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344 モルペウス様のお言葉

 割れた風景の間から綺麗な夜空が見えた。

 風景はは割れたままぐにゃりと歪んでいく。

 歪みの中心はモルペウスさまだ。

 渦を描き引き延ばされながら、モルペウスさまごと、周囲の景色が吸い込まれていく。


「グランさん!」

 俺はモルペウスさまに抱きついているグランに駆けよる。

 次の瞬間、俺は青空の下にいた。雲一つ無いのに太陽も見えない。


「ここは?」

 そして、今はいつなのか。

 俺は一瞬混乱した。

 昏き神の加護による苦しみもない。身体が軽い。


「うーむ」

 声をした方をみると、人型のケーテが全裸で倒れていた。


「ロックも無事であるか?」

「だから、人のすがたになるときは服を……」

「そんなこといって、ロックも全裸なのである」

「む? ほんとだ」

 道理で身体が軽いはずだ。


『よくぞおいでくださいました』


 声がした方をみると、先ほどまでいなかった、ガルヴより一回り大きい黒い動物がいた。

 黒い牛のように見えなくもないが、牛ではない。だが、可愛らしい姿だ。

 そして、その黒い動物の横には人型のグランが全裸で倒れていた。


『昏き神の加護が失われたおかげで、こちら側に呼び込むことができました』


 こちらに来る直前、ルッチラが何かをして、風景が割れたように見えた。

 あれで、昏き神の加護が失われたのだろう。

 何をやったのか、あとでルッチラに聞かなければなるまい。


「あなたは?」

『この姿でははじめましてですね。ラックさん、ケーテさん。モルペウスです』


 モルペウスを名乗ったその生き物は、俺の知っているおぞましい姿とは似ても似つかなかった。


「うーん。あっモルペウスさま!」


 目を覚ましたグランがモルペウスさまを抱きしめる。


「ご無事で何よりですわ」

『無事かはともかく、心配を掛けました』


 モルペウスさまはどこか意味深な口調でそう言った。

「それはどういう……」

 モルペウスさまはグランの問いに答えず、ペロリと頬を舐めた。

 そして、俺とケーテを見る。


『私のために骨を折ってくださりありがとうございます。大変なご迷惑をおかけしました』

「お気になさらず。それより、一つお聞きしてもよろしいですか?」

『もちろんです』

「もしかして、ここは精神世界ですか?」


 ここに来る前、モルペウスさまを中心に風景が歪んでいた。

 それに巻き込まれかけていたグランを助けようと近くにいた俺とケーテは駆け寄ったのだ。


『その通りです。私の精神世界です』

「ならば、フィリーやミルカもここに?」

『はい。フィリーさんやミルカさんは、この世界で保護しています』

「フィリーたちを返してほしいのである」

『私もそうしたいのですが……できない理由があるのです』

「その理由とはなんなのであるか?」

『はい。いちから説明いたしますね』

「気になるが、時間が無いのである!」

『ケーテさん。ご安心ください。精神世界ゆえ時間は山ほどありますから』


 精神世界の時の流れは現世とは異なるのだろう。

 夢の中で数カ月過ごして、目覚めたら、床について数時間ということもある。

 時間については気にしなくて良いのかもしれない。


『時系列に沿って説明いたしますね』

「お願いします」

『次元の狭間への口が開いたとき、賽の神のかけら、いえ影の欠片とでも言うべきものが、こちらにこぼれ落ちました』

「影、それも欠片なのですか? 本体では無く?」

『はい。神とは世界。世界とは神。神そのものが世界に墜ちれば、世界全体が歪み、根底から覆ることになるでしょう』


 昏き者どもは邪神をこちら側に連れてこようとしていた。

 それは、きっと邪神を連れてくれば、こちら側の世界が、昏き者の世界に根底から作り変えられるからだ。


『影の欠片は次元の狭間の入り口が閉じたときに戻りました。ですがその残滓は王都に残りました』


 残滓の存在に、俺は全く気付かなかった。

 次元の狭間にいたときも、賽の神の存在には気付かなかった。

 神とは人に知覚できるものではないのかもしれない。


『残滓は、入り口を閉じた場所、その起点となった神の加護を発生させたあの場所に取り残されたのです』

「あの場所とは私の家の中にあるフィリーの研究室ですね」

『その通りです。そして運の悪いことに、いえ、幸運なことにラックさんの家にはゲルベルガさまがいました』

「ゲルベルガさまが何か?」

『ゲルベルガさまの権能は境界を引く力。そして賽の神の権能は境界を司る力』

「同じ? いや、どう違うのであるか?」

『非常に似ています。人の子に、そして竜の子に差異を理解してもらうのは難しいかもしれません』

「ここ」


 先ほどまでいなかったはずのゲルベルガさまが、俺の肩の上で鳴いた。

「ゲルベルガさま?」

『グランと一緒に、こちらに来てくださったのです』

『そうなのだ』

「ゲルベルガさまがしゃべったのである!」

『夢の世界なのだから、ゲルベルガさまがしゃべることもあるでしょう』


 何でも無いことのようにモルペウスさまが言う。

 そして、当のゲルベルガさまは、俺の髪の毛をくちばしでくわえて遊んでいた。


『ゲルベルガさまは把握していたはずです』

『しっていたのだ。だが残滓。じきに消えると思っていたのだ。ぼくが見張っていたのだし』


 ゲルベルガさまは、ずっと、まるで鶏であるかのように振る舞っていた。

 庭で虫を食べたり、草を食べたりしている間も、賽の神の残滓を見張っていたのだろう。


『ですが、その研究室に私の護符が持ち込まれました』

「あのインゴットみたいなものですね」

『はい。昏き者どもはあれを使って私を召喚しようと試行錯誤していたのです。成功しませんでしたが』

「どうしてモルペウスさまを召喚しようとしたのであるか?」


 ケーテが俺の肩の上に乗るゲルベルガを撫でながら言う。


『もちろん、私が精神世界を司る神獣だからです』

「むう。ゲルベルガさまをさらうのはわかるのであるが、昏き者は精神世界を司りたかったのであるか?」

『端的に、誤解を恐れずに、極度に簡潔化して言えば、私の権能は精神世界と現実世界の境界を司るとも言えますから』

「ふむう? 昏き者どもは、とにかく境界を司るものを手中に収めたかったのであるなー?」

『そう考えていただいて、問題ありません』


 昏き者どもの狙いは邪神をこちらの世界に移動させること。

 そのために境界をいじろうとしたのだろう。

 精神世界では現実世界と時間、距離などが一致しない。

 その機能をつかえば、次元の狭間を経由せずとも、邪神たちを連れてくることができるのかもしれない。

 具体的な理論は理解できないが、神の世界の理屈だ。

 人が理解することはそもそも不可能なのかもしれないとも思う。


『あの夜。境界に関わる賽の神の残滓とゲルベルガさまの力が拮抗していたところに、私の護符が持ち込まれ、賽の神の残滓が受肉しそうになりました』


 その理屈もよくわからない。

 現世にあるはずのフィリーの研究室が、神的な方向に寄りすぎたと言うことだろうか。


「受肉? 受肉したらどうなるのであるか?」

『簡単にいえば、あの一帯が賽の神の領域。つまり次元の狭間と化したでしょう』

「それは、恐ろしいのである」

『影の欠片の残滓ですから、世界全てを変えるほどの力はありませんし、何事も無ければ、数分、いや数時間で元に戻ったでしょう』

「それでも、被害は尋常ではないでしょうね」

『はい。それに次元の狭間と化すということは、本体が降臨してもおかしくないですし』

『恐ろしいのだ』


 ゲルベルガさまも、その脅威について知っていたようだ。


『だから、賽の神の残滓が受肉しそうな気配を感じて私が駆けつけて、受肉寸前の賽の神の残滓を精神世界に引きずり込んだのです』


 そうなると、モルペウスさまは王都住民数万人の命の恩人と言ってもいいのかもしれない。


「ありがとうございます。ですが、どうしてフィリーとミルカが?」

『咄嗟のことで巻き込んでしまいました。本当に申し訳ありません』

『仕方の無いことなのだ。ぼくに免じて許してやって欲しいのだ』


 俺の髪を噛みながらゲルベルガさまもモルペウスさまをかばっている。


「もちろん感謝こそすれ、責めたりなどいたしません」


 受肉していれば、フィリーとミルカだけでなく、他の王都の住民も無事では無かったはずだ。

 モルペウスさまを責める気持ちなどあろうはずが無い。

 だが、気になることがある。


「ん? じゃあ、ヴァンパイアもどきが何をしていたのかわからないのである」

 ケーテが俺の聞きたかったことを先に聞いてくれた。


 ヴァンパイアもどきは、フィリーとミルカが眠っていることを知っていた。

 そして、ヴァンパイアもどきは昏き者なので、神の加護に覆われた王都には入れない。


『あのヴァンパイアではない昏き者は、真祖の残滓です』

「あれも残滓ですか?」


 賽の神も残滓だった。

 残りかすに振り回されるというのは良い気分ではない。


『真祖は自分が死にかけても、復活できるよう、あらゆる仕掛けをあらゆる場所に残していました。賽の神の神殿にも仕掛けがありました。その仕掛けから復活した真祖の精神の一部です』


 元々賽の神の神殿は、真祖の支配下に合ったようだ。

 だからこそ、昏き者に与した人間が逃げ込んだのだろう。


「あれで一部なのであるか? 精神体の魔法攻撃は強烈だったのだ。こっちの攻撃は通らないし」

「精神体の方が強そうだな」

『そんなことはありません。精神体は不安定ですから』

「でも、かなり強かったのであるぞ?」

『それは昏き神の加護があったからです。それなしではこの世に顕現できませんし、すぐ消滅します』


 これまでヴァンパイアもどきが現われたのは昏き神の加護の中だった。


『もともと真祖には賽の神を利用しての復活計画か、邪神召喚計画があったのだと思います』

「なるほど」

『そして、真祖の精神体の一部は、精神体だからこそ、私の精神世界に干渉できました』

「モルペウスさまの精神世界というのは、干渉できるようなものなのですか?」

『本来はできません。ですが、真祖の精神は、賽の神の残滓を取り込もうとしている途中でしたから』

『ぼくが防御していたのだけど……寝てしまったのだ。ごめんなのだ』


 ゲルベルガさまは人知れず、真祖の精神と戦っていたらしい。


「ありがとう、ゲルベルガさま」


 真祖の精神が、賽の神の残滓を取り込もうとしているときに、賽の神が受肉しかけた。

 そして、モルペウスさまが、自分の精神世界に取り込んだ。

 その瞬間に、真祖の精神はモルペウスさまごと賽の神の残滓をさらって、賽の神の神殿に閉じ込めたのだ。


「じゃあ、なんであいつは我らを襲ってきたのであるか?」

『そこが、私にもわかりません。あの時点で私は敵の手に落ちていたわけですから』

「むむう」

『もしかしたら、私が抵抗していたから残滓を取り込めなかった。だからラックさんに私を殺させたかったのかもしれませんね』

「モルペウスさまが死んだら、真祖の精神は賽の神の残滓を取り込めるのであるか?」

『可能性はあります。ですが、敵の立場に立って考えれば、私が力尽きるのを待つのでもよかったのですが』

「もしかしたら、真祖の精神に残された時間が短かったのかもしれませんね」

『その可能性はありますね。精神体は不安定ですから』


 語っている間、モルペウスさまはグランのことを愛おしそうに撫でていた。


『さて、本題です。どうやったら、フィリーさんとミルカさんを起こせるのかですが……』

「はい」

『私を殺してください。そうすれば、フィリーさんとミルカさんは解放されます』


 モルペウスさまは優しい声でそう言った。

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