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第31話 風が還る場所

 風を裂く音が、山並みを越えていく。

 紅竜の翼が空を払い、早春の大地に影を落とす。


 その背に、ひとりの少年がいた。

 風鋼の刃を腰に下げた神崎悟。

 彼の眼差しは遠くを見据え、どこか懐かしい光をたたえていた。


(見えてきた……あれ、カリナ村だよね?)


「ああ。……あの倉庫で、俺は風鋼の刃を見つけた」


 ゆるやかな丘の斜面に、ぽつりぽつりと家々の屋根が見えてきた。

 変わらない風景。だが、悟もアカネも、確かに“変わって”いた。


 アカネはゆっくりと高度を下げ、村の外れに滑空して降りる。

 地に足をつけた瞬間、村の空気がふっと頬を撫でた。


 数名の村人が、突如現れた巨大な紅竜に一瞬息を呑んだが、

 悟の姿を見つけると、その表情が驚きから安堵に変わっていく。


「お、おい……あれ、神崎じゃねぇか?」

「ほんとかよ……!?」


「おかえり、悟!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、大剣を背負った青年、ライガだった。

 その後ろには、獣人少女のセナ、そして魔法使いのエルフ少女ティアの姿もある。


「すごいね……君たち、飛んできたの?」


(うん! アカネ、大きくなったんだよ!)


 少し得意げに翼を広げてみせるアカネに、セナが驚いたように目を見開いた。


「で、どうしたのさ? 空から舞い戻ってきたってことは、何かあったんでしょ?」


「ああ……頼みたいことがある」


 悟は、腰に下げた風鋼の刃をそっと見せる。


「こいつを見つけた倉庫、まだ残ってるか? この刃を作った職人……あるいは、それに繋がる手がかりを探してる。アカネに騎乗具を作る必要があってな」


 静かな空気の中で、ティアが目を細めた。


「……風鋼か。昔、竜と共に生きた鍛冶師たちがいたって、古文書で読んだことがある。けど、今はほとんど残ってないはず……」


「でも、倉庫の中に何か痕跡が残ってるかもしれない。案内するよ」


 ライガの言葉に、悟は深く頷いた。


「頼む」


 村の奥、かつて納屋として使われていた木造の倉庫。

 悟が風鋼の刃があった場所は、今も変わらずひっそりと佇んでいた。


 軋む扉を開けると、ほこりの匂いと共に、乾いた空気が流れ出る。

 棚には農具や古びた金属片、そして隅に置かれた木箱の山。


 悟は無言で中に入り、奥へと歩を進めた。

 その手には、風鋼の刃……異質な光を湛えた、それだけが時を超えて生き残っていた武具。


「ここで見つけたんだ。……あのときは、ただの幸運だと思ってたけどな」


 ティアが慎重に、木箱の中の古文書や帳面を一つひとつ取り出していく。

 セナは周囲を警戒しながら、埃をかぶった道具類を調べていた。


 すると


「……これ、見て」


 ティアが一冊の帳面を広げ、埃を払う。

 そこには手書きの古い文字が並んでいた。


 “納品記録:リドナ鉱山より風鋼鉱石3塊”

 “受注:竜鞍・片翼式、鋼脚補助つき 発注者→ラキア=ガルド(騎竜兵)”


「……ラキア・ガルド?」悟が眉をひそめた。


 ティアが続ける。


「伝説の“騎竜兵団”の残党かもしれない。瘴気の拡大前、竜を駆る兵たちが存在していたという伝承があるわ。……でも、それはもう数百年前の話」


「じゃあ、その鞍を作った職人が……」


「名前は書かれていないけど、この記録には『制作元:スローナ鍛冶工房(閉鎖)』とある」


 ライガが顎をさすりながら言った。


「スローナって、たしか北方の山岳地帯にあった村だよな。瘴気の濃い地帯に飲まれたって話だったが……」


「希望はある。痕跡さえあれば……そこを辿れる」


 悟は風鋼の刃を見つめながら、そっと言った。


(アカネ……お前にふさわしい鞍を、絶対に見つけよう)


(うん……。わたし、もっとちゃんと悟を乗せて飛びたい。全力で、ぶれないで……戦えるように)


 静かだった倉庫に、ほんの少しだけ風が吹いた。


 それは、過去の記憶が呼び起こされるような、微かな風だった。


***


 その夜、カリナ村の広場には、静かに焚き火が灯った。


 薪がはぜる音が、夜の帳に吸い込まれていく。

 火を囲むのは、久方ぶりの面々。


 ライガはいつもより多めに酒瓶を持ち出し、セナは串焼きの獣肉を丁寧に炙り、ティアは火加減を魔法で調整していた。


「ふふっ、火加減だけは得意なの。エルフの知恵ってやつよ」

「いや、それ魔法じゃん」


 セナが呆れたように笑い、ライガがゴクゴクと一気に酒をあおる。


「ったくよぉ、まさか竜の背に乗って帰ってくるとはなぁ。しかもこのデカさ……こいつ、アカネって名前だったっけ?」


(うん! おっきくなったでしょ!)


 アカネが得意げに翼を広げると、火の粉がひとつ、空へ舞い上がった。


 悟はその様子を見ながら、静かに微笑んだ。

 今、この一瞬だけは、確かに“戦争”を忘れている。


「お前ら、変わらないな。……あの頃から、何も」


 ライガがニカッと笑う。


「お前こそ、変わったようで芯はそのままだ。……けどさ、なんか今の方がいい目してんぞ、悟」


 セナが串を差し出す。


「ほら、食べなよ。遠慮したらぶっ飛ばすよ?」


 悟は受け取り、口に運ぶ。

 じわりと広がる肉の旨味。焚き火の香ばしさ。アカネが嬉しそうに尾を揺らす。


(……ねえ悟。これが、“帰ってきた”ってこと?)


「……そうだな。だけど、旅はまだ終わっちゃいねえ」


 ティアが火を見つめながら、静かに言う。


「それでも……今夜だけは、そう思っていい。風がやさしい夜だもの」


 誰もが無言でうなずき、火を囲んだまま、それぞれの過去と現在を胸に温めていた。


 そして夜は静かに更けていく。

 風は穏やかに、祝福のように吹いていた。

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