞬間。
弾けるような音と共に、世界が反転した。
《幻想空間》
彼の視界は、春の霞ヶ浦に染まった。
風にそよぐ桜。整列する若き少年たち。
訓練機を磨く手。同期の笑い声。
そしてそこにいる……十四歳の、神崎悟。
「右斜め後方、敵機の影……見落とすなッ!」
教官の声。汗と油の匂い。
悟は操縦桿の模型を握り、必死に空戦訓練をこなしていた。
その瞳には、ただ「敵を倒す」という一念しかない。
(俺は……あの頃、死ぬために“鍛えられていた”んじゃなかった……)
場面が変わる。
出撃前夜。軍指定の便箋に震える筆で綴った文字。
「本日、私は憎っくき米艦に特攻します。
その際はどうか、良くやったと私を褒めてやってください。
日本のため、天皇陛下のため……そして、お母さんのために……」
手紙の文字がにじみ、黒く焦げる。
(やめろ……やめてくれ!)
瘴気が、記憶を侵し始める。
そして目の前に現れる“黒い自分”。
虚ろな目をした、出撃直前の悟が、風鋼剣を手に近づいてくる。
「お前は……もう死んだんだよ。生き延びる意味なんかない」
悟は後ずさる。
脳裏に、特攻の瞬間の爆炎が焼き付く……
(……サトル!)
アカネの声が届いた。
そして……
アカネの視界に、巨竜が現れる。
その姿は、かつて己を託し、命の代償として悟を選んだ老竜の姿。
燃えるような瞳と、空の色を宿した鱗。
その記憶の波が、アカネの中に流れ込んでくる。
(……この竜……ぼくの“前の姿”……?)
脈打つ記憶。空の痛み。人々の願い。
老竜の想いが、アカネの小さな心に火を灯した。
(ぼくはもう“ただの竜”じゃない。……サトルを、生かすためにここにいる!)
小さな竜の身体が、一瞬光を放ち、鱗がうっすらと変化を見せた。
その光が悟の幻影空間を切り裂く。
「アカネ……!」
アカネが叫ぶように鳴く。
(生きて、空を守ってよ!)
悟は剣を握り直した。
「俺は……もう、あの特攻で死んだんじゃない。
あれは、始まりだったんだ。今度は、生きて戦う!」
黒い幻影の自分が再び剣を構える。
悟は真正面から、それを一刀で切り裂いた。
《現実空間・砦の地下》
地鳴りと共に、瘴気の核が崩壊していた。
ひび割れた球体は音もなく崩れ去り、静寂が砦を包む。
悟は地面に倒れ込んでいたが、すぐに身を起こす。
「アカネ……ありがとう。お前がいなきゃ、俺はまた死んでた」
アカネは小さく、頷くように鳴いた。
瞳の奥に、かすかに“老竜”の面影が宿っていた。
「……記憶に触れたのか?」
(……ちょっとだけ、思い出した)
ルティナが歩み寄り、剣を地に突き立てて深く頭を下げた。
「あなたが“過去”と向き合ってくれたことに、感謝します。
これで、この砦の空は……もうしばらく生き延びられる」
悟は静かに頷き、再び風桜を見上げた。
「お前も、空を護ろうとしてたんだな。だったら……今度は俺の番だ」