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343 モルペウスさま

 俺は涙を拭って、神殿跡地に存在する黒いものを観察する。


「なんだ、こいつは?」


 誰に尋ねるでも無く、独り言のように再び同じ言葉を呟いてしまった。


 黒くて大きな四つ足の獣だ。

 手足は短くて細い。まるで血を吸って膨れ上がったダニのようだ。

 そして、圧倒的な魔力を持っている。


「なぜ気付かなかった?」


 これほど強力な存在に気付かないわけがない。

 賽の神の神殿がある間は、赤い霧に隠されていたのだと推測できる。

 神殿内部は赤い霧で満ちており、そして赤い霧の中を探るのは難しいのだ。


 だが、ケーテのブレスが神殿を赤い霧ごと吹き飛ばした。

 その瞬間に気付けたはずだ。 


「……昏き者であるな?」

「間違いなく、そうだろうな」


 昏き者の気配、忌むべき者の気配が尋常ではない。

 まるで真祖、いや邪神と対峙したかのようだ。


 ——ブシュ……ブシュ……ブウシュゥゥ……


 その黒い昏き者は、まるで苦しいかのように荒く息をしている。


「Pggggrerrrrrr」


 そして、その昏き者は、背筋が寒くなるようなおぞましい咆哮をあげる。

 同時に昏き者の魔力が高まり、頭上に人の頭部ぐらいある黒い球体が現われた。


「まずい——」

 俺の警告は間に合わない。


 黒い球体がギラリと光った。

 光ると同時に黒い光線が周囲にばらまかれた。


「ぐあああああああ!」

 光線に貫かれたケーテが悲鳴を上げる


「すまん、カバーしきれなかった!」

 俺は光る直前、攻撃のために用意していた結界を利用し、障壁を周囲に展開した。

 だが、結界には限りがあり、昏き神の加護の中、全力も出せない。

 食らったら死ぬであろうニア、シア、セルリス、マルグリット、ガルヴに比べて、ケーテとグランは後回しになってしまう。

 それに巨大なケーテの全身を障壁で覆うのは無理があった。


「余裕で無事なのである! グランは?」


 ケーテは尻尾と後ろ左足と羽を貫かれて、血を噴き出している。

 とてもではないが余裕ではない。無事でもない。

 そんな状態ながら、ケーテはグランを気遣っている。


「無事だ!」

 グランは距離があったので、運良く狙われなかったようだ。


「ならばよしなのである!」

「ケーテ、できれば障壁をはってくれ! かなり強力な障壁じゃないと砕かれるぞ」

「無茶言うなである。そもそも、光線など速すぎて防ぎようがないのである」

「球体が光った後、打ち出される方向に一瞬無害な光が出る」


 それを見て、俺はケーテの頭や胴体など、致命傷になりかねないところは防いだ。

 だが、巨大なケーテの全身をカバーするのは難しい。


「それに反応しろというのであるか……。やってみるのである!」


 会話しながら、俺はリーアに結界の準備を進める。


「ケーテも見ただろ? リーアの結界を使って障壁を発動させればいい」

「それが難しいのである。そんなことロックぐらいにしかできないのだ」


 リーアができた魔法だ。覚えればケーテだってできるはず。

 とはいえ、平常時にできるとしても、昏き神の結界の中でやれるかどうかは別問題だ。

 練習したことのない、見ただけの魔法ならばなおさらだ。


「わかった。防御は任せろ。ケーテはブレスを頼む」

「だ、だが」

「防御と攻撃、両方やるのは正直きつい」

「わかった」


 俺とケーテが会話している間にも、昏き者の頭上にある球体に魔力が溜まっていく。


「短い間隔で撃てないのが救いか?」

「本当にそうならばいいのであるが……」


 ケーテは傷だらけの体を起こし、大きく息を吸う。

 その瞬間、昏き者の頭上にある球体が光った。


「GUOOOOOOOOOAAAAA」

「Pgggrerrrr」


 大声で叫びながら、防御をすててケーテは昏き者目がけて風のブレスを放つ。

 ケーテの口から大量の血があふれる。

 昏き神の加護の中で、渾身のブレスを吐くことは簡単ではないのだ。


 ケーテがブレスを吐いたのと、ほとんど同時に、球体から黒き光線が放たれる。


「うおおおおお」

 それを全て俺は障壁を展開して防ぐ。

 魔力を使う度、頭痛が激しくなる。どの内臓かはわからないが、とにかく内臓が痛い。


「ぐぼっ」

 外傷もないのに、俺の口から血があふれた。理由はわからない。

 ケーテといい、俺といい、長くは持たない。


 ふと、周囲を見ると、風景が変わっていた。

 完全に日が沈んだはずの夜空は、夕焼け空のように赤くなっている。

 まるで夕暮れどきのようにほのかに明るい。

 だというのに、遠くに見えていた山が見えない。

 マルグリットの宿舎や兵士たちのテントも見えなかった。


「ここは、どこだ?」


 目がぐるぐると回る。

 全身が痛い。思考が鈍る。現状把握が難しい。


「まるで……」

 景色は違う。

 だが、臭いや温度、肌に当たる風、周囲の気配。

 視覚以外で感じる全てが、次元の狭間にそっくりだ。


「ロック。ロック! 不味いのである。ここは我に任せて、ニアたちを連れて逃げるのである」

「ケーテ一人でどうにかなる状況じゃない」

「だが、ロックならニアたちを助けられる。ゲルベルガさまもグランも。もしここを脱出できたらなんとかなるのだ」


 ケーテも周囲の変化に気付いたようだ。


「エリックに昏き神の加護を緩和する魔道具を準備させているのであろ? それさえあれば……」

「それでもだ。障壁を展開できないケーテでは足止めも難しい。ケーテが——」


 このような状況で説得する時間は無い。

 だから、俺は言葉の途中で自分に傀儡人形マリオネットの魔法を掛けた。

 そのまま、魔神王の剣を抜き、昏き者目がけて突進する。


「ケーテが皆を連れて逃げろ。俺ではグランを担ぐのは難しい!」

「ぐうう、わかったのである!」


 傀儡人形を自分にかける場合、自分の中で魔法の全てを完結できる。

 体内には他者の魔法を防ぐ免疫のような結界に似たものがある。

 だから、昏き神の加護の影響も、魔封じの結界の影響も受けづらいのだ。

 ゲルベルガさまを口の中にかばったグランもそれを知っていたのだろう。


 傀儡人形に操られた俺は一気に剣を抜いて昏き者に接近する。

 あまりの苦痛に気絶しかけた。

 昏き者は昏き神の加護の中央にいるのだ。接近すれば、より強力な加護の影響を受けてしまう。


 筋肉がちぎれそうだ。内臓にナイフをザクザク刺されているかのようだ。

 だが、傀儡人形で操られた俺の身体は止まらない。

 そのまま、昏き者に魔神王の剣で斬りかかる。


 昏き者は避けようともせず、ぴくりとも動かない。

 魔神王の剣をまともに首に受けた昏き者は、血を流して、

「pggerrrrrree」

 苦痛の声を上げた。

 同時に、昏き神の加護と魔法を防ぐ結界も弱まった。

 どうやら、この黒くて大きな、昏き者が昏き神の加護と結界の核らしい。


「いけるぞ!」


 魔神王の剣を防ぐ為に障壁を展開すると思っていた。

 超高速で動きまくると思っていた。

 だが、昏き者はただ斬られるがまま。

 これならば、昏き者を倒して、俺自身も生還できるかもしれない。


 俺は魔神王の剣で、昏き者を斬り続ける。

 斬るごとに、昏き神の加護と結界が弱まっていく。


「pgrerrrreeee」


 昏き者は呻きながら俺をじっと見る。

 抵抗はしない。

 球体に魔力が集まり、俺を指向した光線が出かけたが、なぜか霧散した。


「え? モルペウスさま?」


 後方からグランのくぐもった声がした。

 グランは口を開かずに会話している。ゲルベルガさまをかばっているのだ。


「モルペウスさま、そのお姿はどうなされたのですか?」

「Pggrer……」


 俺が振り返ると、グランの目はまっすぐに昏き者を見つめている。

 昏き神の加護が弱まったことで、グランは気絶から立ち直ったらしい。


「え? あいつがモルペウスさまであるか?」


 グランを担ごうとしていたケーテが驚く。

 ケーテは手にマルグリット、セルリス、シア、ニア、ガルヴを掴み、背にグランを乗せようとしているところだった。


「お、おやめください。ロックさま。モルペウスさまを殺さないで……」

「無茶をいうのではない。ロックがらねば全滅するのである!」

「pgreeee」


 モルペウスさまの声があまりにもつらそうで、俺は思わず剣を止めてしまった。


「モルペウスさま!」

「あ、待つのである」


 ケーテの制止を無視して、グランがモルペウスさまを目がけて一気に駆け寄る。

 その拍子に、ケーテの手からセルリスたちが地面に落ちる。

 昏き神の加護が弱まったとはいえ、グランの速さは尋常ではない。


「危ない!」

 思わず俺は声を上げる。

 だが、グランには聞こえていない。構わずモルペウスさまに抱きついた。


「pGreEeEee……」

「モルペウスさま。どうしてこんな、お労しいお姿に……」


 涙を流してグランが抱きつくと、モルペウスさまの右目から涙がこぼれる。

 だが、左目は俺を憎しみの籠もった目で睨み付けている。

 黒き光線を放つ球体も、まだ健在だ。


 そして、グランに抱きつかれた直後、昏き神の加護と魔法封じの結界が更に弱まった。

 モルペウスさまはうめき、もがこうとしている。

 だが、動かない。

 まるで、傀儡人形をかけられた者が、術者に抵抗しているかのようだ。


「おえぇ……。ど、どういう状況ですか?」


 昏き神の加護が弱まったことにより、ニアが最初に気付いて起き上がる。

 そして、嘔吐してから、ニアはガルヴとシアとセルリス、マルグリットを起こしていく。


 ニアが最初に気付いたのは、弱いからだ。

 強ければ強いほど、昏き神の加護の影響を強くうける。

 肉体も精神も圧倒的に強い竜族は、強い影響を受けてもなお立ち上がることができる。

 だが、大差のない人族同士ならば、弱い方から立ち上がるのは道理なのだ。


「うぅ……」


 セルリスたちも、ニアに起こされてよろよろと起き上がりはじめた。

 だが、まだ機敏に動けそうにもない。


「ニア 皆を連れて逃げろ」

「はい、でも、どこに?」


 ニアの言うとおり、周囲の景色が一変しているのだ。


「それに、ルッチラが!」

 最後にみたルッチラは、昏き神の加護から逃がそうとしたグランによって地面を転がされていた。


『ぼくなら、大丈夫!』


 ルッチラの声がどこからともなく聞こえてきた。

 本当にどこから聞こえてきているのかわからない。

 四方八方から聞こえてきている。


『それに、こう!』


 次の瞬間、

 ——ギイイイン

 非常に耳障りな音とともに、風景が割れた。

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