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第15話 空読みの巫女と、重なる幻影

 灯台での出会いの後、悟とアカネは、フィーネに導かれ要塞都市バルセイルの郊外へと向かう道、後ろには、一人の治安隊員が馬にまたがっていた。


「まったく、お前らみたいな謎の旅人に付き合わされるとはな。だが命令だ。変な真似はするなよ」


 悟はため息をつきながらも、仕方なくうなずいた。


「空読みの巫女フィーネの導きだ。私が責任をもって連れていく。これ以上はついてこなくていいわ」


 少女の一言で、隊員は渋々引き返していった。


 進む先には、かつて〈空読み〉たちが集い、空の兆しを記録し続けた古代の神殿、風見の祠(ふうけんのしん)があった。


 神殿と呼ぶには質素すぎる石造りの建物。その中央には、天井が開いた小さな広間があり、青空が一筋、真上から差し込んでいた。


「ここは、空と心を重ねる場所。

真実を知るには……“幻影”を受け入れる覚悟が要るわ」


 フィーネの声とともに、広間に立ち込める風が変わる。


 悟が一歩踏み出した瞬間、彼の視界がにわかに揺らぎ


(ゴオオオオオッ……!)


 轟音。潮風。硝煙と機体の焼け焦げた匂い。

 それは悟が生きていた“あの世界”の、最期の空。


「疾風、エンジン全開……目標、敵艦影!」


 電文、同僚の怒号、無線の雑音……そして。


「悟。……お前は、ほんとは怖かったんじゃないか?」


 突然、幻影の中に、見知らぬ男が現れる。


 予科練の同期だろうか。ぼやけた顔の中で、どこか懐かしい口調で語りかけてくる。


「死にたいんじゃなかった。死ぬしかないと思い込んでただけだ。あの時、本当に欲しかったのは……」


「やめろ……!」


 悟は頭を抱える。

 だが、その声は止まらない。


「お前は今、ようやく“選べる場所”に立ってる。

それでもまだ、“死”に縋るのか?」


 その言葉が終わった瞬間、幻影が砕けるように消えた。


 気がつけば、広間の中央に立ち尽くす悟の周囲で、風が静かに舞っていた。


 アカネが駆け寄り、そっと彼の袖に鼻先を寄せる。


(サトル……怖かったら、隣にいる。全部じゃなくていい。少しずつで、いいから)


 悟は、小さくうなずいた。


「……俺は、選び直したい。生きて、空を守るって、もう一度」


 フィーネは微笑んだ。


「その言葉が、鍵になる。《エイルグラード》への門は、心の中にしか現れないから」


 そして、広間の天井から射す光が、ひときわ強くなった。

それはまるで、悟の新たな決意に応えるかのように。


***


 バルセイル東端の関門を越えると、風景は一変した。

 人の手が入らぬ山岳地帯。風が強く、空は重い。まるで上空から何かが押し潰してくるような圧力があった。


 悟は道なき道を登りながら、ふと後ろを振り返る。

 アカネが数歩後ろを歩いている。翼をたたみ、小さな体に風を受けながら、健気に地を踏んでいた。


「……風が違うな」

 ぼそりと漏らした言葉に、フィーネが応じた。


「ここは“空の境界”……風見の祠は、空の異常を最も早く伝える場所よ。空を読む巫女たちが、代々この場所で“風”を感じてきたの」


「空を読む、ね……俺には風が、重く感じるだけだ」


「それも“兆し”よ。空が泣く前に、風が悲鳴をあげるの」


 悟はその言葉に眉をひそめた。

 空が悲鳴を? 空が泣く?

 彼の知る空は、敵艦隊に突撃するための道でしかなかった。

 青く澄んだ空など、記憶の片隅にしかない。


「見えてきたわ」


 フィーネが指差した先に、灰色の岩山の中腹に、ぽつんと古びた建物が建っていた。

 それは祠と呼ぶには大きすぎず、しかし不思議な存在感を放っていた。


 アカネが急に立ち止まる。

 視線は、その祠の奥、崖の上空へ。


「……アカネ?」


 悟が名を呼ぶと、小さな竜はわずかに身を震わせた。

 そして、低く唸るような声を漏らす。


(“空”が、割れている……)


 悟の頭に、アカネの意識が直接流れ込んできた。


「割れてる?」


 アカネは一歩、また一歩と崖の縁へ歩みを進める。

 悟もそれに続くように足を運び……そして、見た。


 空が……裂けていた。


 青空の一部が、黒く割れている。

 ひび割れたガラスのように、そこだけ異質な色彩を持っていた。

 そこから黒い瘴気のようなものが、まるで煙のように漂い、空気を汚染している。


「これは……」


「“空の裂け目”よ」


 フィーネが静かに言った。


「この世界の空は、いくつもの“層”でできている。そこに、何かが干渉している。私たち“空読み”は、これを“外の力”と呼ぶわ」


「外……?」


「この世界の理を壊そうとする、外からの力。空の瘴気も、魔物の異常な活性も、すべてここに通じている」


 悟は、じっとその裂け目を見つめた。


 その黒い空の奥に、何かがいる

 本能がそう告げていた。

 まるで、自分が突入しようとした米艦隊の奥にもいた“何か”のように。


「……あれが敵なら、叩けばいいんだろ」


 フィーネは首を横に振る。


「空は“飛ぶ者”しか入れない。普通の魔導士では近づくだけで瘴気に侵される。私たち巫女でも届かない」


 その時だった。

 アカネが低く咆哮した。


 赤い光が、その小さな体からほとばしる。

 まるで何かの記憶を……いや、呼び水のように何かを引き寄せた。


 悟は見た。


 空の裂け目の向こうに、かつて見た老竜の幻影が浮かび上がった。

 その瞳が、確かにアカネを見つめていた。


(来たか、分体よ)


 幻影が語りかける。


(我の記憶は、そなたの中にある。空を護るとは何か、それを知るが良い)


 アカネが一歩、前へ進んだ。


 そして……翼を広げた。


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