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345 精神世界での別れ

 慌てたグランがモルペウスさまにすがりついて懇願する。


「そんな、ダメです! 死んじゃダメ」

『グラン。ありがとう。でも、大丈夫。私は充分生きました』


 泣くグランをモルペウスさまは優しく諭す。


『私の現実世界での姿をご覧になったでしょう?』


 血を吸ったダニのように、みにくい姿だった。


『私の体に、賽の神の残滓が混ざってしまいました。もはや渾然一体となり、分離できません』

「……分離できなければ、フィリーとミルカを解放することは不可能なのですか?」

『はい。今の私には精神世界を守るので精一杯。現実世界では私の体は賽の神の残滓に支配されており、権能を使えない状態なのです』


 現実世界のモルペウスさまは激しく攻撃してきた。

 あれは、賽の神の残滓が優位になっている状態だからだろう。


『私ごと賽の神の残滓を処分してください』

「モルペウスさまがお亡くなりになれば、フィリーとミルカも死んでしまうのである!」

『それはご心配なく』

「どうしてそんなことが言えるのであるか?」

『いまフィリーさんとミルカさんの精神の戻せないのは、私の精神が、賽の神の残滓と融合した私の肉体から移動できないからです』

「どういうことであるか?」

『つまり……』


 いま、モルペウスさまは賽の神の神殿に精神も肉体も縛り付けられた状態なのだという。

 この状態で、フィリーとミルカの精神を、王都のある身体に戻すことが難しいのだ。


『いつものように精神世界を自由に移動できないのです』


 肉体と精神にくさびを打たれて、現世の賽の神の神殿に固定されている状態なのだろう。



『私と賽の神の残滓がともに滅びるとき、束縛が消えます。その一瞬で、必ずやフィリーさんとミルカさんの精神は解放いたします。一瞬であっても、私にとっては充分な時間です』

「やめてやめて」


 グランが泣きながらモルペウスさまを止める。


『仕方の無いことなのですよ』

「いやだいやだ、モルペウスさま死なないで。それに、モルペウスさまが死んだら、賽の神の残滓を取り込まれちゃうんでしょう?」


 モルペウスさまが言ったことだ。

 ヴァンアパイもどきは、賽の神の残滓を取り込むために、モルペウスさまを俺に殺させようとしたのではないかと。


『大丈夫ですよ。賽の神の残滓を取り込もうとしていた真祖の精神は、ラックさんが殺してくれましたからね』

「やだやだ」


 モルペウスさまは泣いているグランの頬を舐めた。


『ラックさんお願いします』

「ど、どうするのであるか?」


 ケーテは困った様子で俺を見る。

 モルペウスさまを殺したくはないし、フィリーとミルカも助けたいのだ。


「ロックさん。どうかモルペウスさまを助けてください。なんでもしますから、どうかどうか……」


 グランは土下座している。


「グランさん、頭を上げてください」

 そういってもグランは頭を上げない。


「モルペウスさま。時間はあるのです。いくつかお聞かせください」

『はい』

「私たちをこちらに連れてきてくれたのはモルペウスさまですよね」

『その通りです』

「現世に影響力を及ぼせているのでは?」

『はい。ですが、あれは昏き神の加護が消えた間隙を縫っただけのこと』

「なるほど。昏き神の加護が消える瞬間、賽の神の残滓にも隙ができると言うことですね」

『といいますか。説明は難しいのですが、神の加護は神による力場。賽の神の残滓も、神そのものではないにしても、神に似た属性を持つため、加護の影響をうけないことはないのです』

「神の加護で包めば、賽の神の残滓にも影響を与えることができると?」

『誤解しないで頂きたいのは、賽の神は昏き神でも、人族の神でもありません』

「はい」

『神の加護でも、昏き神の加護でも、影響は与えられますが、人族や竜族にたいするように、神の力を抑えたり苦痛を与えることはできません』


 神獣モルペウスさまや神鶏ゲルベルガさまとも違うと言うことだろう。


「つまり、隙さえ作れば、モルペウスさまが、表に出てくることができると」

『一瞬ですが』

「一瞬でも関係ありません。完全に支配しているわけでは無いと言うことが重要です」


 つまり現実世界のモルペウスさまの中にはしっかりとモルペウスさまの意思が残っているのだ。

 そして、その意思は抑えられているとしても、表に出てくることすらできる。

 つまり、モルペウスさまが考えているように、完全なる同一な存在になっているわけではない。


「……ゲルベルガさま。賽の神の残滓と、モルペウスさまの間に境界を引くことはできないか?」

「ここぅ」


 ゲルベルガさまは鶏のように鳴いて、考える。


『うん。ぜったいできるとは言えないのだ』

「可能性があるならばかけてみたい。いいかな」

『よいのだ!』

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 土下座していたグランが俺の足にすがりつくようにして泣いている。


「お礼を言うのは早いです。上手くいったとしても、お礼を言うべきは私ではなくゲルベルガさまですよ。私は助けられないとなったら、モルペウスさまを殺すかもしれません」

『もちろんです。少しでも難しいと思えば、私を殺してください。それが最も安全で確実なのですから』

「はい。そのときは」

『それでも、ありがとうございます』

「それでも、私はロックさまが助けてくださると信じております」

「うむ。善は急げなのである。早速、現実世界に戻って、賽の神の残滓を消滅させるのである」

「モルペウスさま。それではまたあとで」

『はい。グランも息災で』

「私はすぐにモルペウスさまに会います。別れではありません」

『そう願っています』


 そして、再び視界がぐにゃりと歪んだ。

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