ケーテはインゴットを穴があくほど見つめている。
「ケーテどうした?」
「これであるが……インゴットであるか?」
「いや、詳しくはわからないが、そう見えただけだ」
「みんな、ここをみるのだ」
そういって、ケーテは机の上にインゴットを載せて、その中心を指さした。
「なんか、浅いけどしっかりとした刻印が彫られていますけど」
ルッチラはその刻印みて、首をかしげる。
改めて見ると、インゴットには極めて浅くて細い溝が刻まれていた。
「これは、何の刻印だ? 何かの足跡に見えなくもないが」
肉球を中心に三つの蹄があるようにも見えなくもない。
「違うのである。これは
「貘? っていうと、夢を食べるとかいう魔獣だったか?」
俺は貘を実際に見たことはない。
だが、
その古文書には図が描かれていなかったので、実際の姿はわからない。
「そもそも、夢を食べるってどうやって食べるのか。想像もつかないんだよな」
夢は魔法的な物でもないので魔力を吸収しても、夢を食べることにはならない。
実際に夢を食べるとなると、それは思考を読み取るのに近いのだろうか。
思考を読み取るのと同時に当人の頭から削除すれば食べるといっていいのかもしれない。
だが、そんなことができる魔物がいるとは思えない。
「ぼくの読んだ本には、魔獣じゃ無くて悪夢を食べる精霊って書いてました」
「私の知っている伝承では、悪夢を食べる霊獣の一種だったわね」
「がう?」
霊獣という言葉に、霊獣狼のガルヴが反応した。
俺は、そんなガルヴの頭を撫でる。
「みんな詳しいな」
「昔から伝承は好きなのよ」
「ぼくもです」
レフィもルッチラも貘の伝承を知っていた。
だが二人は特別だ。
貘は一般にはほとんど知られていない伝説上の魔獣、精霊、もしくは霊獣なのだ。
「正体は魔獣、精霊、霊獣と書いてあったり、夢を食べるとか悪夢を食べるとか、伝承によって色々だな」
「たしかに。ロックさんの言うとおり、正体不明ですね」
すると、レフィが指を頬に当てて言う。
「でも、貘って、姿は鼻は象で、身体は熊、足は虎って聞いたけど。蹄はないんじゃないかしら」
「俺の読んだ文献にもそう書いてたな」
「ぼくもそう記憶しています」
正体不明なのに、伝わっている姿は同じらしい。
「ココココウ!」
ゲルベルガさまが何か言いたそうに鳴いている。
「ゲルベルガさまは、違うと思うのですか?」
「ここう」
ゲルベルガさまはふんふんと頷いている。
どうやら違うと思っているらしい。
だが、この足跡が貘の物では無いと言う意味の違うなのか、それとも別の違うなのかはわからない。
「これはどう見ても虎の足跡ではないが……」
どちらかというと奇蹄目の動物の足跡にみえる。
「人には、貘の姿が正しく伝わっていなかいのであろうな」
「竜の世界ではどう伝わっているんだ?」
「えーっと、奇蹄目で、鼻が少し長い……牛みたいな?」
「牛か」
貘と呼ばれる魔獣、霊獣、もしくは精霊のことは、俺はもちろん見たことはない。
伝承でしか知らないのだ。
それは、他のほとんどの人間たちも同じである。
見たこともない存在を伝えていけば、間違った姿が伝わってもおかしくはない。
「ケーテは貘を見たことがあるのか?」
「ないのである。だが、絵は見たことあったのだ」
「さすが竜」
「ココウ!」
「ん? ゲルベルガさまはみたことがあるのか?」
「ここぅ?」
ゲルベルガさまは貘を見たことがあるのかはわからない。
だが、貘について知っているような気がする。
そんな雰囲気を感じた。
「で、ケーテ。このインゴットに刻まれた貘にどんな意味があるんだ?」
「うむ。貘は夢を食べるわけでは無いのだ。いや。夢を食べたりもするのかも知れぬのだが……」
「ふむ?」
「そして、魔獣でも、精霊でも、霊獣でも無いのだ」
「じゃあ、何だ?」
「神獣なのだ」
「……ゲルベルガさまみたいな?」
「ここぅ」
「そう、ゲルベルガさまのお仲間であるぞ」
そういって、ケーテはゲルベルガさまのとさかを撫でる。
「……貘も神獣なのか?」
ゲルベルガさまは神獣の一種である
「ここう」
「ゲルベルガさまは貘が神獣だと知っているのか?」
「ここ?」
この「ここ?」がどういう意味なのかは、俺にはわからなかった。
「で、ケーテ。貘はどのような能力をもっているんだ?」
「詳しくは我もわからないのであるが、眠りを司る神獣ということは知っているのだ」
「眠りか。フィリーたちが眠っている現状を考えると無関係とは思えないな」
仮に貘がフィリーたちを眠らせたとして、俺には貘の目的がわからない。
ケーテは貘を眠りを司る神獣というが、それが具体的にどういう能力なのかもわからない。
そもそも、貘が本当に存在しているかどうかもわかっていない。
「だが、フィリーの調べていた物に眠りを司る貘の印があって、フィリーとミルカが眠っているならば、貘が関係していると考えた方が良さそうだな」
俺がそういうと、皆がうなずいた。
「ですが、貘が神獣さまならば、どうして、ヴァンパイアもどきが意味深なことを?」
ヴァンパイアもどきがフィリーが眠っていることを知っているとして、その情報を匂わせて一体なにをさせたいのか。
それもわからない。
「ぼくは神獣さまが昏き者であるヴァンパイアもどきに手を貸すとも思えないのですが」
「現時点では、手を貸しているとも限らないよ」
だが、何らかの関係があると考える方が自然だと俺も思う。
「確かにルッチラの気持ちはわかるけど、神にも色々いるから」
「レフィさんは、貘は昏き者の神の神獣だと思いますか?」
「それはわからないけど、可能性はあるかもしれないわ」
レフィの言うとおり神獣がゲルベルガさまのように聖なる存在とは限らないのだ。
「ケーテはどう思う?」
「うーん、貘というか眠りの神が果たしてどちら側の神なのか、我も知らないのである」」
情報が少なすぎる。
貘がどんな存在なのか、そしてどこにいるのか知らなければ動きようがない。
「ドルゴさんに貘について聞いてみるか」
「うーむ。とうちゃんも知らないと思うのであるがな」
「そうかもしれないが、念のためだ」
ケーテの父、前風竜王のドルゴは博識なのだ。
何か知っているかもしれない。
貘について知らなくとも、詳しい人を知っているかもしれない。
「ドルゴさんだけじゃなく、リーアたちにもまとめて聞いてみるか」
リーアは水竜の王太女である。
まだ若いので、貘については知らない可能性が高い。
だが、リーアの侍従長モーリスならば、もしかしたら何か知っているかもしれない。
俺は魔法の腕輪を起動して、つながっている者たちにまとめて呼びかける。
「少しよろしいですか?」
『大丈夫ですよ。ロックさん。どうしました?』
『聞こえているの。ラックさん、お話しできてうれしいわ』
ドルゴとリーアがすぐに返事をしてくれた。
モーリスとモルスは主人たるリーアが返事をしているので、控えているのだろう。
返事は無いが、聞こえてはいるはずだ。
エリックとゴランにも繋げているので、聞いてはいるはずである。
「突然すみません。貘について、何か知りませんか?」
『貘? それはまた珍しい』
やはり、前風竜王ドルゴは貘について知っているようだ。
『バク? ってなにかしら。モーリスは知っているの?』
『はい。眠りを司る神獣でございます』
『さすがモーリス、詳しいのね』
『いえ、私も詳しいことは存じ上げておりません』
水竜の侍従長モーリスも詳しくは知らないようだ。
『ロックが貘とやらについて尋ねてくると言うことは……』
『つまり、その貘とかいう生き物が今回の問題の原因ということでいいのか?』
エリックとゴランも貘について知らないようだ。
「その可能性が高い。……詳しく説明させていただきますね」
俺は事件についてと、貘が怪しいと思った経緯を説明する。
『心配なの』
「そうなんだ。なにか知っていることがあれば、教えて欲しい」
『私も詳しくはありません。実際に見たこともありませんし、眠りを司る神獣というぐらいしか』
『私もドルゴ陛下と同様です。見たこともないですし詳しくもありません。そもそも本当に実在するとは思っておりませんでした』
竜の間でも貘という存在はほとんど知られていないようだ。
『よろしいですか?』
「もちろん。モルスさんは何か知っているのですか?」
モルスはモーリスの息子である。まだ若いが、とても優秀な水竜の侍従なのだ。
『私も全く詳しくはないのですが……、詳しいお方に心当たりがございます』
「なんと。それは一体、どなたですか?」
詳しい人に出会えたら、何か対策がとれるかもしれない。
現状、貘は存在すら曖昧模糊なままだ。このままでは対策を取りようがないのだ。
『地竜王陛下です』
「地竜王……ですか?」
ケーテたち風竜、リーアたち水竜、そして地竜と火竜が
他の竜種に比べて、圧倒的な強さを持つ。
地竜王も、ケーテやドルゴぐらい強いのだろう。
『以前、地竜王陛下のもとにご挨拶に伺ったとき、様々な神獣の話しを聞かせていただきました。その際、貘についても少し』
「なるほど」
四大竜同士、交流があるのだろう。
侍従であり王族でもあるモルスは、王に送られる使者としてふさわしい。
「ぼくは地竜に会ったことがないです」
「私もないわね」
「こここ」「がう」
ルッチラの言葉に、レフィも同意している。
ゲルベルガさまとガルヴが何を言っているのかはわからない。
だが、きっと会ったことがない言っているのだろう。
「俺も会ったことが無いな」
基本的に四大竜たちは、人前に姿を現すことは滅多にない。
それは強力すぎる力を持つと同時に、知能が高いゆえだ。
人前に姿を現せば、人族を混乱と恐怖を陥れることを理解している。
それゆえに、人から姿を隠してくれているのだ。
俺とケーテも、ケーテが竜の遺跡を保全して回っていたときに偶然出会った。
会おうとして会ったわけではない。
「その地竜王陛下は、どこにいらっしゃるのですか?」
きっと地竜の里にいるのだろうが、地竜の里の場所自体、俺は知らない。
知っている人族はまずいないだろう。
『地竜の里の位置ですか。それは……』
「機密だが、ロックにならばいいであろ。皆も内緒であるぞ?』
言いよどんだモルスに変わって、ケーテが言う。
モルスでは、地竜の里の位置を教えていいものか判断が出来なかったのだろう。
だから、責任をとれる風竜王としてケーテが判断してくれたのだ。
「ありがとうケーテ」
「気にするではないのだ。地竜の里は、ここから北西の方向にあるのだ」
「北西か。リンゲイン王国の領土内か?」
メンディリバル王国の北西には、マルグリットとセルリス、シアがいるリンゲイン王国がある。
「うむ。そうであるぞ」
『リンゲインか……』
通話の腕輪の向こうで、エリックがうめくように呟いた。