ケーテは人型に戻っており、両手で大事そうにゲルベルガさまを抱っこしていた。
「話は聞いていたか?」
「もちろん」
俺たちの会話はケーテの通話の腕輪を通じて、流していたのだ。
当然、向こうの会話もこちらには聞こえていた。
「ゲルベルガさま。昏き神の加護に近づいて大丈夫か?」
俺たちの中で、昏き神の加護の影響を最も強く受けるのがゲルベルガさまなのだ
「ココ!」
ゲルベルガさまは大丈夫だと言うように、羽をバサバサさせた。
「ゲルベルガさま。無理はしないようにな。少しでも苦しくなったらすぐに報せてくれ」
「ここ」
「ゲルベルガさまのほうが、俺たちより先に気づけるってのもあるし、報せてくれたら俺たちも助かるんだ」
「こぉぅ」
ゲルベルガさまは、まるで任せろと言っているかのようだった。
「ロック、神殿の壁を吹き飛ばすことはできそう?」
「できるとは思うが、中の人間がどういう状況か調べられないからな」
壁を吹き飛ばした向こうに人がいた場合、その人は無事では済まないだろう。
「昏き者どもに与した残党なら、それもありなのかもしれないが……」
「モルペウスさまがいらっしゃるかもしれません」
グランが真剣な表情で言う。
精神世界に肉体ごと逃げ込んでいるだろうと予想はしている。
だが、もしそうで無かったら、大変なことだ。
「モルペウスさまがいた場合、昏き神の加護で苦しんでいるはずだからな」
モルペウスさまは瀕死になっているはずだ。
そこに壁が崩れてきたら、とどめを刺すことになりかねない。
「壁でも扉でも、天井でも、地下からでも良いのだけど。難しいかしら」
「そうだなぁ。うーん」
賽の神の神殿の形は直方体だ。
そして、天井と壁は石、扉は分厚い金属で作られている。
床の素材はわからないが、恐らく石だろう。
「グランさん」
「はい」
「神殿の、精神世界へと通じる何かがあるとしたらやはり中心でしょうか」
絶対に壊してはいけないのは、精神世界につながる機構だ。
モルペウスさまがこちら側にいるならば、考慮する必要は無い。
だが、俺たちは、モルペウスさまたちが精神世界にいる可能性が高いと考えている。
「恐らく中心だと思われますわ。壁、床、天井は壊しても良いと思いますが、中は壊さないようにしてください」
「わかりました」
話を聞いていたマルグリットが言う。
「ロック。そういう難しい調節は任せるから、ちょっとやってみて。私の魔法では建物を安全に吹き飛ばすのは難しいのよ」
「まあ、こういうのは、魔導士の仕事だからな」
マルグリットは優秀な魔法剣士だ。
だが、専業魔導士のように強力な攻撃魔法を駆使するタイプではない。
あくまでも剣技と組み合わせることで、魔法剣士の魔法はその真価を発揮するのだ。
「とりあえず、やれるかどうか考えてみるよ」
俺は昏き神の加護の境界まで移動して、賽の神の神殿を観察した。
すると、ゲルベルガさまをルッチラに渡したケーテがやってきた。
「天井を吹き飛ばすのはどうであるか? 下から上に吹き飛ばせば、中の人が瓦礫に潰されたりしないのである」
「確かに瓦礫に潰されることはないだろうが……」
「我なら建物の中に風を送り込んで、吹き飛ばせるのだ」
「そりゃケーテならできるだろうが、それをするには、風を送り込む穴をまず作る必要がある」
「その穴は、地面を掘って、床に穴を開ければ良いのである。床に穴を開けても、瓦礫に押しつぶされることは無いのである」
「ケーテ、凄いわ! それなら、いけそう」
「やはり、セルリスもそう思うであるか」
セルリスの賛同得て、ケーテはどや顔で尻尾を揺らす。
「いや、考え方は良いが、天井どころか、壁も扉も全部吹き飛ぶぞ」
そのぐらい風竜王ケーテが本気で吹かせる風の威力は強いのだ。
「あ、そうね。それだとダメね」
セルリスはケーテ案の欠陥に気がついた。
「問題ないのである。全部吹き飛ばせばよいではないか。見通しも良くなるのだ」
「なにを馬鹿なことを。そのような強力な風に人族が耐えられるわけないではありませんか」
グランが呆れたように言う。相変わらずグランはケーテにだけは辛辣だ。
「そうであるか?」
ケーテは俺の方を見る。
「ロックさんは特別です。人族は脆弱なのです」
「うーむ。そうであるかなぁ」
「人族は寒くても死んでしまうし、日の光を数時間浴びただけで死んでしまうのです」
「そ、そんなことが?」
「転んで頭をぶつけたら死んでしまうし、かすり傷でも、そこから腐ったり病になって死んでしまいます。」
「あわわ。そ、そうなのであるか?」
ケーテが怯えた様子で、俺たち脆弱な人族を見る。
「グランの嘘に違いないのである。そうであろ?」
「残念ながら、グランさんの言葉は嘘ではないよ」
俺がそういうと、ケーテは驚いて固まった。
水が凍るほど寒い場所に裸でいれば、人は数時間で死ぬだろう。
服や身体が濡れていればもっと早い。
真夏の炎天下に水も飲まずに数時間立っていたら、死にかねない。
転んだりして、頭を強くぶつけて死ぬ人も珍しくない。
致命傷じゃない傷も清潔にしないと、壊死したり、病気になって死ぬこともある。
そのどれもが、強靱な竜では考えられないことだ。
「大丈夫でありますよ。だからこそ、人族は死なないように色々頑張っているでありますよ」
凍死を防ぐ為の防寒具だったり、日光で死なないように帽子を被り日陰に行き水を飲むのだ。
頭をぶつけないように気をつけて、傷口を洗って、包帯を巻くのである。
「そうよ。あまり深刻に考えないで欲しいわ」
「竜に比べて圧倒的に短い寿命だけはどうしょうもないでありますが」
「うーむ」
「ケーテ。これまで通り変わらず付き合ってくれたらうれしい」
「うん。わかったのである」
まだ、ケーテは複雑な表情を浮かべていた。