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7章

304 十日後

 王都に次元の狭間の入り口が開いた事件から十日が経った。


 十日前に起こったのは王都に次元の狭間の入り口が開いたことだけでない。

 大量の魔物が王都に押し寄せ、昏竜が飛来し、王宮にまで昏き者どもが侵入したのだ。

 加えて、隣国の大使が昏き者どもに与していた。

 諸々の後始末をしなければならない、エリック、ゴラン、マルグリットはとても忙しくしている。

 この十日間、俺の屋敷にもほとんど遊びに来ていないほどだ。

 寝る時間もないに違いない。



 ……だが。

「暇だな」

「がう?」

 俺はガルヴと一緒に自宅の庭に横たわっていた。


 特に俺にはやることが無いのだ。

 隣国との政治的なあれこれは、俺の手には負えない。

 何も手伝えることは無いのだ。


 だからといって、ゴランのようにギルド所属の冒険者を指揮することもできない。

 俺はFランクの冒険者に過ぎないのだから。


「がぁうがあう」


 忙しく働いているであろうエリックたちに思いをはせていると、ガルヴが尻尾を振りながら俺の顔を舐めてきた。


「ガルヴは暇な方が好きか?」

「がぁう!」


 ガルヴは単純に楽しそうだ。

 やることがないとも、暇だとも思っていないに違いない。


「……魔物を倒すクエが沢山あるなら、俺にも手伝えるんだがな」

「最近は全然魔物が出ていないみたいですね」

 俺の徒弟である魔族の優秀な幻術使いルッチラがやってきた。


「がうがう」

 ガルヴは尻尾を振って、ルッチラの周りをぐるぐる回る。


「ここ」

 ルッチラの肩の上に乗っていた神鶏ゲルベルガさまが、そんなガルヴの背に飛び乗った。


「こぅ」

「がう!」

 ゲルベルガさまが何やら指示を出したらしく、ガルヴはゆっくり歩き出す。


「ゲルベルガさまは、最近ガルヴの背に乗って散歩するのが好きなんですよ」

「へぇ」


 ゲルベルガさまも暇で新しい遊びを考えたのかもしれない。

 ゆっくり庭を歩かせながら、ときどき「ここ!」と鳴いている。


 俺が楽しそうにしているゲルベルガさまとガルヴを見つめていると、ルッチラが言う。


「あ、ロックさん、お茶どうぞ」

「ルッチラ、ありがとう、いただくよ」


 俺は身体を起こしてルッチラの持ってきてくれたお茶を飲む。

 日陰で寝転がっていただけだが、喉が渇いていたようだ。

 お茶が、とても美味しく感じた。


「うん、美味しいな」

「良かったです。……ところで、ロックさん、魔物が出ないのって」

「うーん。そうだな。恐らく死んだんだろう」

「やっぱり、そうですか」


 昏き者どもは大量の魔物を操り、王都を襲わせた。

 そして、その魔物の大群は、ケーテたち竜の王族に一掃されたのだ。


「全滅したわけではないだろうが、王都周辺の魔物の数は近年で最も少なくなっているだろうな」

「……いいことなんですよね」

「そりゃ、良いことだろう」


 魔物が出没しなければ、街から街への移動が楽になる。

 少なからず被害を受けた王都経済の回復にも寄与するだろう。


「でも、魔物退治の依頼が無いと困ります」


 少し離れた場所で、大きな木刀を振っていたニアがそんなことを言う。

 ニアはまだ小さいが、立派な冒険者なのだ。


「まあ、魔物は冒険者の飯の種だからな」


 冒険者ギルドのグランドマスターであるゴランはとても忙しい。

 だが、全て冒険者たちが忙しいわけでは無いのだ。

 冒険者ギルドは、スカウト能力を持つ冒険者に事件の影響を調査させている。

 そして上がってきた報告を統合して、必要があれば、冒険者を派遣するのだ。

 その情報統合と、冒険者派遣の業務でゴランは忙しいのだ。


「ゴランもなるべく均等に冒険者を派遣しているだろうが、冒険者の数に比べて仕事は少ないだろうし」


 暇な冒険者の方が多いだろう。

 いま最も忙しい冒険者であるスカウト能力持ちですら、足りているのだ。

 スカウト能力持ち以外は、暇なはずだ。


「スカウト能力持ちが足りてないなら、俺も手伝うんだが……」

「忙しいのは、冒険者ギルドの事務方の方たちばかりですね」


 ニアは木刀の素振りを止めて、汗を拭きながらこちらに来る。


「ニアもどうぞ」

「あ、ありがとうございます。ルッチラさん」


 休憩に入ったニアに、ルッチラがお茶を差し出したのだ。

 そのお茶を、ニアは本当に美味しそうに飲む。

 お茶を飲みながら、ニアは言う。


「ミルカはフィリー先生のお手伝いで忙しいし、姉上とセルリスさんも忙しそうだし……」

「ニアも暇なのか」

「はい」

「俺と同じだな」

「はい!」


 なぜかニアは少し嬉しそうだ。



 フィリーは十日前の事件で手に入れた敵の残置物などを解析するので忙しい。

 フィリーもフィリーで、眠っていなさそうだ。

 エリックもゴランも、急いで解析しろとは言っていないのだが、止まらないのだ。

 フィリーの研究者としての性分だろう。

 倒れてしまわないように気をつけなければなるまい。


 そんなフィリーにはタマがしっかり付き添っている。

 頭が良いミルカも助手として、フィリーに尽きっきりだ。



 そして、ニアの姉シアと、ゴランの娘セルリスは、マルグリットに付いて隣国にいるのだ。


 マルグリットはゴランの妻、セルリスの母だ。

 そして、隣国のリンゲイン王家に縁のあるシュミット侯爵家の当主でもある。

 加えてリンゲイン王国駐箚メンディリバル王国特命全権大使でもあるのだ。


「私も実力があれば、姉上と一緒にリンゲイン王国に行けたかもしれないのですが……」

 ニアは悔しそうにしている。


「マルグリットたちは忙しいらしいな」


 昏き者どもに通じていた大使の仲間たちが暴れているらしい。


「本来、大使の護衛なんて、退屈なものだが……」

「賽の神の神殿に敵が立て籠っていると聞きました」

「そうらしいな」


 賽の神は農民や旅人、そして商人から信仰をあつめる神である。

 もちろん昏き者ども側の神では無い。

 昏き者どもの神の神殿など建てられないので、偽装したのか。

 賽の神の神殿を乗っ取ったのか、それはわからない。


「セルリスさんも姉上も戦闘に参加しているとか」

「それも、本来はあり得ないことだがな」


 リンゲイン王国内部で起こった乱に、メンディリバル王国の大使が手を出すことなどあり得ない。


「しかも、この前ダークレイスを察知する魔道具を送ってくれって言ってきたしな」

「ダークレイスを察知する魔道具って、あの?」

「そう、ニアの実家、狼の獣人族の集落に沢山設置したあれだよ」


 狼の獣人族の集落がダークレイスによって偵察される事件があった。

 そのとき、俺とルッチラ、ケーテとモルスが協力して、ダークレイスを察知すると音が鳴る魔道具を開発したのだ。


 ダークレイスは姿が見えないし、普通の剣でも斬れない。

 だが、シアたちなら、どうにかするだろう。

 シアたちが使っている剣もただの剣では無いのだ。


「あの魔道具があれば、シアもセルリスも、ダークレイスに後れを取ることはないだろうさ」

「外国なのに、前線に配備されるなんて、セルリスさんと姉上の実力は信用されているのですね」

「マルグリットも優秀な魔法剣士だし、シアもセルリスも信用されているのは間違いないだろう」

「はい」

「だが、普通は、実力に関係なく、大使とその護衛が前線にでたりは絶対にしないけどな」


 つまり、リンゲイン王国では普通ではない事が起こっているのだ。

 リンゲインの王は自分の臣下を信用できないのかもしれない。

 信頼して送り出した大使がよりにもよって、昏き者どもに与していたのだ。

 気持ちはわかる。


「シュミット侯爵はメンディルバルの大貴族だが、リンゲイン王家と親戚関係にもあるからな」


 マルグリットの本名はマルグリット・モートン・シュミット。

 そしてシュミット侯爵家の当主でもある。

 ゴランの功績でモートン家も侯爵に陞爵したが、まだ歴史がある分、シュミット侯爵家の方が格上である。

 二人の子供はセルリスしかいないので、恐らく二つの侯爵位をセルリスが一人で継ぐことになるのだろう。


「リンゲイン王の親戚だから、マルグリットさんは信頼されているってことですか?」

「それだけじゃなく、小さい頃から遊んでいた仲らしいよ」

「幼馴染みですか?」

「そうだな。ニアとミルカ、ルッチラみたいなものかもな」

「それならリンゲイン王がマルグリットさんを信頼するのもわかります」


 ニアは納得したようだった。


「ともかく、シアは十五才、ニアは八才、剣の腕が違うのは当たり前だ」

「はい」

「それに、シアとセルリスがマルグリットに選ばれたのは剣の腕だけじゃ無いぞ?」

「やっぱり経験でしょうか? 冒険者として培われた、とっさの判断能力とか?」

「もちろんそれはある。だが、さっきも言ったが本来大使の護衛なんて暇なものだ。戦闘力など二の次だよ」


 大使護衛業務の中で剣を抜くことすら普通は無い。

 大使の身に何かあれば外交問題。リンゲイン王国の威信が傷つく。

 だから、リンゲイン王国が、大使を徹底的に護衛するものだ。

 剣の腕など、あるに越したことは無いが、護衛にはもっと大切なことがある。


「経験や剣の腕よりも、身分かな」

「身分ですか?」

「この前の論功行賞でシアは男爵に、セルリスは騎士爵に叙されたからな。まあ、セルリスは前から名乗るべき従属爵位ぐらいもっていただろうけど」


 侯爵家の嫡子ならば、普通は親の従属爵位を儀礼称号として名乗るものだ

 ちなみに俺はシュミット家の従属爵位に、なにがあるのかは知らない。


「全権大使であるマルグリットは、公式の場でリンゲイン王に謁見することも当然あるだろう?」


 そういう場合、爵位というのは便利なのだ。

 リンゲインの王宮や上級貴族の屋敷など、身分が求められる場所に連れて行くには爵位が欲しい。

 そして、爵位持ちで、腕の立つ女性というのは非常に貴重だ。

 マルグリットがシアとセルリスを選んだのは身びいきではないのだ。


「爵位ですか。険しい道ですね」

「……ニア。栄達を目指して冒険しても余り良いことはないかも知れないぞ」

「そうなのですか?」

「ああ、冒険者として名を上げて、偉くなるんだって息巻いていた奴は山ほどいるが……皆死んだ」


 名を上げるには危ない橋を渡る必要もある。

 そうなれば、当然、死亡率が高くなる。


 しかも、時間がかかる。

 死亡率の高い状況で長年生き残ることは、非常に難しい。

 俺はそんなことを、実例を交えて丁寧に説明した。


「結果、生き残ったのは栄達に興味の無かったエリックとか、ゴランとか。マルグリットやレフィもそうだな」

「それにロックさんもですよね」

「そうだな。だが、結果として、栄達も手に入れてるからな。俺も含めてさ」


 大公爵になどなりたくは無かったが、死んでいると思われていたのだから仕方が無い。


「焦りは禁物だよ」

「……気をつけます」

「はい」


 ニアだけで無く、ルッチラも真剣な表情で聞いていた。

 ルッチラには一族の復興という目的があるのだ。

 一つ間違えば、焦って危ない橋を渡ることになっていたかもしれない。

 とはいえ、いざとなればエリックがルッチラの後ろ盾になってくれるという約束がある。

 だから、ルッチラは焦りはしないだろう。

 その点は安心だ。


「焦らずにゆっくり強くなれば良い。それが結果的に一番早道だ」

「はい! あ、ロックさん、訓練に付き合ってください」

「ああ、いいよ」

「ぼくもお願いします!」

「ルッチラも、もちろんいいぞ」


 それから俺はニアとルッチラと訓練をしたのだった。

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