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322 火口の中へ

 山の頂上には大きな噴火口がひらいている。

 噴火口を歩いて一周すれば、二、三時間かかるかもしれない。


「熱いです! あれはなんですか?」


 俺の左袖を掴んでいたニアの手に力がこもる。

 緊張しているのだろう。ニアの尻尾がこわばっている。


「溶岩だよ。岩とかが熱で融けたものなんだ。ぼくも始めてみた」

 俺の左袖を掴むルッチラの手にも力が入っているようだ。


 確かに眼下には大量の溶岩が拡がっている。

 真っ赤な溶岩が、ぽこぽことした音と煙を出している。

 その溶岩の表面近くをケーテはゆっくりと飛ぶ。

 まっすぐに飛ばずに、なんども曲がる。

 まるで、軌跡で文字でも書いているかのようだ。


「ケーテさん、そんなに溶岩に近づいて大丈夫ですか。噴き出したりしませんか?」

「大丈夫であるぞー」

「まさか、地竜の里には溶岩の中を通らないといけないんですか? ケーテさんはともかくぼくたち死んじゃいます」

「ひい」


 ルッチラとニアが怯えている。

 怯えることで、逆に焦りというものが薄まった気がする。

 目の前の恐怖で、他のことを考える余裕が無いということかもしれない。


「大丈夫であるぞー。これから潜るのだー」

「だ、大丈夫じゃないです! ロックさん!」

「ぴぃぃ」

 ニアは耳をぺたんとさせて、鳴きながら俺にぎゅっと抱きついてきた。

 ここまで怯えるニアは初めて見たかもしれない。


「安心しなさい。もし何かあれば、魔法で守る。それに——」

「それに?」


 俺が続きを話す前に、ケーテが溶岩の中へとトプンと潜った。

 周囲が真っ赤になる。だが、熱くはない。


「あれ?」

「熱くないです」

「がう?」

 ルッチラ、ニア、ガルヴが戸惑っている。


「ルッチラ。よく観察しなさい。これは幻術だよ」

「……幻……術」


 ルッチラは幻術のエキスパートだ。

 そのルッチラでも見抜けないほど高度な幻術と言うことである。


「やはりロックは見抜いたのであるなー」

「ああ、ルッチラの幻術を見て、俺も日々勉強しているからな」

「さすがロックなのである」


 温かい赤い霧に囲まれる中、ケーテはゆっくりと下降していく。


「これが、本当に幻術なのですか?」

「もちろん、ただの幻術ではないよ、特定の入り方をしないと、灼熱に焼かれることになるだろうな」


 水竜の里の場合、石の柱の間を通らなければ、中には入れない結界が展開されていた。

 地竜の里の場合、特定の軌跡を描いて溶岩の近くを飛ばなければならないのだろう。

 そんなことは竜でも無ければ難しい。


「あの、ロックさん、幻術なのに、灼熱に焼かれるというのは……」

「かなり高度だな。ただの一流魔導士程度には理解できまい。だがルッチラなら理解できるかもな」

「え、ぼくにわかりますか?」

「ああ、幻術と灼熱の溶岩の次元を魔法的にずらしている」

「……次元」

「次元の狭間の入り口が王都に開いた騒動で、ルッチラも活躍してくれただろう?」


 邪神の加護を抑えたり、神の加護を復活させたり、次元の狭間の入り口をどうにかしようと悪戦苦闘してくれた。

 並の魔導士では考えないようなことを、必死になって考えたのだ。


「次元に対する理解も深まっているだろうしな」

「それでも、ぼくには難しいかもです」

「まあ、元々難しい魔法だからな。すぐにできるようなものではないさ」

「はい」

「だが、今後、新しい魔法を考える際のヒントになるかもしれない。だから観察しておくと良い」

「わかりました!」


 ルッチラは真剣な表情で赤い霧を観察しはじめた。

 魔導士では無いニアもルッチラの横で観察を始める。

 そんなルッチラとニアの表情からは、出発し始めたときの焦燥感は余り感じない。

 それでいい。そうでなければ、いざというとき、力は出せない。

 ルッチラも、そしてニアも目の前のことに真剣に取り組めば良いのだ。


 俺はルッチラとニアの頭をわしわし撫でる。

 もしかしたら、落ち着かせるためにルッチラとニア頭を撫でることで、無意識のうちに俺自身も落ち着こうとしていたのかもしれない。


(もしかしたら、一番焦っているのは俺だろうか)


 俺はため息を吐いてから深呼吸すると、ルッチラたちと一緒になって赤い霧を観察した。


「溶岩自体、実在のものではなさそうだな」


 灼熱の溶岩を模した魔法を配置しているようだ。

 これだけ大規模な火炎魔法となると、膨大な魔力が必要になりそうだ。

 地竜の力は尋常ではない。


「さすが、ロック。よく気付いたのである。この山はそもそも火山では無いのである」

「え? そうなんですか?」


 ルッチラが驚いている。


「この下には地竜の里があるのだ。頂上までみっちり溶岩が詰まっているぐらいなら、里のあるところも溶岩でみっちりでなのである」

「た、確かに。そんな気がします」

「確かにそうだな」


 うんうんうなずくルッチラの横で、俺もうなずいた。

 考えてみれば、その通りである。


「ロックでも知らないことがあるのだなぁ」

「そりゃそうだ、知らないことばかりだよ」


 残念ながら、俺は地学にはあまり詳しくないのである。


「そもそも、地竜の里というのは、歴史的に——」


 ケーテは、竜の歴史について語りながら、赤い霧の中を十五分ほど降下していく。

 遺跡好きなだけあって、ケーテは歴史にも詳しいようだ。


「それで、地竜は里の場所を——、あ、そろそろ到着するのである」

「おお、そろそろか。地竜の里はどんな感じなんだろうな」

「楽しみです。水竜の里みたいな感じでしょうか」「がぁう!」


 怖がっていたニアとガルヴは元気になって尻尾を振っている。

 まだ地面からの高さはかなりある。

 だが、降りるにつれて、日光が霧に遮られるせいかどんどん暗くなる。

 加えて周囲に立ちこめる濃い赤い霧のため下は見えない。

 だから、ニアとガルヴは高さによる恐怖を感じないのかもしれなかった。

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