山の頂上には大きな噴火口がひらいている。
噴火口を歩いて一周すれば、二、三時間かかるかもしれない。
「熱いです! あれはなんですか?」
俺の左袖を掴んでいたニアの手に力がこもる。
緊張しているのだろう。ニアの尻尾がこわばっている。
「溶岩だよ。岩とかが熱で融けたものなんだ。ぼくも始めてみた」
俺の左袖を掴むルッチラの手にも力が入っているようだ。
確かに眼下には大量の溶岩が拡がっている。
真っ赤な溶岩が、ぽこぽことした音と煙を出している。
その溶岩の表面近くをケーテはゆっくりと飛ぶ。
まっすぐに飛ばずに、なんども曲がる。
まるで、軌跡で文字でも書いているかのようだ。
「ケーテさん、そんなに溶岩に近づいて大丈夫ですか。噴き出したりしませんか?」
「大丈夫であるぞー」
「まさか、地竜の里には溶岩の中を通らないといけないんですか? ケーテさんはともかくぼくたち死んじゃいます」
「ひい」
ルッチラとニアが怯えている。
怯えることで、逆に焦りというものが薄まった気がする。
目の前の恐怖で、他のことを考える余裕が無いということかもしれない。
「大丈夫であるぞー。これから潜るのだー」
「だ、大丈夫じゃないです! ロックさん!」
「ぴぃぃ」
ニアは耳をぺたんとさせて、鳴きながら俺にぎゅっと抱きついてきた。
ここまで怯えるニアは初めて見たかもしれない。
「安心しなさい。もし何かあれば、魔法で守る。それに——」
「それに?」
俺が続きを話す前に、ケーテが溶岩の中へとトプンと潜った。
周囲が真っ赤になる。だが、熱くはない。
「あれ?」
「熱くないです」
「がう?」
ルッチラ、ニア、ガルヴが戸惑っている。
「ルッチラ。よく観察しなさい。これは幻術だよ」
「……幻……術」
ルッチラは幻術のエキスパートだ。
そのルッチラでも見抜けないほど高度な幻術と言うことである。
「やはりロックは見抜いたのであるなー」
「ああ、ルッチラの幻術を見て、俺も日々勉強しているからな」
「さすがロックなのである」
温かい赤い霧に囲まれる中、ケーテはゆっくりと下降していく。
「これが、本当に幻術なのですか?」
「もちろん、ただの幻術ではないよ、特定の入り方をしないと、灼熱に焼かれることになるだろうな」
水竜の里の場合、石の柱の間を通らなければ、中には入れない結界が展開されていた。
地竜の里の場合、特定の軌跡を描いて溶岩の近くを飛ばなければならないのだろう。
そんなことは竜でも無ければ難しい。
「あの、ロックさん、幻術なのに、灼熱に焼かれるというのは……」
「かなり高度だな。ただの一流魔導士程度には理解できまい。だがルッチラなら理解できるかもな」
「え、ぼくにわかりますか?」
「ああ、幻術と灼熱の溶岩の次元を魔法的にずらしている」
「……次元」
「次元の狭間の入り口が王都に開いた騒動で、ルッチラも活躍してくれただろう?」
邪神の加護を抑えたり、神の加護を復活させたり、次元の狭間の入り口をどうにかしようと悪戦苦闘してくれた。
並の魔導士では考えないようなことを、必死になって考えたのだ。
「次元に対する理解も深まっているだろうしな」
「それでも、ぼくには難しいかもです」
「まあ、元々難しい魔法だからな。すぐにできるようなものではないさ」
「はい」
「だが、今後、新しい魔法を考える際のヒントになるかもしれない。だから観察しておくと良い」
「わかりました!」
ルッチラは真剣な表情で赤い霧を観察しはじめた。
魔導士では無いニアもルッチラの横で観察を始める。
そんなルッチラとニアの表情からは、出発し始めたときの焦燥感は余り感じない。
それでいい。そうでなければ、いざというとき、力は出せない。
ルッチラも、そしてニアも目の前のことに真剣に取り組めば良いのだ。
俺はルッチラとニアの頭をわしわし撫でる。
もしかしたら、落ち着かせるためにルッチラとニア頭を撫でることで、無意識のうちに俺自身も落ち着こうとしていたのかもしれない。
(もしかしたら、一番焦っているのは俺だろうか)
俺はため息を吐いてから深呼吸すると、ルッチラたちと一緒になって赤い霧を観察した。
「溶岩自体、実在のものではなさそうだな」
灼熱の溶岩を模した魔法を配置しているようだ。
これだけ大規模な火炎魔法となると、膨大な魔力が必要になりそうだ。
地竜の力は尋常ではない。
「さすが、ロック。よく気付いたのである。この山はそもそも火山では無いのである」
「え? そうなんですか?」
ルッチラが驚いている。
「この下には地竜の里があるのだ。頂上までみっちり溶岩が詰まっているぐらいなら、里のあるところも溶岩でみっちりでなのである」
「た、確かに。そんな気がします」
「確かにそうだな」
うんうんうなずくルッチラの横で、俺もうなずいた。
考えてみれば、その通りである。
「ロックでも知らないことがあるのだなぁ」
「そりゃそうだ、知らないことばかりだよ」
残念ながら、俺は地学にはあまり詳しくないのである。
「そもそも、地竜の里というのは、歴史的に——」
ケーテは、竜の歴史について語りながら、赤い霧の中を十五分ほど降下していく。
遺跡好きなだけあって、ケーテは歴史にも詳しいようだ。
「それで、地竜は里の場所を——、あ、そろそろ到着するのである」
「おお、そろそろか。地竜の里はどんな感じなんだろうな」
「楽しみです。水竜の里みたいな感じでしょうか」「がぁう!」
怖がっていたニアとガルヴは元気になって尻尾を振っている。
まだ地面からの高さはかなりある。
だが、降りるにつれて、日光が霧に遮られるせいかどんどん暗くなる。
加えて周囲に立ちこめる濃い赤い霧のため下は見えない。
だから、ニアとガルヴは高さによる恐怖を感じないのかもしれなかった。