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326 神獣モルペウス

 ドルゴに地竜王への連絡を頼んでから、来訪の許可が出るまでほとんど時間がかかっていない。

 ドルゴも詳しい事情を説明する時間が無かったのだろう。


「というわけで、恐らく貘が原因で眠りから覚めていないのだろうと判断しています」


 俺はフィリーたちが研究していたインゴットを見せながら説明した。

 ヴァンパイアもどきの存在も忘れずに伝えておく。


「そうだったのね」


 そう呟くように言った後、ローレは無言になった。

 俺と腕を組んでいる状態のグランは、肩の上に乗るゲルベルガさまをみる。


「神鶏さまは鳴かれなかったのですか?」

「こここ」

「ゲルベルガさまは鳴いたかどうかは重要なことなのですか?」

「神鶏さまの権能は物事に境界を引くこと。夜と朝の境界を引く権能で、眠りと覚醒の境界も引けると思うのですけど?」


 そう言われてみたら、確かにグランの言うとおりな気がする。

 元々、ただの鶏の鳴き声も、朝をしらせるものだとされることが多いのだ。

 神鶏さまともなれば、眠りを覚まさせることぐらい簡単かもしれない。


「なるほど。たしかゲルベルガさまは鳴いたはず。だよな、ルッチラ」

「はい。ゲルベルガさまはフィリー先生とミルカの近くで鳴かれました」


 フィリーたちがただ寝落ちしたと思われていたとき、ゲルベルガさまは突然鳴いたのだ。

 ゲルベルガさまは少し興奮気味で、羽をバタバタさせていた。

 あのとき、すでにゲルベルガさまはフィリーたちの状態がただの寝落ちではないと気付いていたのかもしれない。


「ただの、ここ、みたいな可愛い鳴き声ではなく、力強い鳴き声だったのですか?」

「そうですね。力のこもった鳴き声でした」

「神鶏さまの力のこもった鳴き声でも起きないということは……。母上」

「わかっています。ラックさま、そして皆さん。貘という種族について語る前にお話ししなければならないことがあります」


 ローレは深刻そうな表情を浮かべている。

 俺は何も言わずに続きを待った。


「恐らくラックさまのお仲間を眠らせた貘は、我らの客であり仲間である貘でしょう」

「え? まさか! 眠らせたのは——」

「ニア。止めなさい」

「し、失礼しました」


 ニアは、地竜王が貘を使ってフィリーたちを眠らせたのではないかと疑ったのだ。

 ニアの気持ちはわかるが、根拠もなく疑いの言葉をかけるのは、非礼が過ぎる。

 それに、俺には地竜王がそんなことをするとは思えなかった。

 なにより、何の得も無い。


「詳しくお聞かせ願いますか?」

「はい。長い間、その貘、モルペウスさまは地竜の里に滞在してくださっております」

「私が幼い頃からずっとです」


 グランの幼い頃というと、数十年前、もしかしたら数百年前になるだろう。

 十代前半から半ば程度にみえるが、グランは竜。

 成長も老化も人に比べたら圧倒的に遅いのだ。


「ラックさまは、貘が眠りを司る神獣さまだということはご存じですね」

「はい。それはケーテに聞きました。加えて人族の間では夢を食べるという伝承が伝わっております」

「そうですね、それは概ね正しいです。ですが、貘が食べるのはもっぱら悪夢。より正確にいえば、恐怖心です」

「恐怖心を食べる……とは?」

「恐怖を和らげ心安らかにしてくれる神獣さま、ということです」


 そう言われると、いい神獣に思えてくる。


「加えて言えば、眠りを司るというのも、正確ではありません」

「……精神でしょうか」


 そう尋ねたのはルッチラだ。

 地竜王と対峙する緊張より魔導士としての好奇心が勝ったのだろう。


「そのとおりです」

 ローレはルッチラに優しく微笑んだ。


 精神を司る神獣。非常に強力な存在だ。

 ローレの話を聞いて、俺は少し疑問に思った。


「もっぱら悪夢を食べると言うことは、悪夢以外も食べると言うことでしょうか?」

「食べることはできるでしょうね。ですがモルペウスさまに限らず、貘は恐怖心以外は基本的に食べません」

「それはどうしてでしょう?」

「好みです」

「つまり、貘にとって、恐怖心はおいしいということですか?」

「そうではありません。人も味に関係なく人の肉は食べないでしょう? そういうことです」


 いまいちわからない。恐怖心しか食べないのは心理的な要因ということだろうか。


「母上、それではわかりにくいですわ。貘は人を含めた生物が好きなのです。怖くて怯えている生き物をみると、放っておけない。そういうことですわ」

「なるほど」

「モルペウスさまは恐怖心の全てを食べたりはしません。恐怖心を完全に取ってしまえば、その者の身は危険になります」

「そうですね、恐怖心は身を守るのに大切です」

「ラック様の言うとおりです。ですが、過剰な恐怖心はかえって身を危険にします」


 それもわかる。

 高所の大雪渓を横切っている最中に恐怖を感じなければ緊張感を感じず注意力が散漫になるだろう。

 逆に恐怖でひざが笑えば、足を滑らせる可能性が高くなってしまう。

 恐怖で腰が引けて、身体が斜面と平行に近づいてしまえば、滑り落ちる危険性が急に高まる。

 恐怖心は適度にあってこそ有効に働くのだ。


「あくまでも、モルペウスさまは恐慌に陥らせないようにしてくださるのです」


 恐怖を含めた感情ををむやみに奪ったりはしないということだろう。

 あくまでも、心安らかになる程度に、恐怖を和らげてくれる神獣ということらしい。


「ラックさまは、我らの里を見て守りが大げさだと思われませんでしたか?」

「水竜の里に比べたら防備が固いとは思いましたが、大げさだとは」


 防備は大切だ。

 足の遅い地竜が、他の竜を警戒して防備を固めたい気持ちはわかる。


「恥ずかしい話しですが、我ら地竜は臆病なのです。幼いグランは特に臆病で」

「モルペウスさまは、怖がって眠れない私の恐怖を和らげ、眠らせてくださいましたわ」


 グランはモルペウスさまのことを大切に思っているようだ。

 きっと、ルッチラにとってのゲルベルガさまのような関係なのだろう。

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