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第30話 紅竜疾駆、空の騎士

 空が、開けた。


 瘴気の迷宮を抜けたその先に広がるのは、夜明け前の蒼空だった。

 風が生きている。迷いのない流れが、空の広がりを物語っていた。


(……外だ。やっと、空に戻ってきた)


 だが、その自由を歓迎する者ばかりではない。澄んだ風の中に、冷たい殺気が漂っていた。


 何かがいる。いや、既にこちらを……


「来るぞ、アカネ!」


 次の瞬間、空を切り裂く影がひとつ。黒く、鋭く、翼を持った異形が突撃してきた。


(飛んでる……“喰い主”じゃない……でも、瘴気の匂い……!)


 それは空域に巣くう“空喰い”とは異なる、新たな瘴気生命体。

 外見は鳥のようでありながら、骨ばった翼と伸縮する口吻を持つ。

 まるで空の捕食者“空獣”だった。


「迎撃する!」


 紅き巨翼はすでに疾風と見紛うほどの風を切る。

 その背に騎乗する悟の姿は、まさに空の騎士だった。


 風鋼の刃を抜く。

 手に伝わる感触は、以前よりもずっと軽く、そして確かなものだった。


(悟、動いて。あたし、速く飛べる)


「合わせるぞ!」


 アカネが一気に高度を上げる。

 相対する空獣もまた、咆哮とともに旋回し、襲いかかってくる。


 紅竜と空獣。

 その交錯が、夜明け前の空に火花を散らした。


 空は、どこまでも広がっていた。迷宮の圧迫感とは比べものにならないほどの、自由な空間。

 だが、だからこそ、あの異形は、どこにでも現れる。

広さは自由と同時に、戦場の広がりでもある。


 旋回。加速。急上昇。


 アカネの翼が音を切り裂く。空獣の咆哮が背後から迫る中、悟は紅竜の背で風を読む。


(こいつ、ただの獣じゃない。動きに意志がある……)


 空獣はただ突撃してくるのではない。

 アカネの進路を読んで、風を裂くように追いすがってくる。


「右、三時の方向!」


(わかってる!)


 アカネは風を蹴る。

 紅き身体が鋭角に旋回し、空獣の突進をかわす。


 が、それだけでは終わらない。

 空獣の翼が羽ばたき、濁った瘴気の波がぶつかってきた。


「うっ……!」


 風の流れが乱れる。

 悟の体が一瞬、アカネの背で浮いた。


(悟、掴まって! 次、振り切るよ!)


「行け!」


 アカネは風を纏い、一気に高度を下げる。

 空獣が追う。視界に焼きつく瘴気の尾。


 悟は風鋼の刃を逆手に持ち、風の“流れ”を探す。

 そして、風の薄い部分……死角を見つけた。


「そこだッ!」


 跳躍。


 紅竜の背から飛び出し、悟は空獣の翼の付け根を目指して急降下する。

 風鋼の刃が、空を裂く。


 ズガッ。


 刃が肉を裂く感触。空獣が咆哮をあげて空中でのけぞる。

 だが落ちない。まだ動ける。


 悟は反動で宙を舞う。すぐさまアカネが旋回して風を巻き、落下を受け止めた。


(もう少し、急所に届いてたら……!)


「アイツの動き……わかってきた」


 アカネの目が光る。


(風を濁すのがアイツの狙い。だったら、濁る前に風の軌道を潰せばいい)


「やるぞ、アカネ……次は、仕留める」


 瘴気が渦を巻く空。


 紅竜が風を駆ける。


 その背にしっかりと身を伏せる悟は、空気の緊張を肌で感じていた。

 アカネの翼が大気を掴むたび、疾風のごとき突風が尾を引く。

 彼女は、今や戦闘機と並ぶ巨体を持つ空の支配者。

 しかし、空獣はまだ落ちていない。


(悟、左から来る!)


「分かってる!」


 悟はアカネの背で姿勢を低くし、風鋼の刃を構える。

 空獣が爪を振り上げて突っ込んでくる。

 アカネが翼をひと打ちし、直前で回避。反転の一瞬、悟が叫ぶ。


「アカネ、上だ、回してくれ!」


(いくよ!)


 アカネが身体をひねり、悟が刃を振るえる角度へと導く。

 風鋼の刃が閃き、空獣の翼膜を裂く。

 断裂音とともに瘴気が飛び散り、空獣がよろめいた。


(悟、今なら落ちる前に飛び移れる! 風、巻く!)


「行くぞッ!」


 悟がアカネの背から跳ぶ。

 一瞬だけ風が押し上げ、空獣の側面に足をかけた。

 だがそれも一瞬、空獣が身をよじって反撃の動きを見せたため、悟は踏みとどまれず体を弾き飛ばされた。

「——喰らえッ!」

 空中で風鋼の刃を振り抜きながら、悟はそのまま落下しはじめる。


 風鋼の刃を突き立て、露出した瘴気の核を穿つ。

 空獣が絶叫し、体をくねらせた。


(悟、落ちる!)


 アカネが急降下し、風を巻く。

 悟の落下を追い、翼をたたんで一気に接近。

 その背に悟が転がり込むように着地した。


「ッ……間に合ったか……!」


(うん、ナイス!)


 だがその時、空獣の胸部から黒く脈打つ瘴気の核が完全に露出した。


(悟、あれ……喰い主と同じ……!)


「アカネ、あれを!」


 アカネが咆哮する。

 紅竜の喉奥から放たれた衝撃波が、風と共鳴して核へと突き刺さる。

 閃光が弾け、瘴気が四散し、空獣の体が崩れ落ちた。


 静寂が訪れる。


 空には、新たな朝の光が射し始めていた。


 紅き疾風が、再び牙を剥く。


 空に散った瘴気の残響が、まだ薄く漂っている。


 紅竜の背にしがみつきながら、悟は荒い息を整えた。

 全身が痺れていた。落下の衝撃、風の斬圧、敵の瘴気が内側から消耗を削ってくる。


(悟、大丈夫?)


「ああ……なんとか、な」


 だが、終わったとは思えなかった。

 風の流れが乱れ、異様な重さが周囲を包み込む。


 その予感が現実となる。


 裂け目の縁から、さらに小さな飛行体が姿を現した。

 嘴のような突起と鋭利な翼を持ち、群れを成して空を滑る瘴気の“幼体”。


「……数で潰す気かよ」


(でも、一体ずつなら……核は見える!)


 アカネが翼をたたみ、一気に加速。

 風を裂きながら、群れの中央へと突っ込んでいく。


「行くぞアカネ、旋回しながら、ひとつずつ落とす!」


(うん!)


 風が巻く。

 アカネは大きく旋回しながら急制動を繰り返し、群れの間を縫っていく。

 悟はその背で体を低く構え、風鋼の刃を振るった。


 ひとつ。

 またひとつ。

 瘴気の核を見極め、刃を突き立てていく。

 風に乗った斬撃は正確に敵の核を穿ち、幼体が次々に空へ崩れ落ちていった。


(……あと三体!)


「こっちは任せろ、アカネは避けに集中しろ!」


(わかった!)


 残る三体は挟撃の陣をとろうと翼を広げた。

 だがその瞬間、アカネが急上昇し、一気に一体の背後へ。

 悟が振るった刃が核を砕き、続いて反転。

 切り上げる動作で、横から迫る二体目を両断した。


 最後の一体が怯み、方向転換した瞬間、アカネの咆哮が風を裂いた。

 風の衝撃とともに放たれた紅竜の咆哮が、そのまま核を叩き潰す。


 静寂が、訪れる。


 風が晴れ、朝陽が空を染めていく。


「……全部、落としたか……」


(うん。でも、まだ……)


 アカネが空の奥を見つめている。

 そこにはまだ完全に閉じきっていない瘴気の裂け目。

 そして、その向こうに影が潜んでいる。


(……あれ、まだ“いる”)


「……だろうな」


 悟は風鋼の刃を静かに腰に戻し、もう一度、空の裂け目を見上げた。

 終わってはいない。ここは、まだ入り口にすぎない。

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