ルッチラが精神世界に手を出しようがないと考えるのは当然だ。
精神世界は、俺たちとのいるこちら側とは別の世界。
魔導の世界でもほとんど研究が進んでいない領域なのだ。
次元の狭間の向こう側より、精神世界に行く方が難しいだろう。
だが、諦めるわけにはいかない。
「グランさん、ローレさん。どうすれば、フィリーとミルカ、そしてモルペウスさまを助けられますか?」
「確実なことは何も……」
「可能性があるだけでも、構いません」
「そうはおっしゃられましても……」
ローレは申し訳なさそうに言う。
ローレ自身もモルペウスさまを助けたいはずだ。
だというのに何も言えないということは、きっと確度の高い情報が何も無いのだろう。
だが、グランは俺の腕を離すと正面に来る。
「本当に可能性だけですわ」
「はい」
グランは先ほど提示したフィリーとミルカが研究していたインゴットを手に取る。
「これは確かにモルペウスさまの加護を示すお守りです」
「それは知っているのである」
「このお守りから悪意は全く感じられません」
「それも知っているのであるぞ。何が言いたいのであるか?」
ケーテも焦り始めている。
これまでケーテも俺も、貘、つまりモルペウスさまを見つければなんとかなると考えていた。
だが、モルペウスさまが、そもそもたどり着けない場所にいると知ってしまった。
助ける方法がわからない。
フィリーやミルカが大切だからこそ、焦ってしまうのも仕方の無いことかもしれない。
「つまり、このお守りが、攻撃の原因では無いと言うことです」
「確かにこのお守りはロックさんが調べたものですし、ぼくも嫌な気配は少しも感じませんでした」
「それに、フィリー先生とミルカがいた場所はロックさんの魔法防御の中。その外には王都を守る神の加護が展開されています」
ルッチラとニアが真剣な表情で言う。
「そうです。つまり、昏き者どもが攻め込んで攻撃するのは難しいでしょう」
「だから、ヴァンパイアもどきであろう?」
「ヴァンパイアもどきがヴァンパイアの精神体だとしても、昏き者は昏き者でしょう? 神の加護を突破できるはずがありませんわ」
神の加護で覆われていない村ならば、攻撃を仕掛けることはできるだろう。
だが、フィリーとミルカのいた王都には強固な神の加護で覆われている。
「じゃあ、誰が攻撃を仕掛けたのであるか? ヴァンパイアもどき以外に誰がいるというのであるか?」
「推測になります。確証はありません」
「もったいぶるのではないのである。さっさというのだ」
「ケーテ、焦るな」
「う、うむ、すまないのである。……で、誰だと思うのだ?」
「はい。賽の神です」
それは俺が全く予想していない存在だった。
「…………」
ローレは何も言わない。
全くの的外れだと思えば、ローレが否定するだろう。
ローレ自身も可能性はあると考えているに違いない。
「賽の神? っていうと、農民とか旅人に信仰されているあの?」
「ロックの言うとおり、人族に信仰される神さまであろ? 昏き者どもの神とは聞いたことがないのである」
「賽の神は昏き者どもの神ではありませんわ」
「じゃあ、なんでフィリーたちを攻撃するのであるか?」
「わかりません。ですが、賽の神は。境を司る神。つまり境界。世界と世界をつなぐ通路。それらを司る神です」
「世界と世界をつなぐ通路……。次元の狭間みたいなものであるか?」
「まさに。次元の狭間自体が、賽の神の領域と言って良いでしょう」
境を司る神だからこそ、村の境を超えて病や悪しき物が村に入るのを防いでくれるのだ。
少なくともそう信じられているから農村などで信仰されることが多い。
畑と畑の境界を決めるのも賽の神の神事で行なったりもする。
なぜ旅人に信仰されているのか、俺は知らない。
推測するに道自体を境界と考えるのかもしれない。
次元の狭間もこちら側の世界と昏き者どもの神の世界をつなぐ道と考えることもできるだろう。
「十日前。次元の狭間の入り口が開いたと聞いています。その際、賽の神が向こうから出てきていたとしてもおかしくはありません」
俺たちは邪神がこちら側に来るのを防いだ。
だが、賽の神については警戒もなにもしていなかった。
その存在にすら気付いていなかったのだ。
「神が、神の加護の影響を受けるわけでも無いし、ありうるかもしれぬのである」
「出てきた賽の神が、こちら側にでてきた可能性はわかりました。でも、どうしてフィリー先生なんですか?」
「わかりません。わからないことばかりで申し訳ありません」
グランはそういって頭を下げる。
「謝らないでください。私たちだけでは賽の神の可能性にすら思い至れませんでしたから」
「ありがとうございます。ラックさん」
「それに、ルッチラ」
「はい」
「賽の神がなにをしたのかはわからない。だが、なぜフィリーが選ばれたのかは、推測はできる」
「本当ですか?」
「次元の狭間の入り口は、フィリー、レフィ、ミルカ。そしてルッチラとニアが、あの研究室で閉じてくれただろ」
フィリーたちが力を合わせて、神の加護を復活させて、次元の狭間の入り口を閉じてくれた。
その後、俺たちは、ゲルベルガさまの鳴き声で、次元の狭間の内側からこじ開けたのだ。
「賽の神にとって、次元の狭間の入り口を閉じたフィリーの研究室が意味のある場所だったんじゃないか?」
レフィもルッチラもニアも無事なのだ。
次元の狭間をこちら側から閉じた人物を狙ったのではないだろう。
きっとあの場所に意味があり、フィリーたちは巻き込まれただけかもしれない。
「じゃあ、フィリー先生の研究室から賽の神のところに——」
「ニア、それは難しい。境界を司る神鶏であるゲルベルガさまが研究室で鳴いてもどうにもならなかった」
「……ここ」
もしあの場からなんとかできるならば、ゲルベルガさまの鳴き声で精神世界への扉を開くことができただろう。
もしかしたら、ゲルベルガさまが寝ているフィリーたちの横で鳴いたのは、それを確かめたのかもしれなかった。