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第19話 風と鋼の誓い

 喰い主の腕が振り下ろされる、その直前、悟は地を蹴った。


 風が彼の背を押す。アカネもまた、風を巻き起こし、喰い主の攻撃を逸らすように滑空する。


 ズシン、と神殿跡が唸りを上げて揺れた。瘴気が波紋のように広がり、草は枯れ、岩が腐り崩れる。


「フィーネ、大丈夫か!」


「こっちは平気……でも、この瘴気、どんどん広がってる……!」


 彼女の張った結界の内側にだけ、まだ緑と風が残っている。だがそれすらも、次第に侵されようとしていた。


 喰い主は無言だった。ただ、意思のような“圧”だけが空間に満ちていく。


(……悟、あれ……何か、来る)


 アカネが警告を発した瞬間、喰い主の“眼”が悟を捉えた。


 次の瞬間、視界が、白く塗り潰された。

 空も、大地も、アカネの気配も、すべてが遠のく。

 どこか別の空間へと引き込まれたような感覚だった。否……喰い主の意識に触れたのだ。


***


 空が、焼け落ちていた。


 それは悟の“記憶”だった。


 爆音、炎、弾ける機体の破片。そして、炎の中で笑っていた戦友の顔。


「死ぬことこそ、美しいのだ」


「国のために、天皇陛下のために……」


 声が木霊する。それは悟が幾度となく聞かされた“正義”だった。


 しかしその景色の中心に……堕ちた星が、黒く、赤く、沈んでいる。


「……お前は、死にたかったのか?」


 誰かの声が聞こえた。低く、重く、喰い主とは思えぬ、だが確かに内側から発せられた声だった。


 悟は問われていた。


(死にたかった? あの瞬間に?)


 だが彼は、答えを返せなかった。


***


(悟!!)


 アカネの声が、頭の中で炸裂した。


 意識が引き戻される。


 気づけば悟は、喰い主の“眼”を真正面から見据えていた。風鋼の刃を握る手には、汗がにじんでいる。


(……今のは、俺の記憶を、見せられたのか……?)


 喰い主の眼が、再びぎらりと光る。


 “お前はまだ、過去に囚われている”そんな風に言われた気がした。


「違う……! 俺は――」


 悟は叫んだ。


「死ぬためにここに来たんじゃねぇ! 生きるってことを、探すために、この空の下に立ってんだ!」


 風が、爆ぜた。


 アカネが空へ舞い、風を巻く。


(悟、行こう。今度こそ……前に!)


 風鋼の刃が唸る。


 悟は走った。


 瘴気を裂き、喰い主のもとへ。


 喰い主が放った瘴気の触手が、空間そのものを裂くように迫ってきた。


 悟は風鋼の刃を斜めに構え、一歩踏み込む。足元に風が巻き上がり、跳躍と同時にアカネがその背後から風の圧力を加える。大気が押し上げるように彼の体を浮かせた。


(アカネ……いい風だ!)


(うん、悟の跳躍に合わせて風を送ってる。落ちる時も、ちゃんと掴まえてみせる)


 悟は空中で回転しながら、風鋼の刃を一閃。振り上げられた触手を斬り裂いた。だが、切り離された部分すら黒い霧となって再び再生する。


「斬っても斬っても……無限かよ!」


 その間にも、喰い主の体からは瘴気が脈動し続けていた。脈動は地を伝い、神殿跡にひび割れを広げていく。台座の中心が陥没し、黒い液体のようなものが滲み出た。


 まるで、この地そのものを喰らっているようだった。


「……このままじゃ、空だけじゃない。大地ごと死ぬ……!」


 フィーネが叫び、結界を張り直す。だが結界の膜すら、瘴気に焼かれ始めていた。


「フィーネ、耐えきれそうか!」


「あと数分……もたせてみせるから、今、あれを止めて……!」


 悟は唇を噛み、再び跳んだ。


 今回は空中で留まらない。跳躍と同時に、アカネが風の渦を生み出し、悟を旋回させる。


(回して、回してくれ……!)


 風を受けて、悟の体が空中で横に流れながら弧を描く。その勢いのまま、喰い主の側面へと突っ込む。


 風鋼の刃が、瘴気の装甲を斬り裂いた。


 中からは、赤黒い瘴気の液が噴き出す。だが、痛覚などないのか、喰い主は微動だにしなかった。


「効いてる……けど、浅い……!」


 悟が後退しようとしたその時、喰い主の“眼”が悟を再び捉えた。


 ぞわり、と背筋を這い上がる冷たい感触。


 その“眼”から放たれた紫紺の光線が、まっすぐ悟を貫こうと走る。


(来る!)


 アカネが風の壁を巻き起こした。だが、光線はそれを容易く貫通する。


「ちいっ!」


 悟は剣を前に突き出し、風の力と共に斬り払う。


 光線と風鋼の刃が交錯する一瞬、空間に火花が走った。


 だが、押し負ける!


 刃が弾かれ、悟の体が吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」


(悟!)


 アカネが即座に風で悟の体を包み、落下の衝撃を和らげるように着地を導く。地面に叩きつけられる直前、風が舞い、悟の背を支えた。


 ひざをつきながら、悟は歯を食いしばる。


「……攻撃だけじゃ、削りきれねぇ……!」


(悟……あれは、“瘴気の心臓”がある。内部に……!)


「……中、か……!」


 アカネの直感は、瘴気に共鳴したことで得た情報だ。


 悟は風鋼の刃を逆手に構え直し、血の滲む手を握り締めた。


「だったら、そこをぶち抜くまでだ。……アカネ、あと一回だけ……俺を風で撃ち上げてくれ!」


(わかった。悟なら、届く!)


 風が収束する。


 悟の周囲に、風が渦を巻く。


 彼は地を蹴る。跳躍。


 アカネがそれを“風”で押し上げた。


 風を纏った刃が、まっすぐに喰い主の胸部に突き立った。

赤黒く脈動していた瘴気の核、心臓めがけて。

 刹那、濁流のように瘴気が噴き出し、喰い主の咆哮が空を割った。


「これが、俺の答えだ!!」


 そして、喰い主の巨体が沈黙した。



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