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第23話 風に導かれし祠

 封域からの脱出後、風の郷にはしばしの静寂が訪れていた。


 瘴気の根は打ち払われ、仮面の姿も消えたが、それが“終わり”ではないことを悟たちは知っていた。


「アカネに、導きの時が来たようじゃな」


 そう口にしたのは、風読みの長・エルナだった。


 風の郷の奥、さらに山深く。風すら届かぬ場所に、“竜の魂の祠”があるという。かつて皇竜がその地に残した分体が眠っており、それは分体でありながらも、“導かれし竜”だけが継承を許されるという。


「アカネ、おぬし……感じておるのじゃろう?」


(うん……あそこに、“何か”がいる……懐かしい感じがする)


 アカネの目が細くなる。いつになく真剣な表情だった。


 悟は迷わなかった。


「行こう、アカネ。……お前が行きたいなら、迷う理由なんてねぇ」


***


 山道は険しかった。


 風の加護が届かないせいか、空気は重く、霧が道を覆っていた。


 だが、アカネの足取りは確かだった。


 まるで、生まれる前から知っているかのように。


 やがて、霧が晴れた先に、小さな祠が姿を現した。


 苔むした石の鳥居。風に削られた獣道。その奥に、静かに息づくような、何かの“気配”があった。


 アカネは一歩、祠の中へ踏み入った。


 悟は外で待つ。フィーネもそれに倣った。


 そして、静寂が、破られた。


 咆哮。


 それは、天を揺るがすほどの重厚な声だった。


 祠の奥から、赤い光が溢れる。


 まるで火のように、だが決して熱くはない。それは“力”そのものの輝きだった。


 アカネの姿が、光の中でゆっくりと浮かび上がる。


 小さな体は、うねるように形を変えていく。


 翼が広がり、尻尾が太く、しなやかに。


 足も、首も、胴も、全てが一回り……いや、二回り大きくなっていた。


 やがて、光が収まる。


 そこに立っていたのは、全長二メートルの紅竜。


 以前よりも鋭く、凛々しく、力強い姿へと変貌したアカネだった。


 彼女はゆっくりと悟のほうを向き、言葉を紡いだ。


(……悟、ただいま)


 その声は、以前よりも落ち着いていた。


 子供らしさが抜け、大人びた響きと余裕がある。だが、根底にあるものは変わらない。


 あの無邪気で、真っ直ぐで、そして優しい心。


 悟は笑った。


「……でけぇな、おい」


(ふふん、どう? かっこいい?)


「……ああ。最高に頼もしいよ、アカネ」


 風が吹いた。


 祠の周囲に、葉が舞う。


 それは、竜の継承が無事に果たされた証。


 新たな力を得たアカネは、今や瘴気の根にも対抗しうる、風と竜の“希望”となった。


***


 夕暮れが、山を染めていた。


 竜の魂の祠から戻ったアカネの姿は、沈黙する風の郷に、新たな気配として染み渡っていった。

 ひと気の絶えた家々に残る“風の記憶”が、かすかに揺れる。

 まるで、かつて老竜がこの地を訪れた日を、記憶しているかのように。


 悟は村の外れ、小さな高台に腰を下ろしていた。


 隣には、変わらずアカネがいる。


 いや、変わらず……というには、あまりに大きく、たくましくなっていた。


(なんか、座ると枝とかバキバキ折れるんだけど……)


「だろうな。前は隣に立っても目線が合ったのに、今は見上げてる」


(ふふん、敬意を持って見上げるがよい)


「おい調子乗るな。……でも、マジで助かった。あの封域、アカネがいなきゃヤバかった」


(悟も……あのとき、仮面に飲まれそうになってた)


「……ああ」


 風が吹く。冷たくもなく、ただ静かに吹き抜ける夜の風。


「聞こえたんだ。あいつの声。……『おまえは死を選んだはずだ』って」


(でも、悟は違った)


「……あぁ。もう“死ぬための理由”じゃなくて、“生きるための意味”を選びてぇって思った」


(じゃあ、次は……)


 アカネがそっと顔を寄せる。


(その“意味”、一緒に見つけよう)


「……あぁ」


 そのときだった。


 突風が、谷間から吹き上がる。


 風の郷の中心部、巫女の祭壇に設けられた“風見の柱”が、異様な音を立てて回り始めた。


 悟とアカネは、すぐに立ち上がる。


 フィーネが駆け寄ってくる。


「……風が……警告しています。何かが、こちらへ向かっていると」


「瘴気の残滓か……?」


「いえ、これは……“風ではない風”。あの仮面の気配に、近い……!」


 風見の柱が止まり、真北を指した。


 その先は、遥か彼方、黒雲に覆われた山脈の先。


 フィーネの瞳が細められる。


「……“影の空域”です。地図にも残らぬ空の裂け目。そこに、瘴気の本流が……」


「……仮面の“本体”が、そこにいるってことか」


 アカネの目が鋭くなる。


(行こう、悟)


「……ああ。風が教えてくれた。次が最後の戦いになるって」


 フィーネは小さくうなずき、空を見上げる。


「では、明日には風の郷を発ちましょう。風が開く“空の道”が、一時だけ現れるはずです」


 “空の道”。


 風読みの一族に伝わる、風と風が交差して開く幻の航路。


 それは、地図にも記されぬ場所へ導く、唯一の風……仮面の主が待つ最終決戦の舞台へ通じるもの。


 風が、再び吹いた。


 その風の先に、今、戦いの“意味”が待っている。

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